初めての除染作業員

大木 奈夢

第1話  灼熱地獄

 肌とTシャツの間をだらだらと流れる汗の感覚ほど不快なものはない。

 暑いのにも限度がある。少なくとも俺はそう思っている。そんなことを思いながら、クーラーの効いた休憩室に飛び込んだ。


 八月十五日。世間では夏休みである。或いはお盆の中日ということで、仕事をしている人はほとんどいない。


 八月十五日というだけでも、普通の暑さなら十分に伝わることだろう。しかしこの暑さは尋常ではなかった。

 炎天下の太陽熱だけではないのである。幾重にも重ねた耐熱耐火煉瓦を通してでさえ、路面温度は五十度を越えているというコークス炉の上でもあるのだ。足下の炉内では二千度近くになっている。

 路面から一メートル上での測定でも、四十度を越えることがしばしばあった。正に上下からの灼熱地獄と言える。


 そんな環境では二十分が限度だった。結局二十分間仕事をして休憩室に飛び込んだのである。


 ヘルメットの下に頬かむりをしていたオレンジ色の防炎タオルは、風呂場でタオルを搾るのと変わらないほどになっている。


「山田さん、この仕事が終わってしまったらどうするのですか?」

 俺は同僚の山田さんに声をかけた。

 山田さんは厚手の上衣を脱ぎ、その下のTシャツも脱いで汗を絞っている。


 何故この暑い中で厚手の上衣を着ているのか? 薄手の作業着では万が一の時、火傷をしかねないということだった。それほど過酷な環境なのである。『RESCUE』と表記された防炎タオルを支給されたことにも頷ける。


「松田さん、俺は福島に行こうと思うんだ」

 山田さんは絞ったTシャツを椅子の背に掛けながら答えてくれた。

「え、福島ですか? どういうことですか?」

 関西から福島はあまりにも遠く、そんなところに何をしにいくのかと素直に疑問を感じたのだ。 


「除染作業員って知ってる?」

「原発事故の後のあれですか?」

 何とも歯切れの悪い、いい加減な返事をしてしまった。勿論、除染作業員という言葉は知っている。

 福島の原発事故後、放射能で汚染された地域を除染するという漠然とした知識である。でも具体的なことはなにも知らない。ただ福島第一原発の、屋根を吹き飛ばされた無惨な建屋のテレビ映像だけは目に焼き付いている。約四年半前の記憶だった。


「実は五月に除染作業員として福島に三日間だけ行っていたんだ」

「え、たった三日間だけですか?」

 せっかく福島まで行きながら、三日間だけというのはあまりにも短すぎる。何があったのだろうと疑問に思った。

「いや、行ってはみたのだけど話が全然違っていたので、会社と喧嘩して三日で帰ってきてしまったんだ」

「話が違うって?」

「無料の宿舎が一人一部屋ということだったのに、行ってみると六畳に二人とか三人になると言うんだ。これじゃあ、まるで蛸部屋だろ」

「それは酷いですね。でもそれならどうしてまた行くのですか?」

 当然の疑問だと思う。俺だけではなく、誰が聞いてもそう思うのではないだろうか。


「それがその時一緒だった人とまだ電話でやり取りをしているのだけど、他の会社に移ってかなり良い条件で働いているらしいんだ」

「悪い会社もあれば、良い会社もあるのですね」

 その時は他人事だったので『まあ、そういうこともあるのだろうな』という程度に聞いていた。


「それならもう一度行ってみようかと思っているんだけど、松田さんも一緒にどうだろうか?」

「え、俺も?」

「知らない土地に行くのだから、知り合いがいた方がお互いに何かといいかと思って」


 意表を突かれた申し出だった。しかしそれが胸に突き刺さった。

 正直、九月末に終了してしまう今の仕事の後はノープランだった。早く次を決めなければと焦ってもいた。


「いいですよ。山田さんと一緒なら」


 俺は深く考えることもなく、自然とそう答えていた。

 一人だけだと心細いのだけれど、この人と一緒だったら……甘えのようなものもあったのかも知れない。


「リンクも行くと言っていたので、三人一緒だな」

 リンクというのはモンゴル人である。外国人特有な発音に癖はあるものの、特に日常会話で不自由はない。外見は元横綱の朝青龍にそっくりだった。


「知り合いからの情報だと、宿舎は無料で一人一部屋、食事は朝夕千円程度で付いているってことなんだ」

「でも、その条件だと賃金が安いんじゃないですか?」

「いや、会社によって違いはあるけど、だいたい日給にして一万五千円から一万六千円位が今の相場らしいよ」

「え、そんなに貰えるの?」

「これでも少なくなった方で、以前なら二万円以上はざらにあったらしいよ」

 それを聞いて俺は愕然とした。今の過酷なコークス炉でのアルバイト的仕事は、日給にして約八千円である。今の約二倍に相当する。


 五十を大幅に越えた求職者にとって、今住んでいる地域では有り得ないことだった。月給二十万円程度の求人でさえ、何十社も応募しながら不採用となっている。俄然除染作業員というものに興味を持ってしまった。いや、もう行くしかないとさえ思い定めていた。


「福島や郡山や二本松、飯館や田村や山木屋、他に南相馬などもあるのだけれど、松田さんは車があるから、休みになったらどこにでも一緒に遊びにいけるね」

 山田さんは車の免許がないのである。元々なかったのか、それとも停止になったのかは定かではない。

「福島で何をして遊ぶのですか?」

「郡山に行けば何でもあるよ。なんせ福島で一番の繁華街だからね。ソープでもヘルスでも選り取りみどりだよ」

 山田さん、そこまでは言わなくていいです。俺も妻子ある身なので、そこまで調子を合わせることはできません。でも楽しそうな雰囲気だけは伝わります。


 結局俺は

「山田さん、福島に一緒に行きましょう」と答えていた。

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