第16話  いざ福島へ

 十一月二十四日、俺は福島行きの準備を始めた。

 電車ではなく、車で行くのである。幸いなことに、俺の車はホンダアコードだった。後ろの荷台が広く、後部座席まで含めるとかなりの荷物を積むことができる。


 無料宿舎とは言うものの、布団まで付いているのかどうかは分からない。少なくとも寒い冬のさなかに、暖を取るだけの布団は持っていた方が良いと思った。着替えも何をどれだけ持って行けば良いのか? 結局車一杯の荷物を詰め込んで出発した。


 十一月二十四日の午後四時だった。俺は長年住み馴染んだ、故郷の地をあとにしたのである。


 阪神高速で大阪に向かう。高速を夜中に走破するつもりだ。ETCなら高速代がかなり節約できるのだが、人生に破綻した俺はETC を持つことはできなかった。


 京都を過ぎ滋賀から新名神に入り亀山へと向かう。その後伊勢湾岸道路を抜けて新東名に入る。その間何度かトイレ休憩を取っていたが、東名と合流した後の足柄サービスエリアにて本格的に仮眠を取ることにした。


 仮眠と言いながら五時間も寝てしまった。最早仮眠ではなく熟睡である。慣れない長距離運転のせいで思った以上に疲れていたのだろう。


 目が覚めて直ぐに出発しようとしたが、良く見るとガソリンが無くなりかけていることに気が付いた。とりあえず足柄サービスエリアでガソリンを満タンにしておく。


 高速道路は朝早くから渋滞していた。足柄から用賀まで一時間近くもかかっていた。いつのまにか東名から首都高に入っている。


 ここからがこの行程最大の難関だった。首都高を乗り継いで常磐道まで行かなければならないのである。無事にたどり着けるのだろうか? うっかり乗り継ぎを間違えるととんでもないところに行ってしまうのだ。


 二度ほど間違えそうになりながらも、慎重に道路表示の看板とナビを頼りに、何とか常磐道の三郷までたどり着くことができた。


 後は南相馬まで一本道である。しかし俺の車に付いているナビには、常磐道は富岡までしか表示されなかった。十年以上も前の古いナビなので仕方のないことだった。


 富岡あたりから高速道路上に『空間放射線量』という見馴れぬ表示が目につくようになってきた。その値が高いのか低いのか、またその単位さえも俺には分からない。ただ、国がそう表示しなければならないほどのものなのだろうということは容易に想像できた。


 原発事故から四年半以上を過ぎても尚この状況である。福島の復興の難しさを改めて肌で感じる思いがした。


 富岡を過ぎると、ナビは道なき道を表示し始めた。あてにならないナビよりも、俺は道路表示を頼りに進むことにする。そして遂に南相馬インターに到着することができた。


 もう少しで昼の十二時になろうかという頃である。家を出てから約二十時間も経っていた。費用は高速代とガソリン代を合わせて約三万円も掛かった。バカにならない金額である。

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