114話 罪

「あ、目が覚めましたか?」


 未だ沈む思考を、丸眼鏡が覗き込む。


 純朴そうな瞳が見下ろす中で、僕はぼうっとその名を呼んだ。


「えぎる……?」


 にこりと、ただ笑みを返す若者は、何を話すことなくこちらに背を向けてしまう。


 彼の向かう先には提燈ランタン ――仄かな光を灯す〈明石あかりいし〉を光源に据えた器具があった。


 辺りは提燈ランタンが必要になるほど暗くなっていたようだ。


 身体を起こそうとすると、ずきりと全身が痛んだ。


「ああ、動いちゃ駄目です。起きたばかりなんですから」


「ここは? それにみんなは」


 〈明石〉の仄かな光を照り返す結晶。どうやらここは、ツィンクス魔術特育校の裏手にあった結晶の森の内部であるようだ。心なしか結晶の数は少ないものの、付近であることに違いはない。


 辺りを見渡し、魔力の残滓を探る。しかしながら近くにカーンの気配は感じられなかった。過干渉気味の相棒にしては珍しいものだと感心する。


 それにしても、なぜこんな時間に。


 停止気味だった思考を巡らせて、状況を確認しようと動いた――その時だった。


 前触れもなく、ずいと突き出されるのは一振りの刃物。大振りでありながら鋭利な眼光を湛える。


 唖然として見上げた顔には、依然として笑みか宿っていた。


「な、何?」


「何って……使いますよね?」


「使わないよ!?」


「じゃあどうやって心臓を取り出すんですか?」


 揶揄からかうな、そう言いたかったが、エギルの声は身震いするほどまっすぐで、とても冗談とは思えなかった。


「……ひょっとしてキミ、何か勘違いしてないかい? 僕は自傷行為が趣味ではないし、ましてや供物でもない。第一、僕に心臓は――」


「またまたぁ。知ってるんですよ。そうやって、悪魔が、ヒトを騙して、自分を守ろうとすること。守ろうとするってことは、やっぱり心臓を獲られると死んじゃうものなんですか? 死なないならいいですよね、貰っても」


「エギル?」


「自分、心臓はくり抜いたことないんですよね。皮膚と肉と骨の下にあるんだっけ。右だっけ、左だっけ。どっちでしたっけ」


「エギル、ちょっと落ち着こうか」


「はい」


 素直に頷いて、エギルは胸に手を当てる。深呼吸。そうかと思えばパッと表情を明るくした。丸眼鏡の奥がきらりと輝く。


「自分の心臓は左だから、リオさんもこっちですよね!」


「そういう意味じゃない! エギル、まず説明をして。いきなり心臓だの何だの言われても困るでしょ」


「あっはは、母さんみたいなことを言うんですね!」


 不釣り合いな明るい笑みを上げるエギル。


「全部説明して、一から全部。順番通りに! もう、どうしてアンタはそんな簡単なこともできないのっ! ……懐かしい、何回言われたろうなぁ」


 誰かの真似を挟みながら回想するその様は、年頃の青年らしいものだった。


 寮制度を敷くツィンクス魔術特育校。親元を離れ、同年代の少年少女と寝食を共にする。いくら親離れを求める子供でも、時には心細く感じるのだろうか。


 フッと風が吹く。火が揺れる。


 闇に隠れていたものが、微かに見えた。


 それは足だった。地面にぐったりと横たわる、二本の足。片方は靴が脱げている。き出しになった素足にはびっしりと黄金の毛が生え、ぷっくりとした半球体の黒色が指先を飾っている。


「エギル、それ……!」


「ねえ、リオさん。最も簡単に願いを叶える方法って何だと思います?」


「エギル、いい加減にして。僕の問いに答えろ!」


 声を荒げると、ようやく青年の目がこちらを向く。ぱちくりと、わずかに白ばんだ瞳を瞬かせて首を傾げた。


「何ですか?」


「『何ですか』じゃないよ! キミ……ああ、もう、怪我人がいるなら先に――」


 微かに痺れる四肢を動かして、提燈ランタンを手にして、足の方へと進む。


 息が止まった。


 足、腰、胸、肩――その上が、存在しなかったのである。


 黄金の毛。行方不明。結びつくのはたった一つだった。


「ケリー……?」


 キツネ族ケリー。魔術研究部の部員にして行方をくらませた生徒の一人。


「キミは――」


 頭が熱くなる。


「キミはケリーと同室だったはずだろう!? どれなのにどうして――」


「どうして自分が殺したって知ってるんですか?」


 目を丸くして、ただただ首を傾げる。心の底から理解していない顔だった。


「あっ、もしかして魔術ですか? 遠くを見るやつ、確かありましたよね。さてはそれで見守っていてくれたんですか?」


「……罪の意識がないのか」


「罪? 殺したことに対して? いやぁ、悪かったなぁとは思いますよ。でも、それはそれ。そうしないといけなかった。だから、そうした。仕方なかったんですよ、全部」


 仕方なく。その言葉に、ずきりと胸が痛んだ。吐き気がするほどの既視感があった。


「殺したのはケリーだけ?」


「八人です。ちゃんとそろえたんですよ」


 すごいでしょとばかりに、誇らしげに、青年は胸を張ってみせる。


 ケリー以外に八人。半年前から断続的に行方をくらませた生徒の数と合致する。本当に彼が、彼一人が、八人全てを殺害したのだろうか。


 信じられなかった。


 武術など嗜んでいないひ弱な図体なのに、ナイフすら握ったことのなさそうな真っ白な手なのに。


 真っ赤に、真っ黒に、汚れているだなんて。


「あのね、リオさん。自分が八人殺したのは、あなたのためなんです。さっき『最も簡単に願いを叶える方法』を聞きましたよね」


 エギルは改めて向き直る。駄々っ子を宥めるように。


「一番簡単なのは、悪魔にお願いする方法です。対価を支払って、呼び出して、ちゃんとお話しをすれば、願いを叶えてもらえるんです」


「悪魔は概念だ、天使と同じ。実在しない」


エルツ共和国この国ツィンクス魔術特育校この学校も、神族を信仰しています。だけど奴らって、所詮は魔族のケツを追ってるだけでしょ。それの何が面白いんです? どこが崇められるんです? 願いを叶えてくれるわけでもないのに」


 エギルの手が前髪を掴む。ひるんだ隙に足元を払われ、どうとエギルともども倒れ伏す。角ばった膝が僕の肩を押さえ込み、骨ばった尻に肺が潰される。


 突然の暴挙に抵抗をしようとするが、刃を握った青年があまりにも。


 あまりにも、痛々しい顔をしていて。


「忘れているなら教えてあげます、リオさん。あなたは、自分の願いを叶えるために来てくれた悪魔様なんです。契約通り、その心臓、自分にくれますよね?」


 振り払うことなど、できなかった。

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