105話 認めてなるものか

 ビヨルグ大帝国。魔界を分け隔てる四つの国の中で、最も強大な国力を持つ国。


 人神戦争に敗れたにも関わらず一強を保ち続けているのは、他ならぬ底力と大地を隔てる深い峡谷ゆえであった。


「まさか覚えているなんて。負け犬には興味ないと思っていたよ」


「貴様は神界で裁かれるべき大罪人だ。忘れるわけがあるまい」


 いいことを聞いたとほくそ笑むべきか、それとも顔を青くするべきか。


 流石にこの展開は予想外だった。処刑に失敗した旨を神族へ流した――あの魔族が、である。魔族にとっては最大の汚点となるであろうそれを、みすみす。


 ありえない。まさか、神界との繋がりを持つ魔族が存在するのだろうか。


「英雄殿では飽き足らず、僕の命までも狙おうなんて。キミたちは本当に傲慢だね」


「あれは人間が勝手にやったことだ。我々の総意ではない」


 英雄ユリウス・ルットマン。大戦において多大なる功績を遺した彼は、戦後すぐに処刑された。他でもない、彼が守ろうとした人間族によって。


 その前後に何があったのか――それは僕ですら分かっていない。ちょうどあの頃は身の回りがごたついていたし、何よりも記憶がすっぽりと抜け落ちている。当時を知るのは、おそらく相棒のみ。


「キミには分からないだろうね。なんて。あの時ほど自分を呪ったことはなかったよ」


「戯言を。英雄の処刑、そもそもあれは、貴様の所為でもあるのだぞ、エリオット・バーンステン」


 そんなことはない。その言葉が、出てこなかった。


 人神戦争は人間族と神族の間で巻き起こった争いだ。しかしながら、その根源には魔族が関わっているのだった。


 神代より続く三種族、三界の醜い争い。誰よりも分かっている。自分が原因だなんて。だけど、だけど――。


「一国の王として一国を訪ね、交流を行った。ただそれだけのことだ。これを『罪』と呼ぶならば、キミたちはさぞや窮屈な生活を送っているのだろうね。可哀想に、同情するよ」


 認めてなるものか。


「被害者面をと、キミは言いたいのだろう。僕にしてみれば、なぜキミがそんなにも魔族を非難するのかと問いたいくらいだよ。あの戦争を経験したか? 大事な人を失ったか? 誰もが同じ苦しみを味わっているのに、キミだけがさも悲劇の主人公であるかのようにふるまう。滑稽だね、神族は責任転嫁が得意だよ、


「貴様……!」


 憎悪の炎を瞳に宿して、女性が飛び掛かってくる――その時であった。耳を劈く音とともに結界が破られる。はらはらと舞い落ちる破片の奥から、氷のような何かが地面を割いて迫ってきていた。


 バキバキと、骨を折りたたむかのような音。僕も女性も互いに飛び退いて距離を取る。


 見た目は確かに氷だ。しかし石英のような角柱が、いたるところから飛び出している。何よりも、まるで凝縮したかのように濃厚で濃密な魔力が辺り一面に漂っていた。


 人間界の五倍はあろうかという密度に眩暈がする。こんなにも濃い魔力は久し振りだ。思わず口花を押さえて踵を引いた。


「侵入者ッ――二柱様……!」


 女性が天を仰いだ、ほんの一瞬の隙を突いて、銀色の影が突っ込んでくる。


 風切りの音。パッと散る赤色。


 鋭い一閃は女性の腕を切り裂き、決して浅くない傷を負わせた。


「リオ様!」


「カーン……!」


 身を翻して、少しだけ肩を濡らしたカーンが僕の前に降り立つ。


「申し訳ございません、遅くなりました」


「ふふ、それは皮肉かい?」


「まさか」


 フ、と微かに表情を柔らかくするカーン。しかしすぐに口角を引き締めると、


「やはり手を出してきたか、神族。堪え性のない連中だ」


 キミがそれを言うのかと、思わず口を突いて出そうになる言葉を飲み込んで、僕はちらりと上空を見上げる。


 そこには依然として双子の神族が漂っていた。結界が破られても女性が傷ついても、顔色一つ変えない。まるで想定内であるとばかりに。はたして彼らの目的とは何であろうか。ただただ不気味で仕方ない。


 先に撃ち落としてもよいのだが、女性の反応から察するに、きっと骨が折れることだろう。できることならば相手にはしたくない。ひっそりと奥歯を噛み締める。


「眷属……そうか、貴様もいたのだったな。いいだろう、貴様の首も揃えて献上してやろう」


 女性の身体から身の凍えるような濃い魔力が立ち上る。剣を水平に、切れ味を見せつけるかのごとく白銀を晒す。その奥では鋭い眼光が爛爛と輝いていた。


「止めだ、レドナ」


 不意に声が降ってきた。制止の声を掛ける双子に、女性――レドナと呼ばれた女神族は食い下がる。


「な、なぜですか! これほどの好機をなぜみすみす――」


「蛮民が集まってきた」


「見世物になる気はない」


 彼らの言う通り、騒ぎを聞きつけたらしい生徒が窓から顔を出している。幾分か距離があるとはいえ、魔族と神族が争っているところなど丸見えであろう。


 代わる代わる文句を口にした双子は、一足先にと屋根の向こうに姿を消す。呆気ない幕引きであった。


 双子の消えた方角を憎々しげに睨みつけていた女性は、しばしの沈黙ののち、すらりと剣を下ろす。


「……今回ばかりは見逃してやる。しかし今後、我々の前に姿を現したら」

 鍔鳴り。

「その時は貴様の首、貰い受ける」


 そんな捨て台詞を吐いて、女性は双子のあとを追った。嵐のようであった。神族の去った裏庭は閑散としていて、生徒の騒めきすら遠くに聞こえる。


「リオ様、お怪我は」


「軽い打撲くらい。それ以外はないよ」


 納刀をして駆け寄る相棒に応じる。それから言葉が続くはずもなく、ただ気まずい空気が流れる。


 いとまを出された身だ、きっとカーンからは話し掛けづらいだろうと、ひとまず緩衝の話題を口にする。


「……さっきの結晶、キミが?」


「いいえ」


 曰く、結晶の波が先行して結界を破ったから、カーンはそれに乗じただけとのこと。


 先程の魔術は僕でも見たことがない。氷とも、ましてや石化でもない。もっと純粋で、原始に近い魔術だ。それを、まさか人間界の者が扱えるだなんて。信じがたいというか、眠れる才能と喜ぶべきか。


 出所を訝しんでいると、ふとカーンが膝を折った。湿った草原に膝をつけて、恭しく首を垂れる。


「先日は、申し訳ありませんでした」


「……僕も熱くなりすぎたよ。神族に会ったからかな、ちょっとピリピリしてた。ごめんね」


 すり、と褐色の頬に指の背を這わせる。目を細めて受け入れるカーンは、まるで懐いたばかりのネコのようであった。


「カーン。キミにとって人間族は仇敵のようなものだろう。だけど僕にとっては――いや、僕と英雄と仲間たちにとっては、守護すべき子犬なんだ。酷なことだというのは分かっている。だけど、頭の片隅に置いておいてほしい」


 これは僕なりの弔いなのだ。


 何の尻拭いもできなかった、不甲斐ない王との最後のけじめ。


 ただ一人の相棒には、否定をしてほしくない。自分勝手で傲慢なお願いではあるけれど、今回ばかりはカーンも了承してくれたようで、ただ一言、「はい」と頷くばかりであった。

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