第12話 斜め上の発想が必要だ

 コーヒーがすっかり冷める頃にようやく復活した俺は、メニューをチェックし始めた。

 

「コーヒーを取り替えますか?」

「ううん、せっかく淹れてくれたコーヒーだし。そのまま飲むよ」


 メニューを閉じて、コーヒーカップを口につけると一気に飲み干す。

 俺は冷めたコーヒーって嫌いじゃないんだよね。

 

「ん、どうしたんだ? ミオ」


 珍しくミオが眉をあげて驚きの表情を見せているではないか。普段から彼女は余り表情に変化がない。

 いつか満面の笑顔を拝んでやるんだからな。怜悧な顔が笑顔になる時、さぞ強烈な破壊力を持って俺に襲い掛かるに違いない。

 ほ、惚れてしまうかもおお。

 

 なんて妄想していたら、心を読んだかのように彼女は刺すような凍てつく視線を俺に向けているじゃあないか。

 

「おかわりをどうぞ」


 ミオは優雅な仕草で、コポコポと熱々のコーヒーを開いたカップに注いでくれた。

 

「ありがとう、ミオ」

「いえ。コーヒー、飲んでいただいてありがとうございました」


 口元だけで笑みを浮かべるミオに引き込まれそうになってしまう。う、うう。

 彼女が俺を見送る時に見せる笑みと全く同じなんだけど、雰囲気が少し違うだけで……グッと来てしまった。

 普段見せる笑みはいわゆる感情の籠らない営業スマイルみたいなものだ。でも、今見せた笑みは、ほんの僅かだけど「感謝の気持ち」が籠っていたように感じられたんだ。

 こ、これがギャップ萌えってやつか……なるほど。偉大なる先人たちはうまく言ったものだ……こいつはすげえや。

 

「良一様、変なことばかり考えていらっしゃると、いつまでたっても進みませんよ?」

「あ、うん……」


 ってなんで分かるんだよお!

 そんなに顔に出てるのかな、俺……。

 

「顔に出てますよ」

「あ、はい」


 ぐうう。先手を打たれてしまった……少しだけ悔しいけど気にしていても仕方がない。

 今回の目的は単純明快だから、すぐに行先と設定は決定できるだろ。

 

 ええっと、魔法のある世界で治療してくれる僧侶みたいな人を俺が訪れるって設定で――

 いや、待てよ。

 

 これまで、おいしい設定ばかり積み上げて「異世界逝き」をしてきたが……痛い目にあってばかりだ。

 なんかこう、このまま逝ってしまうとまた思わぬ落とし穴にハマらないだろうか?

 いや、ハマるね! きっと。

 

 俺はもうだまされないんだからなあああ。

 きっとこのまま逝った場合の落ちはこうだ。

 

『ヒールという治療魔法をかけてくれたはいいが、代謝を加速させるとかの効果でものすごい激痛が走り、途中で治療をあきらめる』


 いや、もっと酷い展開になりそうだ。こうだろ。

 

『可憐な聖女が癒しの魔法をかけてくれるが、代謝を加速させるので激痛が走る。一度かけた魔法は中断することができないので、俺は気絶してしまう。そして、目覚めても激痛』


 あ、ありそうだ……無駄に聖女が親切でやせ我慢をしてしまう俺……しかし耐えられない。

 な、情けねえ! ここで「いや、俺はどんな痛みにも耐えてみせる」とかは言えない。

 もしかしたら、刺し傷を受けた時の方が治療より痛いだろうと思うかもしれない。

 でもさ、強盗に刺された時は痛いというよりは熱くて……あの時へらへらした態度を取っていたが、非常事態に興奮状態になっていて痛みをあまり感じなかったってのもある。

 冷静になる頃には麻酔をうたれて、傷口を縫われていたしさ。

 

 じゃあ、どうする?

 簡単だ。俺の発想をこれまでと違うものにすればいい。

 

「ミオ、決まったよ」

「かしこまりました。では、お聞かせいただけますか?」

「ああ、今回は――」


 ふふふ、世界よ。俺は君を欺けたはずだ!

 

 ◆◆◆

 

「目を開けて構いませんよ」


 ミオの凛とした声に導かれ、ゆっくりと目を開く。

 目の前には黒水晶でできた十階建てのビルが立っている。天井から……。

 右へ目をやると、地面から同じような大きさのビル。こちらはすりガラスのような材質でできているようだな。

 

 えっと、これどうやって入ればいいんだろ……すりガラスのビルまで歩いていこうかなあ。

 

「それでは、『体験版』をお楽しみください」

「ありがとう、ミオ」


 ミオは両手でスカートをつまむと上品にお辞儀をし、忽然と霞のように姿を消す。

 

 ビルにだけ目を取られていたけど、天井には街路樹もあり、コマの無いスケートボードみたいな板に乗った人が道を進んでいくのが見える。

 ここはオセロみたいな作りをした空間だった。俺のいる地面側は全て白っぽい色で統一されていて、天井側は黒っぽい色ばかりが並ぶ。植物だけは、上下ともに同じ緑色だったけど。

 

 もう予想がつくかもしれないけど、ここはファンタジーな世界ではない。

 俺が選んだ世界ははるかな未来。設定は宇宙空間に浮かぶ街だ。

 

 未来の世界ならば、俺は痛みにさいなまれることなく治療を受けることができるに違いない。優れた医療技術で今とは比べ物にならない速度で傷が癒えるんじゃないかと思ったわけなんだよ。

 そう、まるで魔法のように。

 

 病院の前に出てくる設定だったんだけど……目の前のビルは頭から遥かに高いところにあるから入ろうにも入れないって……どうしよう。

 

「どうされました?」


 後ろから声がしたので振り向くと、白衣姿のキリリとした顔をしたメガネ美女が柔和な笑みを浮かべていた。

 おお、親切な人が来たああ。やったぜ、ご都合主義。俺は君を愛している。

 

「ええと、病院を探しているんです」

「病院ですか……演劇か何かをされるのではと思いました」

「え?」

「その包帯……何かの衣装では? どんな時代の劇をされるんです? 私演劇好きなんですよ。ああ、できれば二十二世紀頃のドロドロな家族劇とかそんなのがいいんですよね、あああん、でもでも、嫉妬に狂った――」


 ああああああ、メガネ美女がトリップしてしまったじゃねえか。

 何なんだよお。この人……俺はこの世界へ一抹の不安を感じながらも、彼女の言葉が途切れるのを待つことにした。

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