航宙護衛艦「大和」は宇宙を舞う~はじめてのおつかい~

枢密院勅令

前編 こちらニッポン Hello from the land of the rising sun

「“辛酸に打ちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の冷たさに対する愚痴や呪詛ばかり次の世代にのこす、つまらん民族になりさがるか”」

「――“これからが賭じゃな……”」

                  ――小松左京著『日本沈没』渡老人  

    沈みゆく日本列島から逃げ出してでも、生き延びようとする同胞達を見て。

                     (※原文に一部改行等を加えている)



 西暦二二四五年四月十六日人類標準時午前八時、イギリス連邦星系プリデイン王室属領ハイランズ周回軌道。



 ――イギリス人の性根は今も変わらず腐ってるらしい。


 男は先程の会話を思い出しながら、そう内心に吐露した。

 眉間に皺を寄せ、部下が起案した文書を睨みつけている彼の表情は、職場の空気を何処までも澱ませている。男の手には、ボールペン(消しゴムで消せるタイプ)と今では化石同然の「プリントアウトされた書類」がある。日本という不思議の国に住む公務員という種族は、ペーパーレスによる省力化をイスラム教徒のハラル(禁忌)ごとく嫌う。特別職国家公務員であり、自衛官なる珍妙な名前で呼ばれる軍人でもある尾北柔造もその一人だった。


 口に出さなくても伝わる尾北の不快感が、これ以上職場内に波及するのを危惧した彼の相棒が口を挟む。艦内一の苦労人、島副長である。


「で、結局承諾したんですか。艦長」

「仕方ないだろ。あのおっさん怖いんだから」


 尾北は無精髭を撫でながら、空中に投影されたコンソールを操作し、総員戦闘配置を下令する。艦内に不気味なアラーム音が鳴り響く。


 乗員が所定の配置に急行する為に艦内を駆け巡る。先任海曹が動きが鈍い新兵を叱責する光景は、もはや無形文化財と言っても良い。乗員全員が船外作業服を着用し、被弾時のダメージコントロールに備える。肥満の慢性化が何故問題なのかを、乗員達が認識した頃には艦内隔壁が全面閉鎖される。艦内時刻をローカル時間からZ時間(人類標準時)に変更。電波輻射管制EMCONを実施。全てのセンサーをパッシブモードにする。


 彼らの職場の名は、日本国海上自衛隊第一護衛隊群所属の大和型航宙護衛艦一番艦「大和」と言った。

 航宙護衛艦とは、憲法によって軍事力の保有が禁じられた日本特有の戦闘艦の名称である。他国の一般的な名称に照らし合わせるなら、「大和」は『航宙戦艦』と呼ばれる艦種であった。航宙戦艦とは地球の海を支配した戦艦と同様に、圧倒的な火力と装甲で敵艦船を撃破し、航宙優勢を確保する事を使命にしている艦船である。射程40万キロを誇る電磁投射砲もしくは自由電子レーザー砲を主兵装としており、これらの兵装の攻撃に耐えうるだけの装甲も有している。

 かつて絶対的な戦略兵器として君臨した核兵器と同様に、航宙戦艦の保有数はその国の軍事力の大小を図る重要な指標となっている。


 ――「大和」は、日本という主権国家が保有した最初の航宙戦艦でもある。


「一隻だけあっても、使い道に困るだろうが。なんで元ネタの一点豪華主義までリスペクトしてるんだ」

「国際社会へのアピール、示威行動は重要なのです。今回の航海も真の狙いはそれでしょう?」

「武力による威嚇は国際紛争を解決する為の手段としては、これを永久に放棄するんじゃなかったのか?」

「何事にも本音と建前はあるものですよ。さっきの第一海軍卿の要求もそうでしょう?」


 副長の嫌味に尾北は鼻を鳴らす。尾北は一時間前のプリデイン王国第一海軍卿との会話を思い出す。


「――失礼、今なんと仰いましたか?」


 尾北は白々しく自らの聴覚能力を偽る。電話口の向こう側は彼の意図を見抜いたのか、抗議の嘆息。


 帝国統合航宙防衛システムに付属する多機能情報伝達装置は、星系第三惑星と星系外縁部にいる二人の中年男の顔を数分遅れで表示している。数分も遅れれば、相手との意思疎通に深刻な齟齬を来すものだが、そうはならなかった。二人の男の表情は先程からずっと固定されたままだからだ。眉間に皺を寄せ、口をひん曲げているという全人類中年男性が有する表情のデフォルト設定。年を重ねる度に設定変更が困難になる表情だ。


