109話 〈結晶の魔術〉

「〈竜の瞳〉を探し出す、というのも考えたんです。あの宝石は魔力を貯蔵する性質があるそうですから。でもやっぱりお金で引っ掛かって」


「それで……あの魔術」


「はい」


 そう頷いて、エギルは机の上から一冊の本を取り上げた。


 栞代わりの新聞の切り抜きを抜いて開いたページ。そこには、幾何学模様にも似た図とともに、多くの文字が連ねられている。


 題として掲げられていたのは、聞いたこともない魔術だった。


「〈結晶の魔術〉」


「かつて〈竜の瞳〉を人工的に作り出す試みがあったそうです。 そこから資料をさかのぼって調査を進めたら、見つけたんです。。単純だけど理にかなった術ですよね」


「た、単純じゃないよ。だって魔力は――」


 魔力は目に見えない。感じ取ることはできても、視認は不可能だ。エギルの言っていることは、まるで空気を押し固めるような、そんな無理難題に近い絵空事であった。


 僕ですら知らない、使える保証もない魔術。


 それを誰に師事することなく、ただの文字から学んでしまうだなんて。


 若さゆえの柔軟さと言うべきか、それとも天性の才能と呼ぶべきか。


 いや、でもよく考えてみれば――。


「……魔力体まりょくたいだって同じか」


「何です? 魔力体って」


「何でもない。……そうか、キミだったんだね」


 鉄壁と称される神族の結界を、いとも容易く打ち破った〈結晶の魔術〉。万が一にも神族に知られるようなことがあったら、命を狙われるかもしれない。


「キミが〈結晶の魔術〉を使えること、僕たち以外に誰か知ってる?」


「見せたことはないです、誰にも」


「もしもさっきの白い服の奴等が来ても、何も知らない振りをして。ケリーについては別に構わないけど、〈結晶の魔術〉については話さないように」


「分かりました」


 頷くエギルに、オルティラはどこか呆れ気味だ。


「随分と素直だな、少年。もっと何かないのか? こう――あいつらは何者なんですか、とか」


「リオさんが言うんですから、信じる信じない以前の問題じゃないですか?」


 そう唱えるエギルの目はあまりにも澄んでいて、とても揶揄の気配は見えない。


「アンタ、女より男に好かれる性質たちなのか?」


「知らないよ……」


 しかし、僕も身に覚えがないのである。どうしてここまでエギルが信用してくれるのか。


 確かに僕は、雨の中走る彼に手を差し伸べたかもしれない。落ちた本を拾い集めるのを手伝ったかもしれない。だけど、それだけだ。


 たったそれだけのことで、無心の信頼を寄せられるだろうか。


「エギル、詐欺には気をつけなよ?」


「ええ……?」


 流石のエギルも困惑の表情を浮かべる。彼はまだ若い。きっとよいカモになることだろう。


「ふふ、心配してくれたんですか? 思ったよりヒトらしいんですね」


「そりゃあ、僕だってヒト並みに心配もするよ。得体の知れない魔族を信用し切っているんだもん。人間族――いや、生き物として心配になる」


「心配する必要なんてないですよ。だってリオさんは、自分が呼んだんですから」


 言葉を追うように遠くから鐘の音が聞こえてくる。


 午後の授業の始まりを告げる鐘だ。


 それにはっと面を上げたエギルは、机に散らばっていた教科書類を掻き集めた。


「すみません、もう行きますね! 鍵は開けっぱでいいので!」


「待って、呼んだってどういう――」


 追い縋るが、若者の素早さは異常であった。扉は無情にも閉まってしまう。


 部屋に残された僕とオルティラは、ただただ顔を見合わせることしかできなかった。


「リオ、あの坊主に呼ばれたのか?」


「いや、まさか。僕は自分の意志でここに来た、はず」


 ツィンクス魔術特育校には、神代の遺物〈兵器〉と馬人族の手掛かりを求めてやって来た。


 まさか全て仕組まれていたのか。だとすれば、一体誰に、何のために。


 悩んでも仕方ない。巡り始めた思考を一蹴して、ひとまず自分たちの目的を達成することにした。


 この部屋を訪ねたのは、エギルと話すためではない。行方をくらませた青年への足掛かりを得るためであった。

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