「Please call me」

桜人

第1話

~~~~~


「Excuse me. Please call me taxi? 」

「Sure. <Ms. Taxi>」

「Huh?」

「I’m Sorry. You had better say <Please call me a taxi>」


~~~~~


「……で?」

「で、じゃないわよ。分からないの?」

「なにが」

「ジョークよ、ジョーク。よくある英語についての勘違い。せっかくイイものが出来たのに……まさか読めないの?」

「読めるわ! こんな中学生並みの英語くらい!!」

「じゃあこれくらい理解しなさいよ」

 田中若菜はそう嘆息すると、腕を組むようにして両腕をさすった。その手は赤く染まっていて、それに気がついて彼女を注視すると、制服のスカートからのぞく膝小僧も、一つしか灯りのない夜の公園でさえはっきりと分かるほど色を変えていた。

 田中は彼女自身を抱きしめるような姿勢のまま、ブルッと大きく体を震わせると、ゆっくりと白い息を吐いた。どこともなく向けられていた視線がこちらに向く。

「でね、このジョークは、間違った英語を使った人が最後にある一言返して終わるの。なんだと思う?」

 公園のベンチの上で、田中はまるで体育座りでもするかのように脚を抱えた。中途半端に目を細めて口角を上げた、まるで真顔と笑顔を足して2で割ったような表情は、しかし逆に何とも幸せそうに感じられる。心からこのジョークについての会話を楽しんでいるのだろう。

 黙っていると、早く答えを言いたくて我慢できなかったのか、こちらの反応を待たずに田中は

「<OK. Mr. A taxi>」

 ………。

 ……。

 …。

 数秒の後、俺は一言、

「わけがわからん」

「これだから日本人は」

「お前も日本人だろうが!」

 反射的に返してしまったが、何も別に意図が全く分からないというわけではない。つまり訳すならこういうことだろう。


~~~~~


「すみません、『タクシー』を呼んでもらえませんか?」

「はい、『タクシー』さん」

「は?」

「失礼。こういう時、あなたは『タクシー』ではなく『ア タクシー』というべきだったんですよ」

「はい、分かりました、『ア タクシー』さん」


~~~~~


「失礼しちゃうわ。でも、私のセンスが分からない人がいるなんて」

 田中はこちらの反応に納得がいかない様子で、声をとがらせて俺を非難するようなことを言う。

「あ~あ~! 傷ついた~!」

「……ていうかさ」

「なに?」

「お前、こんな夜の公園でなにやってんの?」

 時刻はもう二二時を回り、条例に従うなら俺たちのような高校生は、大人しく家の中で夕飯を食べたり風呂に入ったりしているはずのころだ。だというのに今俺の目の前にいる田中は制服のままで、手を赤くして白い息を吐きながらベンチに座り、こうして俺に自作のジョークを披露している。俺がこうして田中と一緒に公園にいるのも、シャーペンの芯を切らして文房具屋まで買いに行った帰りに、公園のベンチに座るクラスメートの田中を見かけたからであり、普段はこんな時刻に外へは出歩かない。

 田中は一瞬その中途半端な笑顔を固まらせると、再びゆっくりと息を吐いた。その息はさっきよりも白くなっているように見えた。くだらないジョークを聞いている間にも寒さは増していたのだろう。

「上を見て」

「?」

「いいから」

 促されて視線を上へ向けると、こちらを押しつぶそうとするかのような夜空が広がっていた。雲は見えないが、星も見えない。完全に真っ暗だ。

「私が夜空を見ていたのって言ったら、信じる?」

「知るか」

「じゃあ信じたということにしても支障はないと」

「……知るか」

 二人して空を見上げているため、お互いに相手の表情は見えない。

「いやあ、今日は模試があったじゃん? だから家に帰るのが遅くなってさ、外が暗いの。それで、なんか久しぶりに夜空を見たなーって思ったら、目を離せなくなっちゃって、今に至るわけ」

「なんだそれ」

「びっくりしたんだよ、私。灯りは世界から夜を排除したっていうけど、案外簡単に、すっごい身近に夜はあるんだなあって、実感した」

「……」

「それで、不確定な進路という闇の中を、勉強だったり模試だったりと必死にもがいている今の私たちが、その闇が、意外と大したことないんだなって、むしろ光という灯りに満ち満ちているんだなって、気づいた」

「…………」

 ………。

 ……。

 …。

「まあ嘘なんですけどね」

「おぃいいい!!!」

 てっきり深い話かと思った!

 すっかりその気になってた!

 俺の感動を返せえええええ!

「まあ本当の理由は結構がっかり感満載だろうから、少しくらいかっこつけとかないと」

 田中はそう言ってぐっと腕を上げ、伸びをした。制服がその動きでよれて、煽情的なしわを作る。

「ほんとはさ……」

 おもむろに田中は靴を脱ぎ、靴下を下していく。公園の照明に薄く照らされて、白い足があらわになるとともに、

「帰り際に盛大にずっこけちゃって」

足首に、大きなあざが見えた。

「歩けないんだよね~」

「……おいおい」

 そのあざは見るからに痛々しかったが、田中は顔をしかめるでもなく中途半端な笑顔を見せる。それが演技なのかどうかは分からない。

「すっころんだなんだの間にスマホはどっか行っちゃったし、君が来てくれてよかった。……ねえ、櫛田君? そういえば、櫛田って十回くらい言うとタクシーになっていかない? 櫛田くしだ串田櫛だクシダクシダクシタクシーダ……」

「だからそのジョーク嫌いだったんだけどなあ」

「ともあれ、私が櫛田君に言いたいことは一つです」

 そういって会話を一度区切ると、田中は両腕を腰にあてて胸をそらす。

「Please call me a taxi?」

 田中は相も変わらず中途半端な笑顔のままだった。しかしその瞳の奥に、俺は確かに何かを感じた。

 だから、俺は田中の質問に答えようと……

「OK.< Ms. A taxi>」

「いいからタクシー呼んできてよ、寒いんだよこっちは」

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