「では、繰り返す。我が参謀総長委員会は国際航宙法条約に基づき、貴艦『大和』に対して我が国の航宙警察活動への協力を強く要請する」


 何年蓄えてるのかを聞きたくなる白髭、バターの点滴でもあるのかと聞きたくなる肥満体形、どんな惑星の空気を吸えばそうなるのか聞きたくなる鷲鼻。アニメ映画『白雪姫』の七人の小人が現実に飛び出してきたような男は、尾北に負けじと不機嫌をアピールする。

 彼の名は、ホレーショ・フィッシャー大将。プリデイン王立海軍の第一海軍卿。第一海軍卿とは海軍の軍令における最高責任者を指す。権限や役割の差異もあるが、日本の海軍軍令部総長に相当する。内閣に軍人の立場から専門的な助言を与える参謀総長委員会のメンバーの一人でもある。但し他国の例に漏れず、実際の作戦指揮は隷下の常設統合司令部という組織が担う事になる。つまりこの男がネルソン提督宜しく前線で戦うわけではない。

 イングランド名門貴族マールバラ公爵の血を継いでいると自称しているが、部内では「盛るのは名前だけにしろ」と専ら評判である。性格に難があり、癇癪持ちである。ただ何だかんだで部下も見捨てずにはいるので、一線は超えていないらしい。尾北が口を開く。


「私達が用意してるのはマイ枕と歯ブラシセット、寝間着だけです。貴国からの招待状には、ホテルのチェックイン時刻以外は記載されてなかったはずですが」

「――それとも貴国は自国の内乱を鎮圧させる為に、外交特使まで戦列艦に放り込むのですかな?」


 尾北は艦橋の片隅で震えてる外交官の男を指差す。男はプリデイン女王宛の天皇の親書を後生大事に抱えながら震えている。


 男の名は黒田耕作。ヴァージニア連邦との安保協定改定に尽力した事で、外務省きってのエリート外交官として名を馳せている。予定に無かった王立海軍との合同演習で、無数の核爆発を目撃したせいですっかり神経衰弱に陥ってしまった。外交官としても、クルーとしても完全に役立たずである。


