第13話 燻る火種
アキラは熱せられた金属板を押し付けられたような痛みに目を開けた。一瞬どこに居るのかわからなかったが、すぐに自分がいま置かれている状況を思い出して力のない息を吐き出した。
左手でベッドのヘッドボードをまさぐり、空のペットボトルの中から半分ほど残っていたミネラルウォーターを探り当てると、二口三口飲み干してから残りを顔と右手にぶちまけた。
水は生温かったが、右肘から右頬にかけて負った火傷を冷やしてくれて心地よかった。
しかし数時間置きに眠りから目覚めてはそんなことを繰り返しているので、着ているティーシャツも敷布団も乾く暇がなくじめじめとして不快だった。
「くそっ……!」
アキラは激しい怒りに打ち震えた。と同時に悔しさと情けさに胃の辺りから熱いものがこみ上げてくる。
なぜ俺がこんな目に……!
なぜシュウがあんな目に……!
そもそも世界がこんな風になった時に一歩出送れたのがケチのつき始めだった。
街のあちこちで暴動が起き始めたのを目撃した時、自分たちもこの混乱が生み出す恩恵に与ろうと甘い汁を求めて、シュウや仲間たちと共に郊外にある大型ショッピングセンターへ向かったが、そこは既に迷彩服を着込んだグループに占拠されたあとだった。
そして要塞のような建物は攻略困難で、結局自分たちと同じ歳と思しき連中にエアガンや投石、火炎瓶などで撃退されて泣く泣くショッピングセンターをあきらめることにした。
あのいかにもおたくっぽくて、普段ならば通りで出会ってもこそこそと避けて歩いていたような連中にいいようにあしらわれた一件が、メンバーたちのリミッターを解除するきっかけとなった。
鬱積した怒りを一般市民にぶつけ、仲間たちと競うようにして暴力への衝動はエスカレートしていき、そしてようやく手に入れた自分たちだけの楽園が郊外にあるあのしみったれたホームセンターだった。
しかし女神はまだアキラやシュウを見捨てた訳ではなかった。
それがあの桜道女子学園の女生徒たちだ。
この街に住む十代の少年たちには圧倒的に光り輝く性のシンボル。そのブランド力をまとった少女が四人も手に入った。手に入る寸前だった。
しかし女神の羽衣に指がかかった瞬間、それが魔女の気まぐれな悪戯だったと思い知らされた。
あのホームセンターからここまでどうやって逃げて来たのかほとんど記憶がない。
気がつけば自分は右頬から右肘まで火傷を負っていて、足にナイフが刺さり全身の数箇所の肉をゾンビに食い千切られて瀕死のシュウをショッピングカートに乗せて、駅近くの桜道女子寮までやって来ていた。ついて来た仲間も一人だけだった。他のメンバーがどうなったのかすらも覚えていない。
結局この女子寮にあの少女たちの姿は見えなかったが、そのままここに住み着くことになった。いや、ほかに行く当てもなくここに住み着かざるをえなかった。
空腹と喉の渇きと火傷の痛みではらわたが煮えくり返る。全身が沸騰しそうに熱い。
「……あいつらだけは絶対ゆるさねえからよぉ……ぜってぇ見つけ出してくしゃくしゃにしてやる……!」
アキラは怒りまかせに手に触れるもの全てを殴り、また投げつけて暴れまわった。一頻り暴れまわると、電池が切れたようにベッドに腰掛けて肩で大きく息をしながら、擦り剥けて血が流れている拳を空ろな目で見下ろしていた。
すると部屋のドアがノックされて「アキラさん、俺です。涼太です」と聞こえてきた。そしてドアが開き、サッカーのユニフォームを着た長髪の少年が入ってきた。手には長期保存水と書かれたダンボールを持っている。
「すみません。遅くなって。どこ探しても水も食料もなくて……。でも、これ見てくださいよ。災害用のミネラルウォーターっす。これ誰がくれたと思います。アキラさん、まじビックリしますよ!」
と、興奮した口調でまくし立てると、涼太はドアの方を振り向いた。
