第14話 死は進化への入り口

 夕食の後は、いつもみんなで集まってミーティングと言う名のお喋りタイムだった。各自が思っていることや意見を述べる大切な時間。

 口火を切ったのは珍しく椿だった。


「前から心配していたんですけど、もしもの時に備えてそろそろ医薬品を調達しておいた方がいいと思います」


「なんで? 防災倉庫のなかに医療用キットがあったじゃない。管理人室に救急箱もあるし」


 と、すぐさま姫が素朴な疑問を口にする。


「あれはただの救急キットで中には包帯や絆創膏、ガーゼくらいしか入っていないし、救急箱の方も風邪薬と生理痛の痛み止めしか入っていなかったから。それにこの手のものはストックはあるだけあっても邪魔にはならない」


 椿は相変わらずあまり表情を顔に出さず、喋る時もボソッと話すことが多いが、皆もう慣れてしまっていた。現に一時期はどうなることかと思った椿と姫の仲も思った以上にうまく行っている。この二人は水と油という相容れない仲ではなくて、水と氷だったのだろう。同じ成分だが環境の違いで形が違っていただけで、基本は同じなのだ。

 まどかがそんな事を考えながら二人の会話を聞いていると、突然姫が振り返って、


「そう言えばまどか先輩、生理用品の予備欲しくないですかぁ?」


 と、明け透けに聞いてきたので、まどかは飲みかけていたお茶を噴きそうになった。


「た、確かにそれは必要だけど……」


「ねえねえ、乙葉ちゃんも欲しいでしょ?」


 姫は今度は乙葉に話を振る。本人にはまったく悪気のないところが、いつも元気な彼女らしい。


「わ、私は……その、まだ……なので……」


 乙葉がいまにも湯気が噴き出しそうなくらいに耳まで真っ赤にして俯く。しかし姫はそんなこと一向に気にしていないようだった。


「ねえまどか先輩、ここ女子寮だったんだからと思って、私一応空き部屋を探して見たんだけど、そんなに集まらなかったんですよねぇ。たぶん無期限休校だからみんな実家へ持って帰っちゃったんですよ。こんな今の生活だと幾ら予備があってもいいくらいですよ?」


「ちなみにこの前ホームセンターへ行った時に確認しましたが、火事の影響で使えそうなものはありませんでした」


 と、椿が付け加える。


「……確かに実は私もそれはずっと気にはなっていたんだけどね。ねえ椿ちゃんここから一番近い薬局と言えばどこだっけ?」

 と、まどかは椿を見ると、彼女は管理人室から地図を持ってきてそれをテーブルの上に広げて淡々と説明を始めた。


「ここから一番近い薬局は、コンビニの通りを駅の方に向かっていく途中にある個人経営の店が一軒。でもここは火事で全焼しているのは確認済みなので、そうなると更にそこから二・五キロほど進んだ先のチェーン店が一番近いです。寮からだと三キロ半から四キロの距離になります」


