110話 群れ

 資料を集めて貴賓室きひんしつに戻ると、どことなく張り詰めた空気が僕を出迎えた。


 またか、とうんざりしつつも居残りの様子を窺うと、案の定、硬い表情をしている。ニーナにいたってはすっかり不貞腐れて窓の外に視線をやっていた。


 同じオオカミ族だというのに相性は最悪であるらしい。いや、同族だからこそ、なのだろうか。


「お帰りなさいませ、リオ様」


「ただいま。……説明してくれるかな、この状況」


 出迎えてくれたカーンは、少しばかりバツが悪そうに肩を竦める。


「説明も何も……あの娘が『匂いがしない』と、ただ不貞腐れただけで」


「匂いがしない?」


 ありとあらゆる生き物には固有の匂いが存在する――とはカーンの言うところだが、多分、僕が感じる魔力と似たものなのだと思う。匂いは時間が経つにつれて薄れてしまうものだ。


「時間が経ち過ぎている?」


「それだけではありません。断続的に降り続いた雨の所為で、匂いの大半が流れてしまったようです」


 なるほど、それでは経験の浅いニーナでは荷が重いだろう。


「おそらく最も追いやすいのは、つい先日姿を消した――」


「ケリーだね」


 キツネ族ケリー。彼の部屋から回収した衣服を差し出す。


「ニーナ」


 短くぶっきらぼうに呼んだ相棒は、窓辺で蹲る少女へと近寄る。すっかり消沈した瞳へと件の衣服を突き出す。


「これなら追える。試してみろ」


 思わず目を見張った。ニーナをないがしろにするどころか、率先して調査に関わらせようとするだなんて。


 きっとカーン一人で調査に挑む方が結果には早く辿り着けるし、何より正確だ。そうだというのに、未熟な幼子へと手綱を明け渡すとは。


 ほかほかと弾みそうになる声を押し沈めて、相棒の背へと問い掛ける。


「カーンは?」


「リオ様以外の持ち物に顔をうずめる趣味はありません」


「そっか」


「以前申したように、オオカミとは群れで子育てを行うものです。私はただ通例に倣って躾けたまでで……」


 そう口にするカーンだったが、どことなく目が揺れている。


 何か照れ臭いところでもあるのだろうか、微笑ましい気分になりながら、それを眺めていた。


「これ、この前のヒトの……?」


 不安そうに見上げたニーナ。だがすぐに顔を引き締めると、鼻を埋めてしばし閉目する。


「うん、覚えた」


「どこから辿るかは覚えているか」


「……最後に見た場所」


 曰く、匂いの辿り方は二通りある。まず一つに、対象の足跡――つまり地面との接触面を辿ること。もう一つに、空気中に漂う匂いを嗅ぎ分けること。どうやら今回は前者の方法を使うようである。


「お前は確か、『ネズミを獲ったことがある』と言っていたな。それを見つけた時と同じだ。やってみろ」


「うん」



   ■   ■



 キツネ族の青年、ケリー。夜半に姿を消した彼は、一直線にある場所へと向かっていた。


 彼の住まいである男子寮から、教室類の収まる教室棟をぐるりと迂回すること十分ほど。ツィンクス魔術特育校の敷地の外れ、裏手に広がる鬱蒼と茂る森が僕たちの目の前に現れた。


 いや、森であればどれだけよかっただろうか。


「これは……氷?」


 青く茂っていたはずの森は寒々しい氷柱に覆われ、木の幹も地面から伸びる雑草も、さらには小石の一つに至るまで、何かに覆われていた。


「これ、氷じゃないよ? ベロがくっつかない」


「こら、舐めないの」


 得体の知れないものに後れを取らないのは、ニーナのよいところであり、同時に危ういどころだ。


「これはアレだな、石英とかその類とそっくりだな。前に占いを生業としている奴が売りつけてたな、高額で」


 オルティラが地面から生える氷柱を掴んでもぎ取る。どうやら深く根は張っていないようで、多少の土とともに持ち上がってしまった。


 石英、と聞いて思い出すものがある。それは神族の硬い障壁を破った、若き再生者の魔術。


「まさか、〈結晶の魔術〉?」


 エギル・ザックハート。結び付いてしまった。


「あの坊主がこんな――宝石みたいな森を作ったって? そりゃあ冗談がキツイよ。私でも無理だって分かる。だって山頂まで結晶で覆われているんだぜ」


 ツィンクス魔術特育校の裏手に広がる山は、標高こそ高くないものの奥深くまで続いている。その一面が――グラナトのような都市以上の空間が結晶に覆われているのだ。僕がエギルのことを知らなかったら、きっと異常現象と判断を下しただろう。


 〈結晶の魔術〉とは僕が知らないだけで、既に周知の魔術なのだろうか。


 ぞっとしない話だ。


 魔界ならばまだしも、ここは人間界だ。まさかたった一人で、都市以上の範囲を結晶化させることなどできまい。仮に挑戦したとしても、長い年月と多くの人手が必要になることだろう。


 縋るような思いで否定をすることしかできなかった。


「リオ様、例の匂いはこの先に向かっています」


「この森の中に?」


 なぜ、と思うと同時に何となく納得する部分があった。異様の地、そこで消息を途絶える生徒たち。


 彼らが何を目的として森へと踏み入れたのは定かではないが、奥に何かがあることは確かだ。


「入るか?」


 そう尋ねながら、オルティラが結晶を手渡してくる。どうやら先程もぎ取った氷柱のようで、土が付着している。


 僕の手に渡った途端、燃えるような鋭い感覚が全身を走った。


 視界が揺らぐ。


 目の奥に火花が散る。


 気付けば、焦った様子のカーンに支えられていた。


「何をした!?」


「ちょ、本当に無実だって!」


 両手を挙げて首を振るオルティラ。彼女は悪くない。


「ちがう、これ、魔力……」


 オルティラから手渡された結晶は、淡い光を立ててみるみるうちに溶けていく。


 〈結晶の魔術〉を成す材料が何たるかを理解しておきながら、何たる失態であろうか。結晶は魔力を凝縮して作られる。


 思い返してみれば、ツィンクス魔術特育校へ到着以降に感じていた強い魔力は、結晶に覆われた森が出所であろう。


 魔界と遜色がない魔力濃度を誇る一地帯。何も起こらないはずがない。最悪の場合、現地の生態系に影響を与えている可能性も――。


「魔力酔いですか。お手を」


「大丈夫、眩暈めまいがしただけ。それより、少しまずいかもしれない」


 目的が何であれ、この結晶はこの場所にあってはならないものだ。


 ヘル・エンゲルス校長は知っているのだろうか。結晶の森の存在を。

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