111話 命ごときで

 広大な大地を悠然と覆う結晶。


 魔力の塊であり、未知の魔術の結果。


 数多の魔術士垂涎すいぜんの光景であろう。当然僕も例外ではなく、砂漠に見出す湧き水のように見えた。


「調査をしよう」


 結晶は森の内部まで広がっていた。外観と同じく、木の葉から雑草の根元まで、びっしりと結晶に覆われている。


 匂いを追うため先陣を切るニーナとカーンの後に続いて、ほのかな光を保つ森の中を進む。


 追跡中のキツネ族は、どうやらまっすぐ森の奥へと向かっているようだ。


 いったいどのような目的で異様の森へと入り込んだのか――想像を巡らせても明確な答えは出ず、現時点では『興味本位』という結果にしか至らなかった。


「あ、ねえ!」


 突然ニーナが指を差す。彼女の示す先、そこには何の変哲もない地面があった。


 一見すると何の変哲もない腐葉土だが、よく見れば、葉が一部はぎとられていた。


「姿勢が変わったな」


「姿勢?」


 ニーナの手元を覗き込みながら、カーンが解説を始める。


「今まで立ってたのに、ここで倒れたの? 転んじゃった?」


「いや、何かに襲われな」


「襲われたぁ!?」


やかましい。……見ろ、前方に似た幅の線が続いているだろう。何かを引きずった跡だ」


 結晶の森がいつから実在するのかは定かではないが、局所的に魔力が濃くなっているところを鑑みると、生態系に何かしらの影響を与えている可能性が高い。


 カーンとニーナの言う『引きずられた跡』、これが魔力の影響を受けた生物によるものであったとしたら、放っておくわけにはいかない。場合によっては、きっと国すら動き始めるだろう。


 行方不明の青年、ケリーの行方が今後を左右するとしても過言ではない。


「ケリーが何かに襲われたのなら急がないと」


 その時だった。頭上に展開するのは見覚えのある円蓋。数多の紋様が刻まれた、目が眩むような結界だ。間違いない、神族の結界だった。


「やあ、朝方ぶり」


 音もなく舞い降りる三人の神族。先頭に女性、その後ろに双子。顔ぶれは朝方の襲撃と変わりない。


「何だこいつら」


「神族。神様の子孫を自称する、罪深い奴等だよ」


「ほお、あれがねぇ……」


 オルティラは担いでいた大剣を下ろす。


「聞いたことあるぜ、私たちの上でふんぞり返ってるんだって? ハッ、全く頭の湧いてる連中だよ。たった一人の男にすら勝てなかったくせによ!」


「何こいつ」


「雑魚でしょ。放っとこ」


「つまらん連中だ。睨みの一つも利かせやしない」


 冷たい双子の視線にオルティラは舌打ちを返す。早くも一触即発の雰囲気が漂う中で、女性が凛として声を上げた。


「まず問う。この森は貴様が作り上げたものか、エリオット・バーンステン」


「そんなわけないでしょ。だいたい何の得があって、人間界の片田舎にこんなものを作らなきゃならないのさ」


 そう、作る理由がない。


 結晶に覆われたこの森が〈結晶の魔術〉によるものであること、それからエギル・ザックハートが一枚噛んでいること。これはほぼ確定だ。


 しかしながら、全く目的が見えてこなかったのである。


「こんなもの、ただの魔力の塊だ」


「……では貴様は無関係である、と」


「そう言っているだろ」


 問答を繰り返しながら辺りの様子を窺う。


 神族が誇る無解の結界。朝方こそ未知の乱入により名を汚すこととなったが、今は文字通り『無解』――解けることのない、無欠の壁として十二分に機能することだろう。


 逃げることは不可能。ならば退けるしかない。


 視界の端でカーンがすらりと剣を抜き放つ。先の都市で新調したばかりの真新しい剣。以前使っていたものよりも少し重いとぼやいていたのを思い出す。


「で、キミたちはどうしてここに?」


「言わずとも分かっているだろう」


 神族は魔族の捕縛任務のためにやって来たという。ならば今回の目的も――。


「それはご苦労様。まったく、大変だね。ただ骨を折るだけで終わるだなんて」


 レドナと名乗る神族の女性、それから名も実力も知れぬ双子。それぞれに僕、カーン、オルティラが向き合う。


 総当たりになるかと思いきや、今回も双子は手を出すつもりがないようで、依然としてだらりと腕を下げていた。


 僕の視線を察したのか、女性がフンと鼻を鳴らす。


「二柱様を相手取ろうなど笑止千万。死に損ねた魔族と、どこのウマの骨とも知れぬ人間族など私一人で十分」


 パキパキと辺りの結晶が砕け散る。魔力がいっそう濃度を増し、一瞬ばかり高揚にも似た眩暈めまいに襲われた。


「命をもって償え、エリオット・バーンステン」


「命ごときで贖えるなんて安い罪だね」


 罪を犯したつもりはないけれど。


 ずきずきと痛む胸を抑えつけて、さやから刃を抜いた。


 獣のごとき咆哮とともに赤髪の戦士が飛び掛かる。携えた大剣は鈍い輝きを放ち、力強い一閃を神族の身体に叩き込んだ。


 対する神族はさらりと身を翻して剣を返す。


 まっすぐと、ただただオルティラの喉を狙った一撃。


 抑えきれぬ殺気と侮蔑を乗せた一突きが、首の皮一枚を奪い去る。


「ハッ、いいねぇ……!」


 舌なめずりすらしそうな表情。オルティラは土とともに大剣を跳ね上げる。パッと散る半分湿った土は、ほんの刹那の視界を奪う。


 片や力で、片や技で。


 相対する術をぶつけ合う二人の女性。


 横槍を入れるのは少しばかりはばかられた。いつの時代でも、女性には勝てない。まごまごしていると不意に相棒の方で強い魔力がうごめいた。


 かつて巨大な虫の巣を一掃した強力な技――〈火焔の魔術〉。それを未だ揉み合う戦士たちへと投げつけたのだ。


 渦を巻く炎。それがオルティラと神族の頭上を通り過ぎ、円蓋に当たってパッと弾ける。


 直撃は免れたものの、寒気がするほどの熱風は浴びたようで、


「バッカじゃねーの?!」


 がばりと面を上げて、オルティラがえた。

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