「たった三キロと思うか、四キロもあると捉えるべきか。うーん、この微妙なラインが絶妙すぎるな……」


「まどか先輩、そんなに悩むことないですよ。私と椿の二人でダッシュで行ってダッシュで戻ってきますから。ね?」


 と、姫はどや顔でどんと胸を叩いて椿に同意を求めたが、椿は首を振り、


「さすがに四キロ弱の距離だとダッシュは無理。霧もあるのに」


「バカ、ただの例えよ例え。もう変なとこで真面目なんだから」


「それに街の中心により近くなるから、ゾンビや暴徒化した人間に出くわす確率も必然的に高くなる」


 その椿の発言を聞いて、まどかが意を決したように口を開いた。


「わかった。じゃあ今回は椿&姫の二人に加えて私も付いていくわ」


「え!?」と残りの三人が驚きの声を上げた。なかでも一際驚いていて涙目になっているのは乙葉だ。


「え!? え!? え!?  それじゃあ私はどうなるんですかあ!?」


「一緒に来るか、ここで留守番しておくか、乙葉ちゃんが自分で選べばいいよ」


 そのまどかの返事を聞いて、乙葉はさらに困惑したようにテーブルの上に突っ伏した。


「そ、そんなぁ、外はゾンビ、中は一人で留守番……どっちも地獄ですぅ……!」


「私は留守番でいいと思う。ここに居れば九十九パーセントの確率でゾンビに会わなくて済むし、万が一この前の不良グループみたい連中が来ても、頑丈なバリケードがあって逃げる時間も十分稼げるから」


 と、椿が冷静に言うと、今度は姫が励ますような口調で乙葉の肩を叩く。


「たぶんどんなに遅くても四時間くらいで戻ってこれると思うわよ。お昼過ぎにここを出ても夕方には戻って来て、みんなで夕食食べてるわ絶対に」


「うう、では私は留守番ということで……。でもほんとにほんとに早めに戻ってきてくださいよぉ! ウサギ同様に人間だって寂しいと死んじゃうんです。特に私はそうですからね!」


 乙葉の可愛らしく切羽詰ったように哀願する声と、まどかたちの優しい笑い声が食堂中に響き渡った。




 ベッドに入りランタンの灯りを消すと、暗闇の中から椿の声が聞こえてきた。


「……先輩、ほんとに明日は一緒に来るつもりですか?」


「そうよ。なに? 姫ちゃんと二人きりのほうがよかった?」


「まさか。私、ずっと寮からせいぜい一、二キロ圏内で動き回っていたから、ほんとにその先の状況が読めなくて……だから先輩がそういう危険なところに行くのはあまり賛成できないというか……」


「だから私も一緒に行くの。何があるのかわからないところに後輩二人で行かせるなんて心苦しいもの。気持ちは椿ちゃんと一緒よ。それに二人がなにをコソコソやっているのか気になってたしね」


「き、気付いてたんですか!?」


「当たり前でしょ。帰ってきてからも二人で何やらヒソヒソ話してるし誰だって気付くわよ」


「別にやましいことじゃないんです……ただ、なんて説明すればいいのかわからなくて。でも明日は先輩にも見てもらえると思います」


「そう、それは楽しみにしておくよ。じゃあ、もう寝ようか。明日は久しぶりに疲れそうだから……」


「はい」


 しかし、まどかは暗闇のなかでずっと天井を見上げていた。何やら嫌な胸騒ぎがしていた。ざらざらとした肌触りの黒い塊が胸の底で蠢いていて、その晩はなかなか眠りにつけなかった。




 アキラは氷川大悟を引き連れて、四階の廊下の一番奥の部屋へと来ていた。後輩たちは三階の一室に集まって、「狩り」で手に入れた数人の少女たちを肴に連日の酒盛りで盛り上がっていた。

 階下から聞こえてくるその楽しそうな騒ぎ声も、二人が居る廊下の一番奥の暗がりでは別世界の出来事のようだ。


「……ちょっとハメを外しすぎだな。あれじゃここにゾンビが集まっちまう……」


「ああ、あとでキツく言っておく。それより本当にシュウに会って大丈夫なのか……?」


「俺の双子の弟だぜ? 別に噛みつきゃしねえよ」


 アキラは意味深な笑みを浮かべると、持っていたカギでドアをそっと開けて、懐中電灯で中を照らした。

 LEDの白色光に照らし出されたのは壁際に立っている一つの人影だった。しかし両腕と胴体が太い鎖でぐるぐる巻きに巻かれていて、更に全身の衣服は出血痕で汚れている。


「はは……ほんとにこれがシュウなのかよ。無様な姿になっちまいやがって……」


「そうでもないさ」


 アキラは怒りと悲しみの混じった顔を歪ませて、懐中電灯を激しく揺さぶった。八畳間ほどの広さの部屋の中に白と黒の光と闇が入り乱れると、それまで置物のように立ち尽くしていたシュウが突然怒り狂ったように、懐中電灯の光に向かって突進してきた。


