120話 私刑

 校長室へ到着すると、向かい合う長椅子に見馴れた赤髪と校長の姿があった。


 オルティラとヘル校長だ。互いに難しい顔をしている。彼らの懸念点はすぐに分かった。下座にぽつんと置かれた一脚の椅子、そこに場違いな青年が座っていたのである。


 エギル・ザックハート。結晶の森を生み出し、〈三界の門〉を開き、九名もの命を奪った奇才の持ち主。


 なぜ彼がここに。


 消えたはずの傷が、ずきりと痛んだ気がした。


「ああ、リオ殿。体調を崩されたと聞きましたが、もうよろしいのですか」


「ええ、お蔭様で」


 双眸を崩すヘル校長に、何となくむず痒い気分になる。ちらりとオルティラの方へ目を移すと、彼女は居心地悪そうに視線を逸らした。


「校長殿、以降のことはこの坊に話してくださいな。私では判断つけかねます」


「そうでしたか。……オルティラ・クレヴィング殿、楽しいひと時でした。旅を終えたら、ぜひ我が校にお越しください。ちょうど体術の講師が足らんのです」


「冗談を言いなさるな。――そら、リオ、交代だ」


 ぽんと膝を叩いて立ち上がるオルティラ。座っていればいいのに、そう声を掛けるが、彼女は立っている方が気楽なのだという。どこぞの相棒を彷彿とさせる。


「どうぞお連れの方もお掛けください。長話になりますので」


「それは楽しみだ。しかし僕としても一つ確認をしておきたいことがありまして」


 長椅子に腰を下ろして校長を、身構えたような目を迎える。


「神族は、今どこに」


「戻られました」


 包み隠さず、短く告げるヘルの表情には影が差していた。


「……一つ、謝らねばなりません。あの時私は嘘をつきました。我が国、もとい我が校と神族様との関係は、先日話した通りです。私は、あなたが――魔族が我が校を訪れたと、神族様へ報告いたしました」


 ――あなた方魔族と神族様との関係は存じております。偶然なのです、全て。


 神族との関係を問い詰めた時、彼女は確かにそう答えた。神族がツィンクス魔術特育校を訪ねたのも、僕の講義する授業に顔を出したのも、全てが偶然で時の悪戯が成せる業であったと。


 神族と僕の確執が一時休戦と相成った今、隠しておく必要がなくなったのだろうか。


 膝の上で拳を固めた校長、その表情は鉄仮面に埋もれてしまった。冷徹の裏でいったい何を巡らせているのか、僕にはもう窺い知ることができなかった。


「あなただけだろう、とは思っていましたよ。ここは学校。部外者の侵入にはいっとう厳しい施設です。学校長たるあなたを通さずに神族を呼び寄せるなど不可能だ」


「まさしくその通りです。面倒事に首を突っ込んでまで媚びを売る輩は、我が校にはいない。何せ神族様の訪問は一大行事。本来であれば授業を中断して式典セレモニーを開いて、休息と宿泊に貴賓棟を丸々お使いいただくべきなのですから」


 要人の接待に使う貴賓棟。一介の『研究者』がどうして招かれたのか、と疑問に思ったものの、当初の僕は学術を修める場所だからと納得をしていた。


 だがよく考えてみれば、たかが研究者に豪華な部屋と食事を与える必要はないのだ。


 この時点で疑うべきだったのだろう。この学校の、ヘル校長の真意を。


「嫌いじゃないですよ、正直者は。僕だってあなたの立場だったら一報を入れるでしょうしね。これでも国への忠義はある方なんですよ」


 そう語ると、強張っていた頬が微かに和らいだ。


「本題に戻りましょう。……ここにエギルがいる理由とは?」


「彼を、退学処分にします」


 ヒュ、と息を飲む音。それは紛れもなくエギル――突如として渦中へと放り込まれた青年のものであった。


「た、退学? なんでですか、校長先生!」


「言わずとも、あなたが一番分かっているでしょう」


 ただただ口元を戦慄わななかせて、眼鏡の奥に涙を溜める。エギルの表情はひたすらに悲嘆するもので、困惑に満ちていた。


「わ、分かんないですよ。自分、赤点取ってないですよね? 非行だって暴力だってしてないし……裁かれるのはあいつらの方だ! あいつらだけ何もなくて、なんで自分だけ――」


「あいつら、とは」


「自分を虐めてきた奴らですよ!」


「あなたが殺したのことですね」


 殺人犯、エギル。彼の目にカッと烈火が宿る。


 椅子を跳ね退けて、白い顔を真っ赤に染めて、その青年は初めて怒りを露わにする。


「濁った目のことを悪く言った。せっかく買ってもらった眼鏡を壊そうとした。いっぱい蹴った、いっぱい殴った。教科書も写本も汚されて焼かれて。自分がノロマだから。運動なんて微塵もできなかったから!」


 健全な精神は健全な肉体に宿る。魔術界隈において独自の路線を行くツィンクス魔術特育校。


 それゆえの弊害なのか、それとも特異な例なのか。けれどもこれは、若者を教育する機関として、人々の集まる社会として、あってはならないことだ。たとえ憎しみが奇才を生み出したとしても。


「ニワトリも引っ掛からないような罠で死ぬ低能な奴ら、自分が殺さなくたってどうせ誰かがやってたさ」


 長距離走で遥か後方を走っていた青年が、どうして八人もの生徒を殺すことができたのか。不思議だった。


 体力も筋力もない、あるのは魔術への執拗な探求心と解析する頭脳、そして何よりも『イメージ』を具現化する才能。そんな彼が誰かの命を奪う時、何を使うのか。そんなもの、火を見るよりも明らかだった。


 暴行を受けていたから。だからやり返した殺した。この式は、きっと青年の中では燦然と成立するものなのだろう。法とか倫理とか、そういうものを置いて、堂々と。


 これは間違いなのだ。明らかにやりすぎだ。でも、どうしても非難はできなかった。


 僕だって同じように、玉座に着いたのだから。


「いいですか、エギル・ザックハート。彼らは、あなたを虐めた彼らは、他でもないあなた自身によって裁かれました。命という代償をもって。そして今度はあなたの番です。殺人を犯したあなたは、ヘル・エンゲルスの名の下に裁かれる」


「どうして? どうして校長先生に裁かれないといけないんです? 何もやってませんよね。何も、校長先生に迷惑はかけていない。自分を裁けるのは……ケリーだけだ」


 エギルと寮で同室だったケリー。口ぶりからして、仲は悪くなかったようだ。


 だけど、殺してしまった。犯行現場を見られたからかもしれないし、あるいは何か勘づいたからかもしれない。


 初めて罪の意識を覗かせたエギル。ようやく人間らしい感情を目にすることができた気がした。


「エギル・ザックハート。私は誰ですか」


「……校長先生」


「そうです。ツィンクス魔術特育校の全権を持つ者、学校長。私は親御さんから大切な子供を預かり、育てる義務がある。しかしその義務は、あなたによって断たれた。八人も、夢を叶えずに殺されてしまった。悪魔へのにえなどという、不名誉な死によって」


 不名誉、その言葉にエギルは眉を動かす。だが彼が口を開くよりも前に、ヘル校長は告げた。


「だから私には、あなたを裁く権利がある。あなたによって殺された者たちの、親の代わりとして」

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