第15話 初めての遠征

 玄関ホールにはバイク用のヘルメットを被り白装束に身を包んだまどかと椿、姫が居た。

 ジャージの上から着ている、首から膝の辺りまで覆いつくしているマントと言うかポンチョ風の衣装は、椿がどこからか見つけてきた白い布で作ったもので、霧の中で姿を見つかりにくくする為のものだと言う。もちろんそれはこの前のDQNグループのような連中を想定してのことだが、万が一ゾンビにマントを掴まえられても、ボタン一つ外すだけで脱ぎ捨てることが出来るので逃げ出す隙を生み出せるかもしれないとのことだ。


 更に以前椿と姫の二人がホームセンターから持ち帰ったジェット式ヘルメットも保護色の白で塗り上げられている。

 そして二つある刺又にはドーマンセーマンが貼られていて、それを持ったまどかと姫が列の真ん中と殿を担当して、先頭を弓を抱えた椿が歩くことになった。


 さらに医薬品や生理用品をなるべく多く回収してくるための大き目の登山用リュックはまどかが背負い、椿と姫はそれぞれの荷物が入ったショルダーバッグをぶら下げている。調達物資の回収については現地でショッピングカートなりカゴなりを見つけて、そのまま持ち帰ってくることも考慮に入れてある。



 そして準備が整いいざ出発となった段階で、心配そうな顔で見送りに来ていた乙葉がすっと紙袋をまどかに差し出した。


「おむすびとお茶です。絶対に無理せず気をつけてくださいね」


「え? でも夕飯までには戻ってくるよ?」


「でもなにがあるかわからないですから持って行ってください」


「わかった。ありがと。かならず早めに戻ってくるからね。今日の夕飯は皆でぜんざいパーティーを開こう!」


「はい!」


 まどかが乙葉の頭を撫でると、椿と姫も心細そうな顔をしている最年少の後輩にそれぞれ声をかけて、三人は第一さくら寮を後にした。




 物陰に身を寄せて周囲の様子を伺いながら、霧に沈む国道に沿って三十分ほど歩いていると、先頭を歩く椿がすっと左手を上げた。

 その合図を元に、まどかたち三人は乗り捨てられた自動車の陰に身を潜めた。もうこれで何度目になるのかわからない。


 今日は風も弱く、有効視程はせいぜい3メートルほどと言ったところか。

 周囲を取り囲んでいる、まるで水槽の中に絵の具をぶちまけたような白く濃い霧の中からは、微かに何者かが歩く足音と低い唸り声のような呼吸音が聞こえてくる。


「右前方にゾンビの群れ……」


 椿はそう呟くと、持っていた弓を右後方に向かって構えた。矢の先端には携帯防犯ブザーがガムテープで括られている。


「いくよ」


 と、まどかが防犯ブザーの紐を引っ張る。耳を劈く(つんざく)百二十dBの電子音が鳴り響くと同時に、張り詰めていた弦がビュンと空気を切り裂いて矢を放った。


 電子音が矢と共に霧に吸い込まれていく。椿が立て続けに弓を構えて、同じ方向に今度はもっと高く防犯ブザー付の矢を放つと、右前方の霧の中から足音や唸り声がブザーの音につられて遠ざかっていく気配が聞こえてくる。


「右前方クリア――!」


 と、椿は囁くと中腰の忍び足で車の陰から飛び出していく。その後をまどかと姫も続いて、三人は霧に沈む国道を進んでいく。




 まどかは昨夜感じていた胸騒ぎもなんのその自分でも驚くくらいに気分は軽くなっていた。

 椿が用意した対ゾンビ用の防犯ブザー付き弓矢の効果は明らかであり、ゾンビとの接触を前もって回避できていたし、たまにイレギュラーで霧の中から現れたゾンビと鉢合わせすることもあったが、そんな時には今度はドーマンセーマンの威力が最大限に発揮されて、初めてその効果を目の当たりにしたまどかは、まるで真っ二つに割れた海を突き進むモーゼの気分を味わっていた。


