108話 そういう関係

「エギル・ザックハート」


 そう名前を呼ぶと、目前の青年はにこりと笑みを作る。


 眼鏡の奥の、少しだけ濁った瞳。魔術の後遺症かそれとも生まれつきか、かせを得ていながらも、その笑みと眼鏡ガラスだけは曇っていなかった。


「キミがケリーと同じ部屋だったんだ」


「ケリー? あ、はい、そうですね」


 入りますか、とエギルは扉を開けて僕たちを部屋に招き入れる。


 人間族エギルとキツネ族ケリー。種族の異なる二人の部屋は質素であった。


 学習机、本棚、寝台それぞれを一対ずつ、左右対称に設置した簡素な造り。


 学生寮と呼ぶからには量産する必要があったのだろが、うら若き卵たちにとっては手狭だったようで、天井のはりから縄を落としてみたり、木片を組み合わせて手製と思しき棚を作ってみたりと努力の跡が窺える。


「すみません、普段人を呼ばないから椅子がなくて……」


 そう言いながらエギルは自分と、それからキツネ族の所有物であろう椅子をそれぞれ引きずってくる。備品のようで、どちらも同じ装飾だ。


「ああ、お構いなく」


「いえいえ、そういうわけには」


 胸の前で腕を振って、エギルは床へと座り込む。それでは悪い気がするからと、せめて寝台に腰を掛けるよう促すと、彼はやけに緊張しているようで、ちらりちらりと僕たちの様子を窺っていた。


「あ、えっと、リオさん。そちらの人は?」


「彼女はオルティラ。僕の助手だ」


 どうやらエギルの気がかりはオルティラだったようだ。


 足を組んで尊大に腰を掛ける、赤髪の女戦士――たとえ彼女に敵意がなくとも、ネコの前のネズミのような心持ちであろう。せめて膝は下ろすようピシリと叩くと、オルティラは渋々片足を下ろした。


 するとエギルを苛んでいた威圧も少しは和らいだようで、おずおずといった様子で目前の青年は声を発した。


「お二人は、どんな関係で……?」


 おや、と僕はピンときた。


 ひょっとしてこの青年、オルティラが気になっているのではないかと。思い返してみれば、この部屋に入ってからというもの、エギルの視線はオルティラに釘づけだった。


 オルティラの容姿は、身内贔屓ひいきを抜きにしても群を抜くものだ。先日まで滞在していたグラナトで、どれだけ惹きつけてきたことか。そんな彼女に、年頃の男子が目を奪われるのもの無理はない。


 そう悟れば、これまで畏怖に見えていた視線は、どことなく羞恥の感情を含んでいるように見えなくもない。


「安心して、僕とオルティラはそういう関係じゃないよ」


「いやそれは気にしてないんですけど」


「プッ……はははっ! おいおいボクちゃん、それ本気で言ってる? カーン殿がいないとここまでポンコツなのか?」


 隣から、心底馬鹿にした声が聞こえてくる。しかしそれに返す言葉は、身震いするほどに静かだった。


「だって人間となんて……ありえないでしょう?」


 僕のツノを見て、何か勘づいたらしいエギル。はたして彼の頭の中では、どのような方程式が立っているのだろうか。異類婚姻譚なんて昔からある話だし、全てを否定しなくてもよいのに。


 オルティラと恋愛関係に発展する気は微塵もないが、何となくモヤリとしてしまう。


「はー、笑った笑った。それじゃあ、そろそろ本題に入るとしようか。お腹も空いてきたことだし」


「ええと、ケリーの件でしたっけ」


 ころころと視線を動かしながら記憶を探るエギル。まるでリスのようだ。


「自分もケリーのこと、探してたんですよ。しばらく見かけてないなぁって」


「しばらくって、どのくらい?」


「うーん、今朝から……ですかね。自分が起きた時にはもういなかったので」


「キミが眠りに着く頃にはまだいた、そうだよね?」


「そうなりますね」


 こくりと、いたって素直に頷く青年。


 寮の就寝時間は午後十時と聞いている。その頃にはまだケリーは部屋にいたというのだから、彼の失踪時刻は深夜から朝方に限られる。その時間に起きている生徒はほぼ皆無、と言ってよいだろう。


「ケリー、何か妙な言動をしていなかった?」


「妙って……たとえば?」


「誰かに脅されているとか、呼び出されたとか」


「さあ?」


 誰にも告げず、誰にも悟られず失踪した青年。エギルから有力な情報を引き出すのは、ますます困難であるように思えた。


 匂いを辿ることによって行方不明者の場所は分かるが、事態の全貌が明らかになるわけではない。次なる行方不明者を出さないためにも、原因の究明は必須事項だ。


 そこでふとカーンの言葉を思い出す。


 ――血の匂いを纏う、眼鏡の少年です。


 神族の襲撃を退けた、結晶の波。その出自を、カーンは『眼鏡の少年』と称した。


 眼鏡は繊細な加工技術ゆえに、未だ高額で取引されている。一般庶民が安易に手に入れられるものではない。そうなれば、きっとカーンが示すのは。


「今日の二時間目頃、どこにいた?」


「え……普通に授業に出てましたけど。確かそこの……」


「オルティラ」


「ああ、すみません。オルティラさんもいましたよね」


「質問を変えようか。キミ、結晶を作る妙な術を使った?」


「そのことですか。はい、使いましたよ」


 頷くエギルの目は、ひどく澄みやかだった。思わず唖然としてしまう。まさかここまで素直に肯定されるとは思わなかった。


「リオさんが白い連中に襲われていたから咄嗟に使っちゃったんですけど、もしかして邪魔しちゃいました?」


「……いや、正直助かったよ。でも、あの魔術をどこで?」


「本です」


 居住まいを正したエギルはまっすぐと僕を見つめる。


「時間を掛ければ掛けるほど大きな魔術は使えるけど、それはどうしてかなって考えた時に、まず思いついたのが魔力の量だったんです。魔力の量に比例して魔術の威力が大きくなるなら、どこかに魔力を溜められないかと思って」


 人間界は、魔界や神界と比べると魔力の濃度が低い。魔力の濃度が低いということは、たとえば工業都市近辺において鉱石が採れない、というような材料不足とほぼ同義である。


 そのような状況にあるからこそ、人間界は他三界と比べると魔術が発達していないし、魔族や神族僕たちもまた使用を制限される。


「最近は魔導道具……だっけ? 魔術を助ける道具が出回っているそうじゃないか。それは考えなかったのかい?」


「自分は学生の身ですから」


 エギルははにかむ。先程までの研究者然とした態度とは一変して、学生らしい謙虚な姿勢だった。

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