第19話 進化系ゾンビ

 乙葉はベッドの上で震えながら、扉の向こうから聞こえてくる格闘しているらしい激しい物音に集中していた。そしてその音が止んだと思うと、ドアが開いて姿を現したのは懐中電灯を持った椿だった。


「椿さん!」


「大丈夫? 歩ける?」


「はい!」


 乙葉は健気に笑顔を作り、いつものように胸の前で握り拳を作って見せる。そしてそのまま椿に腕を引っ張られて廊下へ出ると、あのプロレスラーのような巨体の少年の姿はもう見えなかった。


 椿にいろいろと質問をしたかったが、階下からは少年たちのヒステリックな騒ぎ声と忙しく動き回る足音が聞こえてくるので、そんな悠長なことをしている暇はないと察し、乙葉は引っ張られるままに椿の後をついていく。

 そうして連れてこられたのは廊下の奥にあるまどかと椿の部屋だった。

 窓から下を覗くと、脱出用のはしごの下にまどかの姿があった。


「まどか先輩!」


「乙葉ちゃん大丈夫だった!? ごめんね、怖い思いさせちゃって……」


「早く下へ」


 そう椿に急かされて乙葉ははしごを降りていこうとするが、椿は廊下の方へと戻って行ってしまうので慌ててその背中に声をかけた。


「――つ、椿さんは来ないんですか?」


「私はまだやり残したことがあるから。あとで合流する」


 そう言ってドアを閉めて行ってしまった椿を複雑な顔で見送ると、乙葉は慌ててハシゴを降りた。


「先輩、私……」


 まどかの顔を見て気が抜けたのか、乙葉の瞳からぼろぼろと大きな涙の粒がこぼれ落ちていく。


「よく頑張ったね乙葉ちゃん。でももうひと踏ん張りだよ!」


 まどかは乙葉の肩を元気付けるように抱きしめたあとで、はしごを塀に立てかけて「行くよ」と塀を乗り越えた。




 椿が一階へ降りていくと、玄関ホールを陣取っているキョンシー軍団の中心で姫が啖呵を切るところだった。


「――よくも私たちの神聖な桜の園を土足で踏み躙ってくれたわね! 今すぐここから立ち去って金輪際私たちに関わらないと約束するのなら、この狼藉も水に流してやっていいわっ。しかしそれでもここに居座るってんなら地獄を見る覚悟はしなさいよ、今の私はめちゃめちゃキレてるんだからっ!」


 姫が言い終えると同時に廊下の奥と個室に隠れていた何人かの少年たちが、情けない声を上げて玄関から中庭へと飛び出して霧の中へと消えていった。


「お、おいお前ら……! アキラっ、アキラどうするんだよ!?」


 階段の下で呆然としていた大悟は逃げ出した後輩たちを見て我に返ると、ふらふらと頼りない足取りで食堂の中へと駆け込んで行った。

 その姿を見届けながら姫と椿はコソコソと言葉を交わす。


「乙葉ちゃんは?」


「無事よ。いま先輩と待ち合わせ場所に向かっている」


「そう、よかった。で、先輩はさくら寮はもう捨てるって言ってたけど、こいつらどうする……?」


 椿はその質問には答えずにすたすたと一人で食堂の中へと入っていく。


「ですよねえ。さすが我がソウルメイト!」


 と、姫は嬉しそうに指を鳴らして欽ちゃん走りでその後に続いた。

 中にはまだ十人近い少年たちが居て、手にはそれぞれ金属バットやバールのようなものを持ち、怯えた表情を浮かべながらもまだ戦意が消えていない目で二人の少女を睨んでいる。


 その中央に車イスに座って鎖で繋がれたシュウが居て、その後ろには隠れるようにしてすっかり怯えた顔をして巨体も形無しの大悟と、いまだ怒りと悔しさに顔を歪ませているアキラが居た。


「な、なんなんだよおめえらは!? ゾンビを操るとかマジかよ、普通じゃねえだろ……!」


 そのアキラの無念を感じ取ったかのように、車イスに縛り付けられているシュウが暴れ出した。痙攣でもしているみたいに身体を何度も仰け反らせて鎖を解こうとしている。

 そして遂には口に嵌められていた大型犬の首輪を噛み千切って、凶暴な肉食獣のような雄叫びを上げた。

 その迫力にアキラ以外の少年たちが恐る恐ると車イスから離れて、固唾を飲んで遠めに見守った。


「ああ、わかるよシュウ。悔しいんだよな、あんな糞女どもに舐められて。俺も腸が煮え返るくらい悔しいよ。おまえなら、この状況をひっくり返せるのかな……」


 アキラは絶望した顔でシュウの座る車イスを自分の方へと向けた。


「どうせ、こんな世界じゃ誰も生き残れっこねえさ。それならば……」


 と、アキラはシュウの身体を縛り付けていた鎖の南京錠を外した。

 そして鎖がじゃらじゃらと音を立てて床に落ちるとともに、シュウはアキラの首筋に噛み付いていた。首の肉が食い千切られて鮮血が噴水のように噴出して天井を赤く染め上げる。


 その凄惨な光景に少年たちが悲鳴を上げて逃げ出そうとするが、シュウが俊敏な肉食獣かの動きを見せて次々と飛び掛っていく。ある者は首を捻じ切られ、ある者は貫手で心臓を貫かれ、ある者は顔面の肉を食い千切られていた。

 とてもゾンビとは思えない素早い身のこなしで一方的な殺戮が繰り広げられて、一瞬にして不良少年たちは血の海に沈んでいた。


「ち、ちょっとどういうことなのこれ……!?」


「わからない……」


 動揺している椿と姫の前で、少年たちを皆殺しにしたシュウが血に染まった顔で二人の方を振り向いた。真っ赤な双眸から凶暴すぎる殺気があふれ出している。


「――逃げて!」


 危険を察した椿が叫ぶとほぼ同時にシュウが弾かれたように天井へ飛び移ったかと思うと、天井を蹴って加速をつけて一気に二人の前に躍り出てくる。そして姫を取り囲んでいた一体のキョンシーの頭部を貫手で破壊して、そのまま姫の首筋に手を伸ばした。


「え――!?」


 その機敏すぎる動きに姫の肉体はまったく反応できていなかった。

 しかし椿が電光石火の動きでシュウの脇腹に水平蹴りを放つと、シュウの体が吹き飛ばされて食卓の上でバウンドして壁に叩きつけられた。

 そのとてもゾンビとは思えない想像を超えた速さと身体能力に呆然としていた姫が我を取り戻して筆を振ると、残りのキョンシーたちが二人の前に三重の壁となって整列する。


「――こ、こいつなんなのよ!?」


「わからない。けど圧倒的に不利……」


 椿の言葉に、死体の海の中から殺された不良少年たちのうちの何人かがゆらゆらと立ち上がりかけていることに姫も気付いた。その中にはアキラと大悟も含まれていて、血まみれの青白い顔に真っ赤に充血した瞳をギラつかせて低い唸り声を上げている。


 そしていつの間にかシュウも立ち上がって二人に血まみれの歯をむき出して威嚇している。腰を落とし、両手をぶらりと垂らしているさまは獰猛なゴリラを連想させた。先ほど見せた跳躍といい、普通のゾンビと違うことはその身のこなしからも一目瞭然だ。


 しかも二人を更に絶句させたのはゾンビ化した少年たちもシュウのように四足歩行に近い姿勢でばらばらと散らばり、二人に襲い掛かろうと様子を伺い始めたことだった。

 全部で六体。見るからに今までのゾンビとは違う異様な空気を発しているゾンビたちがじりじりと包囲網を縮めてくる。


「こりゃまどか先輩怒ってるかな……?」


 姫は泣き笑いの引きつった顔を浮かべた。


「でも集合場所に連れていくわけにはいかない。ここで食い止めるしか……」


 椿はジャージのファスナーを静かに開けながら呟いた。


「私が食い止めている間に、キョンシーを連れて一0一号室に駆け込んで。早く!」


「わかった!」


 姫がキョンシーを引き連れて廊下へ向かって走り出すと、それに反応してゾンビたちが一斉に跳躍をした。

 椿は後退しながら脇腹に仕込んであったスローイングナイフを、人間離れした正確無比の動作で六方向に向かって同時に投げつけた。


 しかも驚くべきことに六本のナイフは、高さもスピードもバラバラに飛び掛ってくるゾンビたちの眉間を寸分違わずに正確に捉えている。

 二本のナイフが見事に空中でゾンビの眉間を捉えて脳みそを破壊することで活動を停止させたが、残りの四本はかわされたり払いのけられてしまい、そのまま四体のゾンビが猛然と椿に襲いかかる。