 このペースならばあと一時間もあれば目的の薬局までたどり着けるのではないのか。

 そんな明るい見通しに気分も足取りも自然と軽くなっていく。途中で誰かが走り去る足音や、男性の怒鳴るような声がどこからともなく聞こえてきて、物陰に息を潜めて様子を伺うこともあったがそれ以外は至って順調だった。


 そして寮を出てから一時間半を少し回ったころには、まどかたち三人は目的の薬局へとたどり着いていた。

 チェーン店のドラッグストアは歩道に面して駐車場があってその奥に店舗がある。乗り捨てられている車や倒れたまま放置してある自転車の間を慎重に進んでいく。店へ近づくにつれて、地面のアスファルトにトイレットペーパーや買い物カゴが散乱し、その先に半分だけ開いているシャッターが姿を現した。


 まず最初に椿が懐中電灯片手に中の様子を伺って、中に誰も居ないことを確認してからまどかと姫があとに続いた。姫はシャッターをくぐると、ショルダーバッグからドーマンセーマンを取り出してシャッターに貼り付けた。


 店内は散々荒らされた後だったが、それでもまだ医薬品の方は食料品の棚のようにすっからかんではなくそこそこ残っている状態で、まどかと椿が医薬品をリュックに詰め込んでいき、姫が生理用品やトイレットペーパーを買い物カゴへと入れていく。


「――凄いわ、こんなに大量ならリヤカーを持ってくればよかったね!」


 姫が嬉々として集めた商品は買い物カゴ三つ分もあり、それを見た椿が呆れたようにため息をついた。


「……あなた、それ全部持っていくつもり? 刺又はどうやって持つの?」


「あら大丈夫よ。みんなが一つずつ持ってば、残りは刺又と一緒に私が持てばいいんだから」


「でもそれじゃあもしもの時に反応が遅れるかもしれない」


 椿と姫は表面上は冷静に見えながらも、自分の主張は決して曲げないという空気を全身から発していたので、まどかが苦笑を浮かべて二人の間に割って入った。


「はいはい、そこまで。まだリュックに余裕があるから詰め込めばカゴは一つにできるでしょ。それを真ん中を歩く私が持てば解決でしょ。ね?」


 その提案に椿が渋々と頷き、姫も肩をすくめて見せた。


「すみません。でも、みんなも必要なものだから……」


「わかってる。はい、姫ちゃんも手伝って」


 まどかと姫がリュックに商品を詰め込むのを横目に見ながら、椿は懐中電灯で辺りを照らして警戒していた。それほど大きな店ではないので、外から店内を覗いた時に中に誰も居ないことは確認出来ていたが、店内をくまなく確認したわけではない。


 現に店の奥の暗がりには中央にバックヤードへ続くドアと、そこから少し離れた右側に事務所のものらしきドアの二枚が見えるがそれらの中は確認していない。


 椿はその二つのドアに交互に光を向けながら全神経を店内の奥へ集中していた。

 そして懐中電灯をバッグヤードのドアから事務所のドアへ移した時に、LEDの白色光の反射の仕方に微妙な違いが生まれたことを椿の視界は見逃さなかった。


 慌てて光をバッグヤードのドアへ戻した時に、既にドアは開け放たれて一つの人影が一直線に突進してくるところだった。

 距離にして約七メートル。


「誰か居る!」


 椿が正面を向いたまま、まどかと姫に向かって叫んだ。

 懐中電灯に一瞬照らされた何者かは、白衣を着た男性だった。恐らくこの店の薬剤師だ。しかし白衣は血痕で汚れ、男性の口の周りも赤く血で染まっている。


「――ゾンビが走っている……!?」


 椿の顔が激しい動揺に染まった。


「でもゾンビでしょ!」


 姫が叫ぶ。同時に刺又を構えて立ち尽くしたままの椿の隣へ並び立つと、椿も我に返って刺又を構えた。

 二つの刺又の先端に貼られたドーマンセーマンが、ゾンビに向かって突き出されると、二人の直前にまで迫っていた白衣のゾンビの動きがピタリと止まった。

 まるで目標を見失ったみたいにキョロキョロと周囲を見回している。

 しかし振り回していた両手が姫の持っていた刺又に触れると、その拍子にがっしりと掴んで刺又を奪い取って放り投げた。


「しまった!」


 その姫の声に反応したのか、白衣ゾンビが姫に向かって襲い掛かる。

 それを見て椿がすぐさま刺又をゾンビの顔の前へ突き出した。

 しかし白衣ゾンビの動きは一瞬だけ躊躇したように止まっただけで、すぐさま低い唸り声とともに両腕を闇雲に振り回した。そして刺又に触れてまた同じように奪い取ろうとしたが、今度は椿がぐっと腰を下ろして踏ん張った。