アキラがその視線を追って行くと、そこに立っていたのはスキンヘッドのプロレスラーのような巨体の少年だった。
「よお、どうした兄弟、そんなしけた顔しやがって、おめえらしくもねえじゃねえか! もしかしてクソゾンビにタマキンでも食われちまったか?」
と、豪快に笑いながら人懐こい笑顔で部屋に入ってきた少年は、アキラとシュウの中学時代の悪友で隣の市に住む氷川大悟だった。
「涼太に聞いたぜ、桜道の女どもにひでえ目に合わされたんだって? そりゃ悔しいよな、悔しいに決まってる。こんな世の中になっちまったとは言え、やっていい事と悪い事があるよな? そういう身の程を知らず糞生意気に歯向かってくるふざけた女にはガツンとお仕置きが必要だよなぁ? だからもう安心していいぞ兄弟、おれんとこのチームは三十人全員ピンピンしてっからよぉ。いつでもおめえの力になれるぜ?」
「え……?」
いつの間にか大悟越しに見えるドアの向こうには十代の少年たちの人だかりが出来ていて、アキラと視線が会うと「ちぃーす」と会釈してくる。
幸運の女神はまだ俺を見放していない……
アキラは声をあげて泣いていた。男泣きだった。
「まどか先輩、お掃除をしましょう」
と、乙葉が声をかけてきたのは、椿と姫の二人を見送ってすぐのことだった。二人の外出を認めて数日が経過していた。今のところ毎日何事もなく帰ってきているが、やはり見送りの時にはいろいろな不安が胸を過ぎって憂鬱になってしまう。
そんな自分に気を使っての最年少の後輩の提案にまどかは快諾した。こんな世界でも掃除をするという考えが乙葉らしくもあり微笑ましい。
とりあえず二人並んで廊下のモップ掛けをすることになった。
「そう言えば、乙葉ちゃんんちって定食屋やってるんでしょ? やっぱ家事が好きなのはそこから来てるんだろうなぁ」
まどかにそう言われると、乙葉は人差し指を振りながら得意げな顔を浮かべた。
「――内で掃除せぬ馬は外で毛を振る、です」
「なにそれ? ことわざ?」
「はい。家でのしつけが悪い子供は外でしつけの悪さがわかってしまうって意味らしいんですけれど、祖父の口癖でいつも口うるさく言われてたんですよ」
「ああ、なんかそういうの憧れるなあ。私なんか人生の半分は母子家庭だったから基本的にほったらかしだったし……」
「でも家族が多いなら多いなりに悩みもありますよお。私の下に弟や妹が四人も居て面倒も見なきゃならないし、すぐお店の仕事を手伝えって言われるし、私は何のために生まれてきたんだろうって……」
「もしかしてそれが原因で実家に帰らなかった、とか……?」
乙葉はしばらくの間を置いて、
「ははは、そうなのかな。そりゃ家族や環境に不満が無かったわけでもないですし、第二さくら寮での一人生活が始まってからすごく自由を満喫してたのも確かです。でも私バカだから、あの日駅に向かう途中で渋滞にハマって動けないでいる老人ホームのバスと遭遇しちゃって。その老人ホームのバスは、この霧で物資と人員の不足の恐れがあったので、隣の市にある同じ系列のより大きな老人ホームで集中介護しようとして向かっていたんです。でも渋滞にハマっているうちに何人かの人が気分が悪くなったとかで、コンビニの駐車場で休憩しているところを出くわしたんです。私ボランティア部だし、職員が付き添いでコンビニのトイレに並んでいるし、しかもお店や駐車場は他のお客さんや車でごった返していて大変そうだったのでなんだか放っておけなくて……」
「まさか、それで……!?」
「へへ、駅に着いた時にはもう電車が止まっていました……。ほんと私ってバカですよね!」
と、恥ずかしそうに頭をかく乙葉の目尻に輝くものを見つけて、まどかは思わず最年少の後輩を抱きしめていた。
「家族の人、無事だといいね……」
「ここへ来た当初は心配していましたけど、私たちだって子供ばかりなのに無事なんだからって思うことにしました。先輩たちだって家族のこと心配しているはずなのに、私だけ落ち込んでるわけにはいきませんから」
