第9話 女子寮生活

 次の日の朝――と言っても、もう正午に近かったが、まどかが食堂へ降りていくと、姫と乙葉の二人はもう起きていてコーヒーを飲みながらにこやかに談笑しているところだった。


「おはよー、二人とも早いねえ。昨日はゆっくり眠れた?」


 まどかの声に気付いて振り向いた二人が、怪訝な顔つきでまどかの左側を凝視した。

 無理もない。

 まどかの左腕にしがみつくようにしてぴったりと椿が寄り添っていたからだ。そのさまはやたら警戒心の強いボディガードか、挙動不審の背後霊かといったところだ。


「ははは……」


 二人の怪訝な視線にまどかは苦笑を浮かべるしかない。今朝目覚めてからずっとこの調子で、洗面所へ行くのもパジャマからジャージに着替える間もずっと後ろをついて回ってきて離れようとしない。

 恐らく昨夜の会話で心を開いてくれたようだが、それ以外にどうやら一人で階下へ降りていって姫と乙葉と顔を合わせる勇気はまだないようだった。


 まあ集団生活なので自分の殻に閉じこもっていられるよりかは、こっちの方が多少はましのような気がするが、つくづく他人との距離感が極端すぎる不器用な子だなぁとまどかは思う。


 そこでまどかはふとテーブルの上に置かれたおにぎりに気付いた。大皿の上に二十個ほどのおにぎりがびっしりと並んでラップが被せられている。


「すごい、どうしたのこれ」


「はい、私がお米炊いて作ったんですよぉ」


 と、乙葉が元気よく手を挙げた。ジャージの上から白い割烹着を着ていて、なんだか真っ白なムササビの子供みたいで愛くるしい。


「ふふ、この割烹着調理場にあったので借りたんですよ。先輩似合っていますかぁ? あっ、いまお茶を炒れてきますから先輩たちもどうぞ」


「ええ、自分でやるからいいよ、捻挫してるんでしょ?」


「大丈夫です。湿布とテーピングもしてもらっているし、だいぶ痛みも引いてきましたから」


 と、乙葉は片足を引きずりながら調理場へと行ってしまう。その姿を見送りながら、姫がクスッと微笑んで肩を竦めてみせた。


「あの子の実家は地元で定食屋を何代も続けて営業している老舗らしいんです。たぶん動いていたほうが気が紛れるんだと思いますよ。今朝も朝早くから起きて、一人で調理室の掃除をしておにぎりを作っていたみたいだし……」


「はぁ、最年少なのにしっかりしてるなぁ。私なんてお米も上手く炊ける自身がないのに……」


 姫の説明にまどかは自虐的に頭を掻いた。そして椿と並んで姫の対面側に腰をかけると、遠慮なくおにぎりをいただく。

 適度に利いた塩の辛みと具のツナフレークのさっぱりとした香りが口の中いっぱいに広がっていく。ここのところずっとカップ麺か菓子パンだったので、久しぶりに味合うお米の香りと味が胃に染みる。


「ああ、おいしいっ。やっぱり日本人はお米だねぇ」


 と椿を見ると、少し猫背になって両手でおにぎりを頬張っていた。無言だったが、口へ運ぶペースから察するに同意のようだ。

 そのうち乙葉がお盆にお茶を四つ乗せて運んできてくれて、まどかは何か思いついたように両手を叩いた。


「そうだ。昨日はなんだかんだと忙しかったから、四人でこうして食事をするのって初めてだね。せっかく新しく二人も来たんだから今からミーティングをしましょ。ヤマコ先生が置いていってくれたお菓子もまだ残ってるし、それにまだお互いのこと名前くらいしか知らないから、自己紹介も兼ねて。ね?」


 もちろんまどかのその提案に反対するものなど誰もいなかった。




 いろいろと他愛のない会話をしたあとで、午後から行う予定の一階全ての窓にバリケードを設置するための作業手順と役割分担を話し合った。

 元々椿からの提案なのでなにか具体的な案があるのだろうと思い、まどかは彼女から説明してもらうことにした。


 椿は最初は非常に困った表情を浮かべていたが、俯いたままたどたどしい口調で説明してくれた。

 その椿の案はとはこうだ。


 まず管理人室にあるマスターキーで各部屋に入り、設置してある木製の組み立てベッドを解体して、それらのパーツを使ってその部屋の窓を封鎖していく。また、余ったパーツについては玄関ドアの補強に使いたいとのことだ。

