104話 血の一滴、骨の一本がなくなろうとも

「走れ走れ走れーっ! 余力を残そうなんぞ甘い、一滴残らずしぼり出せ!」


 声を荒げる先生に背を押され、生徒たちは足を懸命に動かす。早々に棄権した僕は、外からその様子を眺めていた。


 体力づくりの科目の一環として行われているのは走り込みだ。一定距離を一定速度で往復する、走り込みの中でも特別忍耐力のいる種目だ。


 僕たちの中でもトクに活発なニーナとオルティラは、生徒に先んずる形で走り回っている。しかしそれについて行く者がいた。『小麦』と呼ばれていた青年オスカーである。それから二周ほど遅れてアンネリーゼとダミアンの姿もある。


 彼らの所属する魔術研究部は華々しい成績こそ上げていないものの、なかなかに根性のある人材が揃っているようだ。この分ならば、いずれ芽を出すことだろう。


 一人の魔術士として、ぜひとも彼らの成長を見届けたいところだが、そうもいかないのが残念で仕方ない。


「……あれ」


 ふと、あることに気づく。


 確かこの授業は、一年生と二年生の合同授業であったはずだ。二年生のアンネリーゼらがいることは想定の範囲内であるが、対して一年生のキツネ族の姿が見えない。


 まさか病欠だろうか。胸騒ぎを覚えながらも観戦していると、ふと背後から足音が聞こえた。さくさくと草葉を踏み締める、三つの足音。振り返るまでもない。


「やあ、来ると思っていたよ」


「護衛も付けずに物見か」


 気楽なものだな、と嘲声が降り注ぐ。


 神族だ。授業を見に来た、女性と双子の少年の計三人の神族。出会い頭に斬り掛かられないだけマシと言うべきか。


「ちょうどよかった。キミたちには聞きたいことがあってね」


 立ち上がって、尻についた木の葉を払う。


「この学校で、何をしようとしている?」


「それはこちらの台詞だ、魔族。辺境の地に、よもや貴様が現れようとはな。僥倖ぎょうこう、と言わざるを得まい」


 神族は神族で、追求の姿勢を緩める気はないようだ。互いが互いを疑う、平行的で不毛な争い。


 しばしの硬直状態。遠くに聞こえたはずの生徒の声はすっかり遠のき、身を切り裂くような殺気が真っすぐと向けられていた。


「目を疑ったぞ」


 短く、女は言う。


「昨日、教壇に立つ貴様を目にした時、まさかと思った。同時に好機とも。何てことはない、


「僕も驚いたよ。この学校が……いや、このエルツ共和国全域が神族の支配下にあるなんて。キミたちの支配欲は相も変わらず凄まじい。感心するよ」


 人神戦争のきっかけも、元はといえば神族の行き過ぎた支配であった。彼らは何も学んでいない。


 勝利を手にしてしまったから、罪を罪となじられなかったから。


「吐き気がする」


「支配とは人聞きが悪いな、魔族。我々はただ『保護』をしているだけだ。下等の種族に知恵を授け、指揮を執り、導いているだけだ。それが全種族の幸福に繋がる。これに何の問題がある」


「キミは人間界を巡ったか? 現地の人々と触れ合ったか? 人間界に住まう人々は自ら考え、自ら動く力を持つ。キミたちが手を差し伸べなくても、十二分にやっていけるよ」


 人間界と比べると、魔界と神界は発達している。ただしそれは魔術に関わる分野のみで、たとえば鉄砲――工業都市で垣間見た、火薬で鉄塊を吐き出す装置は、人間界特有のものだ。


 鉄砲の前進である大砲も、蒸気を活用した船舶も、全てが人間界に住まう種族が育んだ『技術』だ。これは魔族と神族を凌ぐものがある。


 彼らは歩み続ける。魔術という半万能物に胡坐あぐらをかいた我々を置いて。



「定められた幸福なんて、傲慢以外の何物でもない」


「所詮は言葉の通じぬ蛮族よ。発展は至上の喜びだというのに。……まあいい。もう貴様には関係のないことだ」


 すらりと細身の剣を抜き放って、女性が飛び掛かってくる。このままだと生徒に被害が及ぶ可能性がある。一太刀目をひらりと避けて、僕は一目散に駆け出した。目指すは貴賓棟の裏。あそこならば建物が壁になる。


「チイッ! 逃げるか、卑怯者め!」


 狙い通りに誘いに乗ってくれた女性が追いかけてくる。双子はさほど興味がないのか、ゆったりとした足取りだ。存外短気な女性に対して、双子は何を考えているのか皆目見当もつかない。


 あの余裕然とした態度は、いったい何なのだろうか。不気味で仕方ないが、彼らに構っている暇はない。


 校庭の見えない位置まで辿り着くと、ようやく僕は足を止める。踵を返して、鞘から剣を抜き放つ。飛び掛かる剣を受け止めると、踵が草葉を巻き上げた。


 じぃんと腕が痺れる。ガチガチと剣のかち合う音がする。女性の気迫はさながら悪魔のようで、目にするだけで寒気のするものがあった。


「どこまでも笑わせてくれるな、卑怯者。この期に及んでまさか逃げようなど。だが、そうはさせん」


 追いついた双子がふわりと浮かび上がる。建物の屋根まで差し掛かろうとしたその時、半円状の結界が間を隔てた。


 海中で見た魚人族の城や神の寝床で用いられていた『空気の泡』と、原理としてはほぼ同じだ。外界と遮断する、薄い壁――今回ばかりは出入りも制限することだろう。


 なるほど、今度は逃がさないと。望むところだ。


「野蛮人はどっちだよ。生徒を巻き添えにする気かい?」


 手元に赤い光が弾ける。至近距離から放たれる〈炎の魔術〉には、流石の神族もひとたまりもなかったのだろう。顔色を変えて飛び退ずさる。白い肌と服に、微かな焦げ目がついていた。


「……こんなものか、魔族」


 しかし神族の図太さは未だ変わりなく、その執念深さも健在のようだ。


 切っ先が迫る。右の中段から上段へと切り上げる。すんでのところで身を引いて避けるが、逃げ遅れた前髪が宙を舞った。明らかに首を狙った動き。殺意。


 ――速い。が、身体ががら空きだ。


 その瞬間、側頭部を衝撃が襲う。女性の左旋脚が頭を捉えたのだ。身体が吹き飛び、気づいたと時には肩から地面へと叩きつけられていた。ほんの一瞬、身体がぴくりとも動かせなくなる。ツンと鼻をつくのはむせ返る土と血の香り。


 ヒュ、と風切りの音が耳に届く。全身を折り曲げて地面から跳ね上がれば、次の瞬間には鋭い踵が地を抉った。


「そうでなくてはつまらん。そうでなくては、あの子も……」


 女性の唇が狂気に歪む。


 工業都市で見かけた魔族と同類か、何となく辟易とした気分になるが、どうも様子がおかしい。神族の表情には決して愉悦など浮かんでいなかった。憎悪に怨恨、ありとあらゆる『負』を煮詰めた、どす黒い感情。


――エリオット・バーンステン! たった一度の死で罪を贖えると思うな。血の一滴、骨の一本がなくなろうとも、我ら神族がありとあらゆる尊厳を打ち砕いてやる」

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