 椿は透かさず両拳を腰に添えて体内の空気を一気に吐き出した。吐き出される大量の呼気が声帯を揺るがして、椿の口から「ハァァァァ……ッ」と音が漏れていく。

 空手や合気道で広く利用される複式丹田呼吸法で精神を一気に一点へと集中させ集中力を高めると、アドレナリンが体内を駆け抜け、体感時間の流れが急激に遅くなり、それと同時に視界がぐんと広まり、動体視力が暗闇の中でも四体の動きを捉えて離さない。


 まず椿は襲い掛かる四体に自ら接近して一番先頭の少年ゾンビの胸板を蹴って弾き飛ばすと、その反動を利用して後方宙返りで残りの三体との間合いを広げて、続いて左から回り込んできた大悟の首根っこを掴んで流れるような動きで合気道の回転投げを繰り出して、右側から迫っていたアキラに向かって投げ飛ばす。二体が床にもつれ合って倒れた横で、最後は真っ直ぐに突進してきたシュウを、摺り足の回転運動でひらりと交わして、そのまま遠心力を上乗せして背中に中段蹴りを放って壁へと叩きつけた。


 見事に四体の連続攻撃を捌ききると、椿は踵を返して一0一号室へ向かって走った。部屋に飛び込むと同時にドアを閉めてカギをかける。

 そして何か言いかけた姫よりも早く、


「そこにある工具を取って!」


 と、ドアを押さえたまま言った。

 姫から工具を受け取ると、椿はハンマーとクギを取り出して床に放置してあるベッドの部品をドアに打ち付け始める。それを見て意図を察した姫も手伝い始めるが、ドアは外側から激しく叩かれて今にも壊れそうだ。


「もう、なんなのよあいつら!? 走るどころか人間の身体能力を遥かに超えてるじゃない。それこそキョンシーの言い伝えのまんまよ。そのうち空も飛べる奴が出てくるんじゃないの!?」


「笑えない冗談。でもゾンビの生態が少しわかった。成長には何段階かのレベルがあって、成長したゾンビに噛まれるとそのまま成長度合いも引き継いでいく。少々――いえかなり厄介」


「確かにそれだとゾンビの爆発感染が押さえつけられなかった説明が付くわね。時間が経つとともに手強いのが加速度的に広まっていく。つまりこのパニックはこれからが本番ってことじゃない……!」


「とにかく、ここからは別行動。あなたがここで囮になって私が外に回って各個撃破する」


 椿はベッドのパーツを全てドアに打ち付けると、机の下のパニックルームへと潜り込んだ。


「各個撃破って――そんなこと出来るの!?」


「出来なくてもやるしかない。たぶんバリケードは十分ももたない。それまでに私が全部を倒せなかったら、その時は自分の身は自分で守って」


 それだけ言い終えると、椿の姿は床下に隠れてしまい見えなくなった。


「な、なによ、かっこいいじゃない。ちょっと悔しい……」


 姫は親指の爪を噛みながらもどかしそうに呟いた。




 椿は床下の換気口から中庭へ出ると、ショルダーバッグからキャロラインを取り出してバッグを放り捨てると忍び足で玄関へと回った。

 暗闇の中にドアを激しく叩く音が響き渡っている。

 玄関ホールを進み、廊下を右に曲がればすぐ一0一号室だ。スローイングナイフはもう持ち合わせていないので、必然的にキャロラインでの接近戦となる。


 しかも相手は四体。身体のどこかを掴まれてしまった瞬間にジ・エンドとなる苛酷な戦いだ。

 しかし不思議と椿は落ち着いていた。

 自分がここで頑張ることによって姫が助かり、ひいてはまどかと乙葉の安全にも繋がっていく。

 そして今の自分にはそれを成し遂げることができる、神様から授かった妹の力ギフトがある。


 きっとその神様はお兄ちゃんの姿をしているに違いない。

 そう思うと不思議と心は落ち着き、全身に温かい力が漲ってくる。


 椿は壁際に沿って忍び足で玄関ホールの中ほどまで進むと、一気にダッシュして廊下を曲がった。

 まず一番最初に視界に飛び込んできた少年ゾンビの後頭部へ一気にキャロラインを全力で叩き込む。


 確かな手応えとともに足元から崩れ落ちる少年ゾンビ。

 と、同時にドアの前にたむろっていたゾンビの配置を瞬時に把握する。

 ドアの前に巨体の大悟、そのすぐ後ろにアキラのゾンビ。

 しかし事の元凶であるシュウの姿がどこにも見えない。


 その刹那、頭上から降下してくる鋭い殺気を感じて、椿は後ろへと飛び跳ねた。

 奇襲を察知していたのか、それとも一0一号室への侵入経路を探していたのかわからないが、天井に張り付いていたシュウが目の前に立ちはだかって両手を振り回して突進してくる。


