第35話 藁人形

 ぽよよんお姉さんがお尻をフリフリして歩く様子をカウンターから眺めながら、俺は立ち尽くすだけだった。

 だって、お姉さんが向かったのは下着コーナーだったんだものお。こういう時のため、男女のバイトがいるのだ。俺にとってどうでもいいが、男向けの下着コーナーもある。男の場合は試着不可。まあ、当然だが。


「おにいさあーん、ちょっといいかしら」


 下着を手に取りながらお姉さんが俺を呼ぶ。

 ぐ、ぐおお。いや、下着を買うだけだ大丈夫、大丈夫。落ち着け俺。


 できる限りの平静を装いながら、お姉さんのそばに立つ。


「これとこれ、どっちがいいかなー? どう思う? おにいさん?」

「く、黒の方がよ、よいかと」

「そうー?」


 お、押し付けてむにゅにゅんしないでえ、あ、俺にじゃあないぞ。お姉さんはブラジャーを自分の胸の上に当てて、ほら、うん。

 上目遣いで見上げるように下着を当てるもんだから、メロンとメロンがゴッツンコしてるのが、チラチラっとみ、見えちゃううう。


「じゃあ、黒にしようかなあ。おにいさん、これの他のサイズあるかな?」

「は、はい」


 確かあったはずだが、ブラジャーのサイズはメロンとかオレンジとか書いてないからまるでわからん。


 あるにはあるので、奥から全てのサイズを引っ張り出してきてお姉さんの前に並べる。

 ここでハプニングが! 棚の位置が低いから、お姉さんは上半身をかがめて下着を見ていた。


「おにいさん、これかなあ」

「そ、そのまま顔をあげ……」

「あ、もうーおにいさんのえっちー。でもいいよ。おにいさん、イケメンだしい」

「あ、あおがないでください。パタパタもダメですうう」


 な、なんなんだ。この状況ぅおお!

 お約束を忘れない。これが異世界の実力だ!


『サバイバルナイフ』


 その時頭の中に物騒なアイテムが浮かぶ。


「……フィッティングされますか?お客様?」


 いつの間にか後ろに立っていたユウが額をピクピクさせながらお姉さんに訪ねる。

 これはまずい……ギギギと首を後ろに向けた俺。

 しかし、見たところユウが俺にお怒りの様子はない。どうやら俺の気にし過ぎだったようだなあ。うん。お仕事だからと問題ないとでも思ってくれているんだろうか。


「……先輩に色目使うなんて……あの女……」


 誰にも聞こえないように言ったつもりかも知れないけど聞こえてます。聞こえてますからねえ。思いっきり気にしてるじゃないですかあ。やだああ。


「あらあ、可愛い女の子もいたんだあ。じゃあ、これいただくわ」


 お姉さんはまるで動じた様子もなくメロンサイズの下着を手に取ると、俺にウィンクする。


『藁人形』


 ユ、ユウさん、怖い怖いって!

 人の欲しいものが分かるってむっさ怖え。

 見たところユウは口元に微笑みまで浮かべているのに、心の中でこんなおとろしいものを欲しがってるとか。


 そんなこんなで、レジを済ませて帰っていくお姉さん。


「おにいさんー、ちょっと……」

「はい。何でしょうか……」


 ち、近い。近いいい。お姉さん、近いってええ。


「あ、当たってあうえ」

「これ、私の連絡先……」


 お姉さんがエプロンのポケットに紙片を差し込んだ。


「また来るね!」


 お姉さんはぷるんぷるんさせながらお店を出て行く。

 こ、これ、壺とか買わされる奴やで。


『睡眠薬』


 なんかさっきから物騒な単語が頭の中に飛び込んで来るんだが……。


「ユ、ユウ、次のお客さんだ」

「……そうですね。先輩」

「おー」

「……悪い虫は……ここは先輩を……でもそれは少し恥ずかしい……」

「ん、何か言った?」

「……いえ、何でもありません……」


 ユウは俺の肘を掴んで、頑張りましょうと囁いた。

 よおし、残り頑張るぞー!


◆◆◆


 お姉さんの事件があってから、俺は若い女性客が来店したらなるべくユウに接客を任せることにしたのだ。ぶっそうなワードもあれ以来頭の中に飛び込んで来ていない。


 ふう、好かれるのはとっても嬉しいのだが、少し怖い。ユウは家で部屋を暗くして藁人形に釘を刺したりしているのだろうか?


「……好きなんですか? 先輩……」


 誰を、何を?

 上目遣いのユウが、俺の両手をひしと掴んで来る。


「あ、う、うん?」

「……そうですか……ふふ……」


 ユウは不敵な声を出しながらはにかむ。


「お、そろそろ店を閉める時間だな」


 俺はこの空気に耐えられなくなり、わざとらしく口笛を吹きながら扉を閉めに行く。


 が!

――ガッシ。

その時、肩を掴まれた。そのまま後ろにやわらかーい感触があ。


「……先輩、今夜……します……?」

「え、それって」


◆◆◆


 誘われるままにユウのお家に行ってしまったぞお。女の子のおうちだー。

 なあんて、テンションが上がっていたのは彼女のおうちに入るまでだった。


 彼女の部屋は、何というか黒い。

 黒いレースのカーテンに、台座みたいな卓にはロウソクと黒い布。

 床にはなんだか真っ赤な円形の図柄が描かれているじゃあないか。


「……先輩、準備してきます……」

「あ、うん」


 既にドン引きの俺へユウがそう告げると、奥の部屋に引っ込んで行った。いや、部屋じゃあねえ、そこ押入れな。


 それに対して何故か正座をして待つ俺。円形の赤い図柄の中心に座る形だ。


「……先輩、お待たせしました……」

「ユウ、ってええ服、服!」

「……小さくてすいません……」


 そういって隠していた手をどけると、肩口へもう片方の手に持っていた紙コップをひっくり返す。


「ぎぃええええ。血、血ぃいいいい」

「……新鮮ですよ……?」


 そこ気にするポイントじゃねええ。藁人形どころじゃねえよこれ。まさか、生贄の儀式かなんかか?


「……先輩……さあ……」


 ユウが一歩、また一歩、俺の方へにじり寄ってくる。ポタポタと垂れる赤い液体。

 も、もう、ゴールしてもいいよね……。


「ミオ、戻る! 戻るううう!」


 俺はあらん限りの力を込めて叫ぶのだった。

 ところで、ミオが戻してくれるまでタイムラグがあることをご存知だろうか?


「……先輩……」


 ユウが俺に張り付き抱きしめてくる。


「……優しくして下さいね……」


 そこで、俺の視界は途切れた。

 言葉とは裏腹にユウの手に何か光るものが握られていたことが俺の目に焼き付いて離れない……。


――いつもの喫茶店

 俺は息絶え絶えになり、テーブルに突っ伏す。

 や、やべえ。あれはヤバすぎる。

 男の娘なんて目じゃねえほどだ。


「コーヒーをお持ちしました」


 ミオがコーヒーをテーブルにコトリと置く。

 あれだけ酷い目にあったというのになんだかミオの目がキツイのだ。


「ミオ?」

「良一さまのお好きなシチュエーションだったのでは?」


 あれがお好きなわけねえだろおおお。

 斜め上過ぎるミオの問いかけに口をパクパクさせ言葉が出ない。


「やはり……大きくないとダメなんでしょうか……」


 ミオはくるりと俺から背を向けながら、何かを呟いたが何を言っているのか聞き取れなかった。

 どうせ、ロクな事を言ってないはずだ……もうしばらくうなだれよう……。


 俺は再び机に突っ伏すのだった。

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