 そしてそれに伴って、四人の部屋も二階の一番奥へ移動したほうがいい、という追加案も出された。これは一階の部屋は窓が封鎖されて薄暗くなることと、防犯上の理由からだ。


 それを聞いた姫が寒気を抑えるような仕草をしつつ口を開いた。


「ああ、思い出すだけで汚らわしいけれど、世の中がこんな風になってすぐに第二寮で男が侵入する騒ぎがあったの。真夜中に廊下で頭にパンティーを被って両手いっぱいに下着の山を抱えた男と鉢合わせしたときには、ほんと世界の終わりを実感したわ。百歩譲ってまだ食料を持っていくってのならわかるんだけれど、こんな時にまで下着なのかお前はって……!」


「そ、それは災難だったねえ……、じゃあ、やっぱりバリケード作りは早くしたほうがいいみたいだね。みんな昨日の今日で疲れてると思うけど、安心して眠るためにももう一息がんばろうね」


「あ、そうだ。先輩これ書いたんですけどよかったら使ってください――」


 姫がなにか思い出したように、奥の食卓の上に広げられていた半紙の束のなかから二枚取ってまどかに見せた。半紙にはそれぞれ墨汁で星形と格子状の絵が描かれている。


「うん? なにこれ……?」


 そのまどかの問いに姫が説明しようとするよりも先に、椿が「ドーマンセーマン……」とぽつりと呟いた。


「そう、これはドーマンセーマンという魔除けの印で、この半紙を透明のビニール袋に入れるかラップでくるんで塀と建物に貼っておくんです。そうすれば――」


 姫が説明している途中で、椿が鼻で笑いながら口を挟んだ。その口調には明らかな敵意が含まれている。


「そんなの効果があるわけない。いくらゾンビが本当に出現したからと言って、そんな安っぽいオカルト知識を持ち出して口を挟まないでほしいオカルトビッチ」


「あ、あんたまたビッチって言ったわねえ、それにこのドーマンセーマンの効果は、私たちがここに来るまでの数日のあいだにしっかりと実証済みよ。だいたいあなただって偉そうにしててもゾンビのことはなにも知らないんでしょ。まどか先輩がぼっちに優しい人だからって、なんか勘違いしてるんじゃなくて?」


「私は夜中に一人で出歩いて、ちゃんとゾンビの生態を観察してきた。ゾンビは音に反応する。視力は見えていないに等しい。目が見えないのにそんな魔除けはナンセンスだと言っているだけ」


「ブー、残念でした。ゾンビは音だけじゃなく人の吐く息の匂いも感知しているの。それに私だってなぜこの印が効果があるのかは説明は出来ないけれど、それでもそんな観察眼しか持ち合わせていない人に、上から目線で偉そうに長い時を経て紡がれてきた人の英知を否定はされたくないわ」


「オカルトは英知じゃないし」


「オカルトじゃなしに陰陽道の一種よ。あと言い忘れてたけど、ゾンビは高低差や段差が苦手なのは知ってたわけ?」


「……し、知ってた」


「嘘よ。いま一瞬間があったし吃ってたじゃない」


「黙れビッチ」


「なによぼっち!」


 姫は怒りを露に、椿は冷めた薄笑いを浮かべてにらみ合う。

 まどかは突如勃発した聞き慣れない単語が飛び交う理解不能にして意味不明の言い争いに、ただその光景をはらはらとしながら遠めに見守るしかできなかったが、隣の乙葉はにこにこと笑顔で見守っている。


「……ねえ、あの二人なにを言い争っているの? それに元々二人の間になんかあったの?」


「どうでしょうかぁ。私が思うにはたぶんただの同族嫌悪だと思いますよ? なんとなく言っていることが似てますし同じ十四歳だし、ただ中二病をぶつけ合ってるだけだから、先輩もそう心配することはないですよ。じゃあ、お仕事に入る前の景気付けのお茶を炒れてきまーす」


 まどかはその言葉に妙に合点がいき、「おー」と唸って乙葉を振り返った。その後ろ姿にはついリトル・ビッグママと呼びたくなる空気が漂っていた。


 恐るべし、割烹着姿の十三歳。

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