「ひいっ!」


 大悟のプロレスラーのような巨体が慌てて後退り、尻餅をついて倒れこむ。しかしアキラは不敵な笑みを浮かべたままその場から動かない。

 よく見ると、シュウの体に巻かれている鎖の端は備え付けのベッドの脚に括り付けられていて、その長さはドアのところまででいっぱいだった。


「お、驚かすなよ、小便ちびりそうだったぞ……!」


 大悟が青ざめた顔にびっしょりの冷や汗を浮かべて、アキラの横に並ぶと恐る恐るシュウを観察した。

 部屋の間口目前にまで迫って低い唸り声を上げているシュウの口には、大型犬用の首輪と思われる太い皮ベルトが巻かれていてがっしりと口に食い込んでおり、口の端からはいくつも涎が糸を引いて垂れている。


「……なあ不思議だろ。ここへ来た時は息も絶え絶えだったんだぜ。そしてすぐに死んじまったかと思うとすぐに生き返ってきやがった。だけどゾンビになってもなかなか頭をかち割る気になれなくてさ、ロープで縛り付けておいたんだ。それがいつの間にかロープを引きちぎって歩き回るようになって、それどころか今じゃこうして光にも反応するようになってやがる。成長してんだよ……シュウは死にながらもちゃんと生きてるんだ……」


「な、なに言ってんだよアキラ……だって、どう見たってシュウはゾンビじゃねえか……」


「ゾンビだからなんだよ!? 俺たちにゾンビのなにがわかるってんだ!? ついこの前まで死んだらそれっきりの世界だったんだぞ。誰もゾンビなんて信じていなかった。なのにこんな世の中になって死人が生き返るのは信じられて、死人が成長するのは信じられない道理なんてねえよ。現にこうしてシュウは成長してるんだ、俺の目の前で!」


「でもシュウをこのままにしておくのかよ。なんか面倒くせえことにならねえか……」


 その言葉にアキラが振り向いた。もしかして怒らせてしまったと思い、大悟は拳に力を込めて臨戦態勢をとった。二人の間に張り詰めた空気が流れる。

 一瞬の沈黙の後で繰り出されたアキラのジャブを大悟は右手で難なくとガードしていた。そのアキラの左拳の指の隙間に一枚の紙切れが挟まれている。


「……なんだよ、これ?」


「昼間ここの管理人室で見つけた。桜道女子の教職員用の連絡網。驚け、そこにはなんと女子寮が三つ書かれてやがった。桜道の女子寮はここにある二つだけじゃなかったんだ。くそ、灯台下暗しつーかなんていうか」


 受け取った用紙を覗き込んでいた大悟の目にも暗い光が宿った。


「……ほんとだ。しかもご丁寧に住所まで書いてあるじゃねえか!」


「ああ。あいつらと遭遇したホームセンターの近くだ。道理でこっちはもぬけの殻だったわけだ。これで全てが繋がったぜ」


「どうする? 今から乗り込むか?」


「ふん、ここまでくりゃ慌てる必要はねえよ。それにあそこまで行くのは、今の状況じゃ俺たちでもかなりしんどいぜ?」


「……ああ、確かにそうだな」


 大悟の顔が険しくなった。ここへ来てからすでに三人の後輩がゾンビにやられている。自分たちを取り巻く世界の状況は日に日に深刻で過酷な方へと向かっていた。


「だから今夜は前夜祭で盛り上がろうぜ。いつまで楽しめるのかわかんねえんだからよ」


 アキラは振り返ると、濁った眼で空を睨み付けて唸り声を発しているシュウを見た。


「……明日だ。明日にはあの小娘どもを食わしてやっからな。それが双子の俺がしてやれる供養だ。その後はちゃんと俺の手であの世へ送ってやるよマイブラサー……」

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