第4話 スローライフ

 あれから六日がたとうとしている。いつも虚無感や脱力感しかなかったコンビニバイトに少しは身が入った。

 というのは、あと何時間で五十時間になると考えながら、一歩ずつ進んでいる実感があったからだ。

 この日は深夜になってしまったので、家に戻り汗を流す。コンビニでもらってきた弁当を温め直し、自分だけの部屋でテレビに電源を入れる。

 

 テレビはあんまり好きじゃあないんだよなあ。なんだかいつも同じことを放送している気がして……。天気予報以外見るべきものはないと俺は思っているんだけど……一人で音が無いとなんとなく寂しいからテレビをつけているに過ぎない。

 もそもそと弁当を食べ終わった俺は、パイプベッドにゴロンと寝転がる。

 

 んー、どんな世界ならストレスなく過ごせるんだろうか。俺は寝転がったまま、ラノベが並んだ本棚を見やる……。

 「俺つええで気持ちいい」は、体がすくんでしまって何もできなかった。それならいっそ、誰にも邪魔されずにのんびりと生きていくのもいいかもしれない。

 

 ◆◆◆

 

――翌朝

 これから行こうと思っている世界と設定についてまとめながら例の横断歩道まで向かう。

 前を見ていなかったから、電柱にぶつかりそうになってしまった! 別に急いで考えなくてもいいんだよな……焦りは禁物だ。

 ずっと住むだろう世界かもしれないんだから、メニューを見ながらじっくりと腰を落ち着けてからだな……。

 そう思っていてもやっぱりソワソワしてしまうだろお。常識的に考えて。

 

 横断歩道に到着した俺はポケットからベルを出すと軽く左右に振る。


――チリンチリン

 澄んだ音が鳴り響くと、視界が歪み……忽然とアンティーク調の喫茶店が姿を現す。

 す、すげええ。これって現実世界の出来事だよな……俺の住む地球にもまだまだ科学では解明できない謎がいっぱいあるんだなあ……とか哲学しそうになっていると鈴が鳴るような凛とした声が。

 

「いらっしゃいませ」


 声の主はミオだった。この前会った時と同じく、闇を切り取ったかのような髪の毛に一切の乱れはない。彼女はメイド服姿で口元だけに笑みを浮かべていた。

 

「ミオ、五十時間働いて来たよ」

「存じております。前回お使いになられたポイントは、全て元に戻っております」

「『体験版』を今からお願いできるかな?」

「もちろんです。どうぞ中へ」


 ミオが優美な仕草で手を扉に向けると、扉がひとりでに開く。

 不可思議な現象だけど、これまでの経験からこの程度のことでは余り驚かなくなっていた。慣れって怖い……。

 

 ◆◆◆

 

 店内に入って椅子に腰かけた俺は、ミオに淹れてもらったコーヒーに口をつけながらメニューをじっと眺めていた。

 だいたいどんな世界と設定にするかは決めているから、それに相応しいスキルか能力があるかどうかだなあ。

 

 お、これなんていいんじゃないか?

 顔をあげた俺に気が付いたミオが、音も立てずにテーブルの前までやって来る。

 

「良一さま、お決まりになられましたか?」

「うん。今回は――」


 俺が考えたのはズバリ「スローライフ」を堪能できる世界だ。ラノベ好きサラリーマンに人気が出てきているジャンルだな。

 疲れた仕事ばかりの毎日から飛び出し、自然や動物と触れ合いながらのんびりと生活する。自給自足の煩わしさは、魔法やスキルで補う楽々な生活。

 癒されたい。そして、ずっとノンビリ気ままに暮らしたい。

 設定は街から少し離れた牧場にした。牧場には牛やヤギがいて、ログハウスがある。ログハウスは魔法で水や灯りを完備しており、現代人である俺が生活するに十分なインフラが整っているのだ。

 

 楽して暮らすためのスキルが問題だったが、都合のいいスキル「レンジャー」ってのがあったからそれもクリアした。

 レンジャーは……まあ、逝ってから試してみるさ。

 

「準備はよろしいですか?」

「うん」

「では、目をつぶってください」


 ミオに促されるまま、目をつぶり世界が切り替わるのを待つ。

 

「目を開いて構いませんよ」


 待ってました! 俺が目を開くと、写真で見たことがあるようなのどかな風景が広がっていた。

 緑あふれる牧場、カントリー調で雰囲気抜群のログハウス。うーん、いいねえ。これ。

 

 俺は顎に手をやり「うんうん」と満足し頷く。

 

「それでは、『体験版』をお楽しみください」


 ミオは両手でスカートをつまむと上品にお辞儀をし、忽然と霞のように姿を消す

 

 さてとお、まずはログハウスの様子からチェックするかあ!

 

 俺はウキウキしながら、ログハウスの中へと入っていく。

 中は一部屋になっていて、右手に階段があった。階段は屋根裏部屋へと続いているみたいで、そこにベッドが置かれていたので寝室なのだろう。

 左手には暖炉とロッキングチェア。奥にはキッチン。キッチンの脇には勝手口があって、外に出てみると雨風を凌げる屋根が張り出しており、五右衛門風呂が設置してあった。

 

 おおお、いいじゃない、いいじゃないー。

 ロッキングチェアに寝そべりながら、ゆらゆらとゆったりした時間を過ごし、眠くなれば屋根裏のベッドへ。うーん、癒しの空間とはまさにこのことだ。

 

 家の様子を一通り観察し終わった俺は、外に出て牛小屋、鶏小屋を確認する。

 ここでレンジャースキルの登場だ! 俺は鶏に手を向けて「肉」と心の中で唱えると、鶏が部位ごとに切り分けられた鶏肉へと変わる。

 おおっし、いいぞお。これなら鶏をさばいたことのない俺でも全然平気だ。

 

 あ、食器とかってあったかな。薪がないと暖炉に火もつけられないし……ああ、先にそっちをやったらよかった。

 幸い食器はあったので、木の器に鶏肉を置いて、ついでに卵も拝借してくる。

 

 薪は手斧を持って木の前でスキルを使うとあっさりと薪に変化した。薪を暖炉に入れて、これまたスキルを使うと火をつけることができる。

 うん、予想以上に便利だぞ。レンジャースキル。

 このスキルは、日常生活やサバイバルに必要な能力を広く浅くカバーしてくれると書いていた。尖った能力がないけど、スローライフを送るにはこれで全然問題がないのだ。

 

 鶏肉と卵に対して暖炉の前でスキルを使うと、途端に調理されたそれらが器の中へ姿を現す。

 米や小麦もあるのかなあ。明日にでも畑を見に行ってみよう。

 

 五右衛門風呂に入り、屋根裏のベッドに行くと嬉しい仕掛けに気が付く。

 なんと、ベッドの真上には窓があって、窓を開くと夜空が飛び込んできたのだ!

 

 俺は星を眺めながら、眠りにつく。

 あー、スローライフ最高!

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