「尾北艦長、内乱ではなくテロ事件だ。自衛隊なる珍妙な、いや、失礼。高度に政治的な名称を戴く貴官達なら、言葉の軽重を理解してくれると思ったがね」


 フィッシャー第一海軍卿は腕を組み、芝居じみた仕草で哀しみを表現する。尾北は失笑を漏らす。無論、本来の意味での失笑だ。尾北は呆れ気味に問う。


「可住惑星への小惑星落下の阻止ならともかくとして、民間船への危害射撃を行えとは度が過ぎている。赤の他人に頼む仕事ですかな?」


 尾北達の大和への依頼、それは逃亡中の”民間船”の撃滅だった。何でもテロ事件に関与した凶悪なテロリストが乗り込んでいる――らしい。


「民間船ではない。テロリスト共の海賊船だ。それとも我が国が誇るSIS(秘密情報部)が信頼できないとでも言うのかね」


 タキシード服に身を包み、高級車と美女を侍らせる某諜報員の姿を想像しながら、尾北はなおも抵抗する。


「この近くなら同じ連邦のオークランド海軍のシドニー宇宙港が近い。まずそちらを頼るべきではないですか」

「オークランド王国行政評議会(内閣)は、ハイランズへの兵力拠出を拒否している。報道されているとは思うが」

「閣下、我が国の憲法は貴国と同様に大変複雑なのですよ。我が国は既に三百年の不戦の誓いを――」


 ――不戦の誓い。尾北の放ったその言葉が第一海軍卿の逆鱗に触れたらしい。感情の導爆線に点火、彼は語気を強めた。


「不戦の誓い?君達日本人は皆嘘つきだ。貴国が独立したお陰で一体どれだけの血が流されたと思っている?」

「破局噴火で日本列島を喪い、失意の中で君達が見出したのが、コスモポリタニズム(地球市民主義)。一国平和主義の代替品だ」

「世界で最初の”地球人”を名乗った日本人は、積極的に宇宙に飛び出した。頭の緩い人々は君達を絶賛したものだ。新世紀の人類、そのあるべき姿と」

「ところが、アマノカワ戦役で温かい我が家を再び手に入れる機会を得た瞬間、君達は地球市民の理想を躊躇いも無く放り投げた!」

「まんまと企みは成功し、日本国は蘇った。それを見た世界の人々は、再び”取り戻すべき祖国”を思い出してしまった!」


 尾北は俯き、何も反論しなかった。彼は愛する祖国が世界に齎した災厄をこの目で見てきたからだ。


 ――主権国家、日本国の復活は世界を文字通り混沌の坩堝へと叩き落した。


 阿蘇カルデラの破局噴火、東海・東南海複合型地震の同時発生に起因するジャパン・ディアスポラ(日本人大離散)から今年で百八十六年目になる。当時の日本国に残された国土は、北海道の最北端、沖縄諸島の一部のみであった。そこでの生活も本州の消滅で維持が不可能になってしまう。結果として残されたのは、領土の扱いを受けていない宇宙構造物である宇宙コロニー『カグヤ』、『フジワラ』だけとなった。ここに日本国は主権国家の成立要件を喪失する。大多数の日本人は、母親たる日本列島の懐から離れて、見知らぬ異国の地で残りの人生を歩まねばならなかった。難民は観光客ではない。これを理解している日本人は少なかった。既に経済大国の看板を返上する程度には国力を減退させていたとはいえ、日本の消滅で世界経済は甚大な被害を蒙っており、世界の人々の視線は冷たかった。

 ヤマト決議(国際連合総会決議114/359号)により、日本国の将来的な主権回復の余地は残されたが、今を生きる者達からすれば救いとはならなかった。ある者は異国と同化し、またある者は決別し、暖かい我が家を取り戻そうとした。世界各地で日本人の武力闘争が連鎖した。平和主義を国是にしていた民族の末路としては、あまりに皮肉に満ちていた。


 そのような絶望の中で、日本人が見出したのが、コスモポリタニズム(地球市民主義)であった。

 日本国民統合の象徴である天皇は、全世界に散らばっている日本人へのクリスマスメッセージにて、「地球人としての日本人」論に言及した。


「――我々日本人は世界で最初の、国籍に囚われない”地球人”となるべきです」


 あくまでも日本人の宇宙産業での活躍に触れるだけのものであり、彼の言葉に政治的意図を含むものは無かった。だが、その後の日本人が進む道を明確に示したと言える。「ヤケクソ」と称される位の精力さで、日本人は宇宙に進出した。世界で最初の恒星間移民船「トリフネ」を作り上げ、地球から宇宙へと人類を吸い上げようとした。まるで自分達の孤独を癒そうとするかのように。自分達だけ宇宙にいるのは耐えられなかったかのように。国際連合の後継組織である「汎人類評議会」が、「人類統一政体の将来的な実現」を目的にしたのも、日本人の策動があったと言われている。


 ――だが、”地球人”は、日本人である事を願った。


 宇宙コロニー『カグヤ』『フジワラ』に住む、オールド・ジャパニーズと呼ばれる人々は、主権国家・日本国の復活を切望していた。彼らの野望が現実化した時、なおも主権国家(国民国家)という共同幻想が如何に強固で、魅力的なものであった事を世界に思い出させた。日本国再建の成功は、全世界の分離主義者達に希望を、それを阻止せんとする人々に絶望を与えた。