「こ、こいつ違う! 今までのゾンビとまったく違う! 刺又を認識しているし、ドーマンセーマンの効果も弱い! 今のうちにここから逃げて!」


 と、椿がまどかと姫に向かって叫んだ。懸命に刺又を奪われないようにしていたが、その小さい身体は右に左にへと振り回されている。もはや堤防の決壊は時間の問題だ。


「バカ! あんた置いていけるわけないでしょ!」


 姫が椿と一緒に刺又を握る。それを見てまどかも慌てて加わった。


「わ、私も手伝う!」


 三人となったことで漸く力が拮抗した。しかし事態はなにも好転していないことも事実だった。


「――でもこれからどうするの!? こんな力比べをしてても私たちの体力が無くなる方が早いに決まってる!」


 その姫の泣き言に答えたのはまどかだった。


「私に考えがある! 合図するから一斉に刺又を放して! いい? 行くわよ。せぇーのー、で!」


 三人が同時にぱっと刺又を放したせいで、白衣ゾンビがバランスを崩した。

 そして、


「うああああああああああっ!」


 と、まどかがやけくそ気味に叫びながら白衣ゾンビへと向かっていく。そのまどかの無謀とも思える行動に、椿と姫の顔面から一気に血の気が引いていく。


 まどかはラグビーのタックルの要領で頭からゾンビへと突っ込み、ジェットヘルメットの頭頂部をゾンビの腹部へ叩き込むと、ゾンビともつれ合うようにして床へと倒れこんだ。


「い、今のうちに逃げて!」


 まどかが起き上がりながら叫んだ。しかしゾンビががっしりと右腕を掴んで放さない。掴まれたのが白のポンチョだけなら脱げば何とかなったが、ポンチョの上からがっしりと手首を掴まれていてびくともしない。


 白衣ゾンビが自分の右手を目掛けて噛み付こうとしたのを見て、まどかは咄嗟にヘルメットで頭突きを放った。

 白衣ゾンビの鼻が折れ曲がり、どす黒く腐ったような鼻血を噴出したがいっこうにひるむ気配を見せない。


 まどかは無我夢中になってゾンビと自分の右手の間に頭を突っ込んだ。ヘルメット越しにガリガリとゾンビが噛み付く音が聞こえてくる。


「い、いや……!」


 まどかが死を覚悟した瞬間、ヘルメットの透明カバー越しに見えていたゾンビの顔に白い筋が走った。

 それは奇妙な文字が書かれている長方形の半紙だった。それがゾンビの額から口の辺りまでを覆っている。


 そして一瞬遅れて、今度はソンビの頭頂部へ何かが激しく突き刺さったかと思うと、返り血がまどかのジェットヘルメットのプラスチックカバーを真っ赤に染め上げた。


「ひゃあっ!」


 まどかは思わず身震いしながら叫んだ。


「先輩大丈夫!?」


 と、姫の手を借りて起き上がると、まどかは床の上でぐったりとしているゾンビを怖々と見下ろした。


「し、死んだの……?」


「頭部を破壊するのはお約束ですから……」


 と、椿がゾンビの頭から葬送鉄杭殺戮指揮者デス・オーケストラコンダクターのミス・キャロラインを引っこ抜いて冷静な口調で答える。


「でも椿、そのキャサリンとか言う武器は周りをよく見て振り回しなさいよ。今は私の霊符の方が早かったんだから無理にそれを使う必要はなかったでしょ!? それにもし私の手に当たってケガでもしていたらどうすんのよ。しかも私まで返り血浴びちゃったじゃない!」