 椿は冷静にそれをかわしながら、一瞬の隙を突いて左手に大きく跳躍をして壁を蹴ってシュウの背後へと回り込んだ。

 しかし倒れている少年ゾンビの頭部からキャロラインを回収する暇もなく、椿はそのまま手ぶらで階段を駆け上がるしかなかった。


 背後からは追いかけてくる足音が二つ。

 丸腰の椿には到底敵う数ではない。

 しかしまだ残された道があった。自室に戻れば武器のコレクションがある。

 二階に上がると、椿は全力で一番奥の部屋を目指した。

 背後から物凄い勢いで接近してくる二つの足音。しかも明らかにゾンビの方が移動スピードが速い。


 背中に獰猛な殺気の塊を感じて、椿は咄嗟に足からスライディングをすると、頭部ぎりぎりの高さを二体のゾンビが掠めていきもつれ合うようにして突き当たりの壁へぶつかった。

 椿はドアノブを掴んで廊下の上を滑る自分の身体を止めると、そのままドアを開けて部屋の中へと転がり込む。


 そして鍵をかけて枕の下からサバイバルナイフを取り出すと、今度はベッドの下から木製バッドを引きずり出した。しかも先端に何本もの釘が打ち込まれた釘バッドだ。通り名は真・撲殺魔烈棒ジャスティスホームランキングのミスター・ボンズ。自分と兄の歳の数と同じ本数の五寸釘を絶妙なバランスで打ち込んである、椿が夜な夜な丹精を込めて作り上げた必殺の最終兵器。


 ここが正念場だ。

 椿は机の上に懐中電灯を置いて光をドアに向けると、すぐさまドアへ駆け寄ってカギを外した。

 ドアが勢いよく開いたかと思うと、シュウと大悟が雪崩れ込んでくる。

 計画通りに二体は机の上の懐中電灯の光に釣られて部屋の奥まで突進していく。


 ドアの影に身を隠していた椿はその瞬間を狙っていた。

 がら空きの背後から巨体の後頭部を目掛けて一気に釘バットを叩き込む。

 が、すんでの所で椿の接近に気が付いたシュウが振り向いた弾みで、大悟の立ち居地もずれてしまい、釘バットは頭髪と頭皮を少し毟り取っただけで壁へと突き刺さってしまった。

 フルスウイングで壁に突き刺さったミスター・ボンズはびくとも動かない。


 咄嗟に椿は釘バットを諦めてサバイバルナイフを構えた。

 廊下へ後退しながら、襲いくるシュウの右腕を切りつける。

 四本の指が宙に舞ったが、痛みを感じないゾンビの猛攻は止むことを知らない。


 四本の腕が椿を捕まえようと、次から次へと暗闇の中を縦横無尽に襲い掛かる。

 だが椿は巧みな体捌きとナイフ捌きで次々と腕をかわしながら同時に指を切り落とし、身体を掴まれる危険を少しずつ排除していく。


 そして一瞬の隙を突いてシュウの右手首と右肘を掴むと、独楽のような回転運動に巻き込んでシュウのバランスを崩しつつ、同時にその体を利用して大悟の接近を寄せ付けずにそのまま床へと叩きつけた。


 椿の頭の中では先ほどの図書館で得た合気道の知識が鮮明に刻まれていて、考えるよりも早く身体が長年の修行を積んできた格闘家のように反応していた。これこそが椿に与えられた妹の力いものちからの真髄である。


 二体の猛攻のバランスが崩れて退路が開けると、椿はまた自室へと駆け込んだ。そして走りながらイスを掴んで窓へ投げつけると、続いて自分も一緒に窓の外へダイブする。

 割れたガラスとともに軽い身のこなしで華麗に裏庭へ着地すると、間髪入れずに調理場の勝手口へと向かって走った。

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