「――隣家に広がった火災くらいは消しに行くのが世の道理だ。ましてや自分達で撒いた火種なら尚更ではないかね?」


 第一海軍卿は勝ち誇った笑顔で言う。反論の余地は無かった。


「……で、この無賃労働を引き受ける事になったのですね。賓客たる我々に雑巾がけを頼むなんてどんな国なんでしょうか」


 島副長は眼鏡を顔の所定位置に戻す仕草で、呆れの表情を示した。尾北は古女房の小言を聞き流し、艦長用コンソールを操作しながら言う。


「我が日本は小国なんだよ。戦艦一つでもそうさ。うちはこの一隻しか無いが、プリデインは一六隻も持っているんだからな」

「十六隻……!やはり腐ってもロイヤルネイビーという訳ですか。二十一世紀のイギリス人が聞いたら、鼻から紅茶を出しますね」

「ちなみに今年で八隻以下に削減されるらしい。理由は財政難。お約束だな」

「彼らは歴史の再現でもやってるつもりなんですかね。またちんけな島国に戻るのも時間の問題ですな」

「猿の手でも借りたいんだろうな。息子達である連邦諸国にすら見捨てられてる以上は」


 尾北は自身の船が周回する惑星、ハイランズが投影されたメインモニターに視線を移す。地球型惑星へのテラフォーミングは行われたらしいが、写真で見た地球とは随分かけ離れた不気味な色をしている。惑星表面では、複数の爆発が軌道上から肉眼でも確認できた。今も政府軍と叛乱軍が交戦中なのだろう。


 ――ハイランズ、イギリス連邦星系の外縁部に位置する惑星上に存在するプリデインの王室属領(Crown Dependencies)。


 王室属領とは、地球上ではマン島やチャネル諸島(双方ともに現在では水没)が相当し、王室が保有する「領地」の事を指す。独自の行政・立法・司法機関を有するなど高度な自治権が認められており、「独立国」に近い立ち位置にある。本国の国内法も適用外とされている事が多い。一方で外交・防衛などの重要事項はプリデイン本国が完全に握っており、属領議会が制定した法律も、大法官(Lord Chancellor)が毎回精査している。プリデインの思惑に反する法律の場合は、女王裁可(ロイヤル・アセント)が降りない。このようにあくまでも「属領」に過ぎず、主権国家とは言い難い。

 連合王国時代は高度な自治が保障され、ロンドン中央政府が内政に干渉する事は殆ど無かった。露骨なまでに干渉を加えてくるプリデインがむしろ歴史の例外と言える。王室属領は宇宙中に存在するが、ハイランズがその他の王室属領と異なる点が二つある。一つは諸外国とのターンパイク(超光速航行を可能とする異次元空間)に近い戦略的要衝である点。


 ――もう一つは、先の戦争、“アマノカワ戦役”で官民問わず莫大な犠牲を払ったという点である。


「いい加減懲りろよ。一体幾つアメリカを作れば気が済むんだ、奴らは」


 尾北は、忌々し気にコンソールに操作し、各部署からの戦闘配置完了の報告を受領する。島副長が呟く。


「産めよ、増やせよの精神なのでしょう。子供というよりかは、憎しみをですが。本当に何も変わらない奴らだ」


 島副長は持ち前のシニシズムを披露する事に喜びを感じてるのか、尾北とは対照的で機嫌が良い。


「変わってない……か。確かに俺達日本人も何も変わってない。彼らに負けず劣らずの身勝手さも」


 尾北の独り言を遮るように、会話に入れずにいた南部砲雷長が口を挟む。自慢のスキンヘッドを撫でながら、誰もを和ませる笑顔も一緒に。


「艦長、副長。皮肉ばかり言ってると勝利の女神が実家に帰りますぜ。獲物です」

「――電子支援装置ESM探知。方位一五〇度。対航宙レーダー波。目標番号Eエコー1とします」


 戦闘艦の主である尾北は、南部の報告に思考を切り替える。


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