第2話

「……ん、ちょっと、触り方がいやらしくない? やめてよね」

「お前が制服のままおぶってもらおうとするのが悪い」

「なにそれ。私の制服姿がかわいいってこと? レイプ未遂犯が『あなたが美しいのが悪いんだ!』とかそういうやつ? きゃー」

「スカートだとおぶいづれえんだよこの馬鹿」

「仕方ないじゃん、歩けないんだから。まさかスカートを脱げって言うの?」

「言わねえよ……大体お前、何でお金持ってねえのにタクシー呼べなんて言うんだよ」

「あれはそういうジョークじゃん。まあまあ、タクシーを呼んでとは言ったけども、こうして櫛田君が私専用のタクシーになってくれましたってことで、ここはひとつ」

「何もうまくねえ……」

「あ、タクシー田君のほうが良かった?」

「良くねえ!」

「May I call you taxi?」

「うるせええ!」

 タクシーを呼べと、さもうまい具合にオチがついたと言わんばかりに田中はしたり顔で言ったものの、彼女は肝心のタクシー代となるような現金もカードも何も持ち合わせていなかったため、こうして俺は今彼女をわざわざ家まで送っている。人力で。

 田中が後ろから俺を抱きしめるような格好で何かをしゃべるたびに、どこかねっとりとした吐息が首筋から耳元にかけてを撫でていく。肌が湿ってきたのを感じた。

 いつの間にか空には雲がうっすらとかかっていた。辺りには街灯という街灯もなく、数歩先のものしかはっきりと見ることはできないが、どうして雲は見えるのだろう。俺の見えないところで月でも出ているのだろうか。

 そんなことを考えていると、もう田中から教えられた家の近くまでやってきていた。

 すると、急に視界に白いものが入ってきた。

「あ……」

 田中が声を漏らした。単純に起こった出来事に対して発せられた、まだ声に感情が乗る前のものだ。

 それを恥ずかしく思ったのか、田中は一度咳払いすると、わざと声色を薄く透明感のあるものにして、

「あら……あれは何かしら?」

と、それを指さして言った。

「雪だよ」

 何も言わないというのもあれなので、俺は簡単に答えた。

 だというのに、田中はそれを俺の頭をたたいて否定する。

「違うわ、あれは露よ。夏草の露」

「明らかに無理がある……」

 これはあれだろうか、確か一年だったころに授業でやった、

「『芥川』か」

「正解!」

 芥川というのは、伊勢物語の一編で、在原業平と思われる主人公が見染めた女を夜……

「……つまりあれか。お前は、俺を、誘拐犯だとでも言いたいのか?」

「大正解!!」

「こんにゃろおおお!」

 田中をおぶっていた手を放して彼女を振り落とそうとする。だが田中は離れない。首に回した腕を使って器用に俺に抱き着いている。むしろその腕が俺の首を絞める形になってさえいた。このまま絞め続けられてはたまらないので、俺は大人しくもう一度田中をおぶい直した。

「いやー、一回やってみたかったんだよね、芥川ごっこ」

 田中は悪びれずにそう言うと、もう一度とばかりに雪を指して声色を変える。

「『ねえ、あれは何でございましょう』」

 仕方なく俺もその芥川ごっことやらに付き合って応じる。

「『あれは露にございます』」

「『では、露とは何でございましょう』」

「『暖かくなればすぐに無くなってしまう、儚いものでございますよ』」

「『まあ、それではまるでわたくしでございますね』」

「は?」

「『ご存じありませんの? 心をお寄せ申し上げます相手におぶわれて連れていただきますと、わたくしは……』」

 耳元に、静かだけどもなぜか体に染み入るような、そんな不思議な力を秘めた声が弾けた。


「『――鬼に食べられてしまいますの』」


 そういえば、芥川は、最後に見染められた女が姿を消して終わるのだったか。

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