103話 生き抜く力

 アンネリーゼを始めとした四人の生徒たちとの情報交換を終えた僕たちは、ひとまず貴賓棟きひんとうへと戻っていた。


 授業を終え、これから始まるのは静かな夜の時間。部外者が校内をうろうろして変に疑われてはかなわないと、この時間は大人しく貴賓棟へと引き籠ることにした。


 キツネ族の獣人から預かった行方不明者の一覧を一瞥して、葉の開いた紅茶を茶碗カップに注ぎ入れる。待ちきれないのか、尻尾を振るニーナがハチミツのびんをたぐり寄せた。


「ニーナ、匂いを辿って何かを探したことはある?」


「うん。獲物の獲り方、お父さんに教わったから! ニーナね、初めての狩りでウサギを捕まえたんだよ、凄いでしょ!」


「そっかそっか。それじゃあ、これからはカーンのお手伝いもできそうだね」


「えっ、やだ!」


 ばっと鼻を隠すニーナ。だがすぐに手元に紅茶があることを思い出したのか、ハチミツを茶の中へと注ぎ入れ始めた。その量といえば、ほぼハチミツなのではないかと胸焼けするほどで、珍品のはずのブドウの茶葉が哀れで仕方なかった。


「それにしても、まだカーンの奴は現れないのか」


 どことなく不貞腐れた様子で吐き捨てるオルティラは、未だ空白の席を一瞥する。暇を言いつけた相棒は、律儀にもそれを守っているようだった。


「なあ、そろそろ許してやったら?」


「……随分とカーンの肩を持つね」


 キミがそんなに人情家だとは思わなかった。


 紅茶から立ち上る湯気に息を吹きかけて茶化せば、オルティラは決まりが悪そうに口元を歪める。


「別にそういうんじゃない。アレがいないと、私までアンタに縛られたままだからな。さっさと自由が欲しいんだよ」


「ふうん?」


「……何、その顔。らしくないってか?」


「いやいや。どちらかと言えば、言い訳を並べる今のキミの方が『らしくない』ね」


 そう口にすると、オルティラも思う節があったのか、居心地悪そうに黙り込んでしまう。


「意地悪するなよ、モテないぞ」


「……カーンの言葉は僕と、そして散っていった仲間の全てを侮辱する言葉だ。あれは口にしてはいけなかった。本心ではどう思っていたとしてもね」


 ――人間風情が口を出すな!


 あの言葉は、確かに彼の本心だった。人間への干渉を辞められない僕と、それを特別とも思わない人間族への警鐘を込めた憤怒の声。


「何やら大儀がある様子で」


「……こう言うのも何だけど、キミは他人を気にしないよね」


 同行に危険はつきもの。そう話してはいたものの、普通であれば「なぜか」と問うにきまっている。しかしオルティラは、一度も尋ねようとはしなかった。何度機会があろうとも、命の危険にさらされようとも。


「旅に理由はつきものさ。旅は道ずれ――しかし、その全てを明かし合う必要はない。知ってほしくない事柄ならなおさらね」


「知られてもいい情報なら?」


「それなら知ってやってもいいさ。無論、私に害が及ばない範囲でね」


 片目をつぶって茶目っけ豊かに返すオルティラ。だがすぐに表情を引き締めると、窓の外を示した。


「ここからじゃ見えづらいが、門のところで明かりが動いてる。加えて外壁に沿って周回している奴もいる。完全に監視してるな。大方、相手方はアンタを逃がしたくはないんだろう。今回の件だって、どうにも都合がよすぎる――いや、悪すぎると言うべきか」


 今回の件、つまり生徒の行方不明事件であろう。ツィンクス魔術特育校への滞在を終える、まさにその時に情報が開示されたこと。神族の件も合わせて、あまりにも偶然が過ぎる。


「これだけの情報があれば、何となく見えてくるものさ」


 何と疑り深いことか。僕は彼女の認識を改めなければいけないようだ。


「生き抜く力だね、尊敬するよ」


「褒めたって何も出やしないよ」


 鬱陶しそうに手を振るオルティラだが、まんざらでもなさそうだ。


「なあリオ、人間族は確かに弱い。ろくに魔術も使えないしな。だけど、守られてばかりじゃあクるものがあるよ。あの英雄のように並び立つだけの実力は備えているつもりさ」


「……別にオルティラを見縊くびっているわけではないよ。キミは強い。それにニーナの脚力も僕たちの中では一、二を争う」


「争う? そんなに足の速いやつ、いたか?」


「カーン」


「あいつが?」


「うん、彼もオオカミ族だから」


 ピンとニーナの耳が伸びる。彼女は勢いよく僕の方を振り向くと、


「カーンもオオカミ族なの? 耳、ないよ?」


「あれは〈変形の魔術〉――姿形を偽る魔術を使っているだけだよ。本来の姿は耳も毛もある」


「ほえ……」


 ニーナの目がみるみるうちに輝きに満ちていく。


 実のところ、カーンはたびたび本来の姿に戻っていたのだが、ニーナがそれを垣間見ることはなかった。というのも、彼が好んで魔術を解く時間帯は深夜であったし、その時のニーナはすっかり夢の中だ。見られないように時を選んでいたのではないかとすら疑ってしまう。


「カーンが戻って来たら聞いてごらん。きっと答えてくれるだろうから」


「……答えてくれるかなぁ」


 その声色には、寂しげな色がにじんでいる。大丈夫だと念を押して、


「とにかく、僕はキミたちを信頼している。こんなところで軋轢を生みたくはない。望むなら、僕たちの全てを話そうと思う」


「カーン殿に怒られるぞ」


「もともとは彼が撒いた種だから」


 罪滅ぼし、というつもりではないけれど、禍根は少なければよい。きっと彼がいれば全力で引き留めるのだろうが、彼は自身のあやまちゆえに席を外している。何と皮肉だろうか。


 冷めかけた紅茶を口に含んで一息ついてから、ようやく「まずは」と切り出した。


「僕とカーンが、人間族――いや、人間界とどんな関係にあるのか」

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