106話 主人と眷属

「神族の件はどうしますか。このまま見逃してもよいのですか」


「僕が生きていることは、既に神族に知られている。だが、ここにいることを持ち帰られては困る」


「では――」


「追撃する。……と言いたいところだけどね、今の僕が勝てるかは正直分からないんだ。ろくに魔力を使えないしね」


 しかし彼らとて僕の首は欲しいはず。ならば、みすみす逃がすような真似もしないだろう。


 また仕掛けてくる。きっと戦力も割きたくないだろうから、今度こそ三人で。


「機会はある。今は別のことをしよう」


 生徒が行方をくらませる事件。それが依然、解決をしていないのだ。むしろこちらが優先であろう。


 情報のすり合わせを始めようとしたその時、突然視界が浮き上がった。


「……カーン?」


「怪我、なされているのでしょう?」


「そんな大袈裟な……」


 ぐらりと身体が揺れて、慌てて白銀の頭に掴まる。僕を縦抱きにしたカーンは、久方ぶりにご機嫌だ。


「女共がいないだけでとても静かですね。このまま出立しましょうか」


「またそういうこと言って。お調子者」


 カーンは僕との二人旅に未練があるらしく、時折こうして思ってもいないことを口にする。いや、思ってもいないかどうかはさておき、矢継ぎ早に仲間が増えてきたから、彼にも整理の時間が欲しいのかもしれない。


 何せ魔界を出てから五十年近く、僕と二人きりで過ごす時間の方が多かったのだから。


 ひょいと飛び上がって、貴賓棟の窓から客間へと入る。空気を入れ替えるためと開けておいた窓が、どうやら役に立ったらしい。全くもって用意周到というべきかお見通しというべきか。


 寝台ベッドに降ろされた僕は、ベストとシャツをそれぞれ肩から落として、カーンの気が済むまで検分をさせてやる。打撲傷なんてもの、残らないというのに。


 カーンの浅黒い指が肌を掠めていく。男のものにしては細く長い指。それが胸の中央に到達する。


「…………」


 僕の胸には宝石が埋まっている。


 〈竜の瞳〉――魔力を集め、溜める性質のある希少な石だ。これが僕を魔術士たらしめ、そしてながく生きながらえさせているものだ。


「外傷はありませんね」


「言ったでしょ、大したことないって。本当に大袈裟なんだから……」


 どことなく腑に落ちない顔をしながらも、カーンは一つ一つボタンを閉めていく。


「貴方といると、〈治癒の魔術〉が必要ありませんね」


「寂しい?」


「主人の世話こそが、眷属の特権ですから」


「着替えとか食事の用意とか、いろいろ世話をさせているでしょ。それでも不満なの?」


 くすくすと肩を揺らすと、ベストまで着せ終えたカーンが、仕上げとばかりにリボンを結ぶ。


 これですっかり元通りになった。それどころか、以前よりきちんとしている。


 何となく釈然としない気分の反面、安堵すら覚えてしまう僕は、もう末期なのだろう。


「私は魔族ですから。強欲で傲慢で、国よりも貴方の命を優先した、優秀な眷属です」


 主人と眷属。魔族特有の、家族よりも深い繋がり。何てことはない、それは妄信にも似た主従であり、依存である。


「リオ様、貴方は仰いましたね。人間族は守護すべき存在だと。しかし私にとっては、貴方こそが至上なのです。貴方と人間族を天秤に掛けても、迷うことなく貴方を取るでしょう。たとえ貴方のめいがあったとしても」


「……うん」


「不満ですか?」


「いいや、キミならそう答えるだろうと思っていたよ」


 首を振って、寝台から立ち上がる。むしろ眷属としては満点の回答だろう。きっと褒めてやるべきなのだろうが、どうにもその気にはなれなかった。


 労わりの言葉を掛ける代わりに、僕は窓の外を見やる。


「僕たちがしなければならないのは、行方不明事件の解明。それから神族の殺害。両立については問題ないだろう」


「後ろに控えていた双子――おそらくは神の名を冠する者と思われます。実力は、前線に出ていた女よりも遥かに上でしょう。人的不利が明白である以上、わざわざ人員を割く必要はないかと」


 ――二柱様……!


 神族の女は、双子を確かにそう呼んだ。神の助数詞である『柱』。神族の中には、厚かましくも、それを適用される上位の者がいる。神名と序列こそ忘却の彼方にあったが、十二分に警戒に値する人物だ。


「……オルティラの腕は信頼していいと思うかい」


「雑兵程度ならば七割」


「へえ、キミにしては随分と買っているんだね?」


 カーンとオルティラは衝突してばかりだったから、戦闘の腕も認めていないのかと思った。目を丸めて驚いた風を装えば、カーンはバツが悪そうに肩を竦める。


「私が気に入らないのは容姿と性格だけです。七割、というのも、アレの真価を見定めずに算出した数字です。今後の活躍によっては上下するかと」


 カーンがそこまで言うのだ、オルティラは対神族の戦力として数えてもよいだろう。ニーナは論外として、残すは――。


「結界を破った、あの魔術」


 氷のような石英のような、あまりにも純粋で魔力に満ちた魔術。


 保守的な神族は、その信条に違わず、『守護』に関わる魔術に長けているとされている。それをいとも容易たやすく破ってしまうだなんて。並みの魔術士ではあるまい。


「ぜひとも接触してみたいね」


「術士は未だ確認できていませんが、目星はついています」


「本当?」


 やはり僕の相棒は仕事が早い。身を乗り出して問いただすと、カーンは一つ頷いて短く答えた。


「血の匂いを纏う、眼鏡の少年です」

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