乙菜は泣き笑いの顔を浮かべると、胸の前でぎゅっと拳を握った。
廊下のモップ掛けを終えると乙葉はドラム缶風呂のお湯を沸かしに行き、まどかは引き続き洗面所の掃除をすることにした。
ふと洗面台に写った自分の姿に気付いてまじまじと見つめる。よく母親に似ていると言われて、自分でもそう思う二重で丸みを帯びた目と薄い唇。
「乙葉ちゃん、違うんだよ……」
ついまどかは呟いた。絶望したような暗く掠れた声で。
先ほどの乙葉の言葉が烙印のように頭の中に焼きついていた。
――先輩たちだって心配してるはずなのに。
ううん、そうじゃない。違うんだ。違うんだよ私の場合は……
まどかはジャージのポケットから純銀製のジッポを取り出すと、両手でそっと目の前にかざした。フタを開ける時の特徴的な金属音と、微かに漂うオイルの匂いは、この儀式に欠かせない鐘の音でありお香の香りだった。
発火石と金属ドラムが擦れる音は、神を召還する拍手であり、この一連の作法の末に神は目の前に降臨して、まどかの心を侵食していく闇を焼き尽くしてくれる。
顔を知らない父から、残された母を経て、娘の元へと受け継がれた唯一の幸せのかけら。もう永遠に完成することのないパズルの最後のワンピース。
すべて焼けてしまえばいい。
この世界も、思い出も、涙も、自分自身も、すべて焼けてしまえばいい。
激しく揺らめく炎に自分という存在の全てが呑みこまれていきそうになりながらも、まどかは炎から目を離すことが出来なかった。炎が発するオレンジ色の光で目がちかちかと痛む。額と頬が熱を受けてひりひりと悲鳴を上げ始める。
それでもまどかは炎から目を逸らすことも遠ざけることも出来ない。
「せ、先輩あぶないですよ!」
そのヒステリックな声に全身がビクリと弾けて、同時に針の穴のように小さい一点へ集中していた全神経が四方へと霧散した。
純銀製のジッポはまどかの両手からこぼれて、カランと音を立てて足元に転がる。
「ああ、危ない危ない」
まどかはまだ火の点いているジッポを拾って慌ててフタを閉めると、声のした洗面所の入り口を振り返った。
「もう乙葉ちゃん驚かせないでよ。ビックリしちゃったじゃない」
「せ、先輩、いま天井まで届きそうなくらいの火柱が立ってましたよ。なにやってたんですか、危ないですよ……」
「ええ、それはないない。このジッポにそんな火力なんてないから。乙葉ちゃんが驚かすから……」
「もしかして、今の炎に気付いてなかったんですか……?」
「え……?」
真剣な眼差しで心配そうに覗き込んでくる乙葉に、まどかはそれ以上なにも言えなかった。
5月19日 火曜日 記入者 花城まどか
何事もなく平穏な日々が続いている。みんなも無事で健康だ。
椿ちゃんと姫ちゃんの外出時間は途中から一時間から二時間へと拡大した。ある日、二人が時間になっても帰ってこない日があり、乙葉ちゃんとヤキモキしていると三十分遅れで戻ってきたことがあって、みんなで話し合って時間を延長することになったのだ。
正直に言うと、毎日そんなに出かける必要があるのかという疑問と不満もあったが、二人が毎回少しずつ持ち帰ってくれる、ドラム缶風呂とかまどで使う練炭や木質ペレットなどの燃料に大助かりしていることも事実だ。
とくに防犯砂利と言う、通常の砂利よりも歩く際に大きい音が鳴る砂利を見つけてきてくれたことは大きい。今はこの砂利を塀に沿って蒔いているので、万が一塀に設置してある防犯ベルが鳴らなかったとしても、早めに侵入者に気付けるはずだ。
二人の外出がこの寮生活に大きな恩恵をもたらしてくれていることも事実なので、一概に二人の行動を否定できない。
だけど……
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