 よく見ると姫もヘルメットやポンチョが血で汚れている。まどかはヘルメットを脱いでまじまじとカバーに付いている血を見つめた。

 これでもしヘルメットを被っていなかったらと思うと、背筋に冷たいものが流れた。


「……今のはキャロラインがバッグに引っかかってタイミングが遅れたから。少し反省はしている。でもあなたのお札も三十秒しか効果がないから、結局キャロラインは必要だった」


「ていうか、いい加減に私のこと名前で呼びなさいって言ってるでしょ。いつまでも他人行儀なんだから。それに私だって練習の成果で霊符の効果の時間は長くなってるわ。椿だって知ってるくせに」


「でもこのゾンビは他のとは違った。走るし刺又も認識していたし、ドーマンセーマンも効果が薄かった。だからやっぱりキャロラインは必要だった」


「はいはいキャサリン最強最強。これで文句ないんでしょ? 私だって霊符の効果をじっくり観察したかったのに!」


 二人の口喧嘩なのか自慢合戦なのかわからない会話も区切りがついたみたいなので、まどかは苦笑しながら疑問をぶつけてみた。


「も、もしかして、二人がコソコソしてた理由ってこれのこと……?」


「そうでーす。二人でゾンビ対策における効果的かつ有効な手段を模索、実践してましたぁ」


 と、姫がまるで年中バーゲンセールをしているお店を探していたみたいに楽しそうな口調で答えたのとは正反対に、椿は姉にいたずらが見つかった妹みたいにもじもじとしていた。


「……せ、先輩には、その、なんて説明していいのかわからなくて……」


「別に怒る気はないよ。今だって二人が居なかったら危なかったんだし……。ただ、どうせ二人で危険なことしてたんだろうなぁと思うとゾッとしただけ」


 と、まどかが深いため息をついて天井を仰ぐと、姫がへへへっと頭をかき、椿が俯いて恐縮している。

 すると、突然出入り口のシャッターに何かがぶつかった音がしたので三人が一斉に振り返ると、そこには男性警官とスーツ姿の女性が立っているのが見えた。顔や着衣の汚れでゾンビとすぐわかる。


 三人がいま立っている場所は、間に棚も何も無く出口から丸見えなので、不良グループや暴漢だったら姿が見られた時点で面倒くさいことになっていたかもしれない。

 まどかと椿は安堵と警戒心を滲ませた顔で身を固くしていたが、姫だけが予想以上に驚きの表情を浮かべていた。


「そ、そんな……シャッターにはドーマンセーマンが貼ってあったのに……どうしてなの?」


 姫が震える声で呟いた。

 そしてどうやら二体のゾンビは三人のことが認識出来ていないようで、どこへ向かえばいいのかわからないと言った感じに、出口付近でゆらゆらと立ち尽くしていた。


「たぶん私たちのことが見えてないから、今のうちに音を立てずに裏口へ」


 椿のその提案にまどかと姫が頷いた。椿が先頭になり腰を屈めてバックヤードへ向かう。すると、一番最後尾で後ろ歩きになってゾンビを警戒しながら二人の後についていた姫が叫んだ。


「ちょちょちょ、走った! また走ってるううううううううっ!」


 その声にまどかが振り返ると、二体のゾンビがこちらに向かって全力疾走している姿が映った。


「ふぁっ!? もうなんなのこいつらぁ!?」


「早くこっちに!」


 既にバッグヤードにたどり着いていた椿が呼んだ。その声に弾かれたように駆け出すまどかと姫。

 そして二人が転がるようにしてドアを潜ると、椿は素早く二枚のドアを閉めてコの字型のドアノブに刺又を突き刺した。


 直後、鈍い音とともに二枚のドアが押されて開きかけたが、かんぬき代わりの刺又のおかげで何とか持ち堪えることができた。

 ゾンビたちは獣のように唸りながら、ドアとドアの隙間から両手を突き入れてまどか達に掴みかかろうとしている。それほど太くもない刺又では横からの圧力に長くは持ち堪えられそうにない。


「と、とにかく今のうちに外へ行こう……」


 まどか達は血の気を失った青ざめた顔で、足早にドラッグストアを後にした。

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