112話 母
「ヒトの頭上に火ィ投げるとか、何考えてんの? あー、はいはい、言わなくて結構。どうせ私もろともってやつだろ」
「フン、分かっているじゃないか」
「このすっとこどっこい!」
平然とするカーンと噛みつくオルティラ。いつも通り、と称しても過言ではないやり取りに、注意が逸れた――その時だった。
「余裕だな」
長い脚が地面を踏みつける。その瞬間、しんと静まり返っていたはずの森が騒めき出した。
結晶と腐葉土を裂いて、木の根が首をもたげる。〈生育の魔術〉――植物の成長を一時的に
「うっわ、ちょちょちょ……!」
土と泥を跳ね上げて、根がオルティラへと迫る。
オルティラの反応は的確であった。
初撃を半身を縮めて避け、二撃目を切り裂き、三撃目は大剣の腹で受ける。
大物を使うからこその隙の潰し方。無駄を生じない動き。高笑いとともに神族の魔術を受け通す胆力は、傭兵を名乗るだけはある。
オルティラ・クレヴィング。
相棒は彼女を随分と買っているようだった。人間族と嫌悪しておきながら、顔が気に食わないと吐き棄てておきながら、その実力は――実力だけは、神族と肩を並べることができるだろうと評価していた。
「魔術ごときでこの私を殺そうなんぞ、百年早いわ!」
カーンの言わんとしていること、それが何となく分かった気がする。
自他の力量を冷静に見極めて、無骨ながらも柔軟に対応する。王宮所属の騎士や自己流に酔った剣士かぶれとも違う。
オルティラのそれは、武人は武人でも、戦いを愛し愛された武人であった。
生まれながらの才か、それとも血の
「いつまで逃げる気」
そう問いかけるのはあの少年。ともに教壇に立った、双子の片割れ。それが幽鬼のごとく背後に立っていた。
「そろそろ
「…………」
「アンタはあの日、死ぬべきだった」
人神戦争の後、母国から死罪を命じられたあの日、僕は――僕たちは逃げ出した。
それは確かだ。それ以外に言いようがない。
だけど、本当に。本当に、僕が逃げなければ、あの英雄は。
あの英雄が、祖国に見捨てられることも、なかったかもしれない。
「戯言をぬかすな、神族。あの男の処罰は元より決まり切っていただろう。どのような茶番を繰り広げようとも覆ることはない。お前たちは、そういう奴だ」
「失礼なイヌだな。エリオット、躾がなっていないんじゃない?」
余計なお世話だ――その言葉すら出てこなかった。
神族が口にした『可能性』。それが脳にこびりついて離れない。たとえそれが、僕の動揺を誘うためのでまかせだったとしても。
「カーン、いい。分かってる。僕はあの時死ぬべきだった。今を生きては……いけなかった」
きっとそれは間違いない。
「だけど、生きちゃった。死ねなかった。なのに、なんで、苦しまないといけないの……?」
海底の都市を統べる王は一人の女性に溺れ、最愛の息子に裁かれた。
そして魔族の王は仁義を通したがゆえに、国を追われた。
王としてあるべき姿とは何か。
王として、数多の命を背負ってきた者として、己が行いを『罪』と認めるのは――はたして、同胞への裏切りとなりえるだろうか。
正義を貫けば、誠意を通したと言えるだろうか。
「それが――」
気づいた時には遅かった。
「それが貴様の答えか、エリオットォ!」
剣が迫る。
神族の女性が、激高とともに飛び込んできたのである。
突如として標的から外れたオルティラも、ぐっと身体を
そこへ何かが飛び込んできた。横から押されて体勢を崩す。
僕の視界に覆い被さる茶色の被毛を、刃が
「っ、ニーナ!?」
ニーナは僕ともども地面を転がると、さっと体勢を立て直す。ようやくしっくりき始めたらしい靴で、しっかと土を掴んで。
まるで子を守る母のように。
「ニーナ、下がって!」
「やだっ、ニーナも戦う!」
意志は固く揺るぎない。普段ならば渋々聞いてくれる僕の言葉も、今ばかりは全く聞く気がないようだ。ふわふわの毛をたたえた耳は神族の方を見据えている。
「死んだ方がいいなんて、そんなことないもん! この世に生きる生き物は、みんな天使様の贈り物だって、大事で必要だから生まれてきたんだって! お母さん、言ってたもん!」
「ニーナ……」
「お前なんかより、ニーナの方がリオのこと知ってるもん!」
それは幼くて、あまりにも純粋な言葉だった。
ニーナは僕を知らない。だからこそ、こうして無責任な言葉を吐くことができる。それは救いであると同時に、熱く鋭い刃のようだった。
「獣人……オオカミ族か。珍しいものを連れているな。もう随分前に絶滅したと思っていたが」
神族の女は悠然と見下ろす。オルティラとの攻防を経ても息一つ乱していない。
「そこを退きなさい、オオカミ族」
「いやだ!」
「その男はヒトを殺した。その事実は変わりない。たとえ背景に何があろうとも、数多の命を背負い、摘み取り、そして敗北した。ゆえに裁かれるのだ」
「…………」
「退きなさい。子供は殺したくない」
揺らぎ。情。
それは紛れもなく、かつての僕が焦がれた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます