100話 躾は大事でしょう

「……カーン」


「…………」


 流石にあれは言い過ぎだ。


 咎めようとするが、彼自身も後ろめたく思ったのか視線を逸らしてしまう。しかし今回ばかりは意見を――生徒行方不明事件介入への非難を撤回する素振りは見せなかった。


 彼の気持ちも理解できる。しかし耳に届いてしまったからには――。


「しばらく側仕えの任を解く」


「リオ様――」


「頭を冷やせ」


 どれだけの屈辱か。首の後ろが騒めくような怒りを、憎しみを、殺気をにじませる獣。


 神族のことも懸念ではあるが、あれは元々カーンなど眼中にない。たとえ彼が独り歩きしていたとしても、八つ当たりまがいに絡まれるくらいだろう。命までは取られないはずだ。悪くて腕をもがれるくらいか。


 後頭部にひしひしと視線を感じながらも、それに応えることはしない。戸惑った様子のニーナが僕とカーンとの間を彷徨さまようのが、ただただ申し訳なくて仕方ない。


「どうしました、声を張り上げて」


 声の方向に視線をやると、ちょうど向かいの角から少し慌てた様子で男性が走って来る最中であった。


 それは僕たちを出迎えてくれた男性教員だった。


 それと入れ替わるように、カーンが姿を消した。すれ違う褐色の男を不思議そうに見上げてから、男性教員はおずおずと問う。


「何かありましたか?」


「いえ、すみません。連れがびっくりしちゃったみたいで……」


 不意にオルティラが切り出す。


「なあ、先生。最近病欠の生徒が増えてるんだって?」


「病欠、ですか? はて、そんな話は……」


 大した不信も見せず、ただただ首を捻る男性。


 少し悩んだ末、ふと思い立ったように呟いた。


「病欠かは分かりませんが、休みがちの生徒がいることは確かですね。私は一年から四年――最高学年まで、全ての体育を請け負っているのですが、何人くらいかな。十人かそこらかな。でも、どうしてそんなことを?」


「いやね、さっきそこを歩いていたら話が聞こえてきてね。ただ気になっただけさ。私の故郷では雨期特有の病ってのが多かったからね」


 オルティラは窓外を示す。


「それはそうと、学校側が生徒のことを把握していないのはいいのかい?」


「はあ、それはそうなんですけども」


 ちらりと男性教員は背後を見遣る。


「……あまり大事おおごとにはしたくないみたいで」


 大事にはしたくない、とは言うが、隠し通すのは不可能だろう。生徒の中には勘付き始めている人もいる。きっと時間の問題であろう。そのような状況下で隠蔽いんぺいを続けるのは、どうしても悪手に思えてならなかった。


 僕は口を挟んだ。


「どうして生徒たちが休んでいるのか、分からないんですか?」


「それが……家庭の事情で、としか」


 家庭の事情。そう言われれば僕も引き下がらざるを得ない。


 閉鎖機関、それゆえに隠しごとを転嫁は難しくない。普通であれば疑ってかかるところではあるが、目前の男性は彼は何も知らないだろう。仕草も表情もあまりにも実直すぎる。


 教員といえど末端の駒ということか、情報はさほど開示されていないようだ。


 これ以上彼から得られる情報はないだろう。しかし収穫はあった。


「そうですか、ありがとうございます」


 引き留めてしまってごめんなさいと解放すれば、男性教員は人のよい笑みとともに手を振る。


 それを見送ると、喧騒の響く廊下に鐘の音が響き渡った。どうやら次の授業が始まるらしい。騒めきが引き、黒板を叩く音や数を数える音が聞こえる。


「……別に、私はよかったんだぜ?」


 不意に聞こえた呟き。一瞬何のことか分からなかった。しかしすぐに思い当たる。


 カーンのことだ。律儀にもオルティラは文脈を覚えていたらしい。当事者も同然の彼女からすれば、面白くない展開であろう。


 いっそのこと、いつものように意地の悪い笑みでも浮かべていてくれればよいのに。なぜこんな時に限って、親を見失った子供のような目をするのか。


 オルティラは仲間内で唯一の人間族だ。魔族でも、ましてや獣人でもない。人間風情が――その言葉が誰を指していたかなど、幼子でも分かる。


しつけは大事でしょう」


 僕はただ、はっきりと罰を与えたまでだ。オルティラを庇った訳ではない。そう断言すれば、オルティラは呆れた様子で肩を竦めた。


「面倒事に巻き込まないでくれよ」


「もう手遅れだよ」


「だよなぁ」


 はあ、と額に手を当てるオルティラ。


 僕たちについて来た時点で面倒事が起きることは確定なのだから、いい加減に諦めてほしい。というか、そもそも面倒事を運びがちなのはキミじゃないか――こぼれそうになった小言にふたをする。


「リオ、カーンと仲直りできる? ニーナ、郵便屋さんしてこようか?」


「大丈夫だよ。ありがとうね、ニーナ。その代わり、さっき話していた子たちを探してくれないかな。匂いは覚えてる?」


 僕の袖を引くニーナに問い掛けてみれば、彼女はぱっと表情を明るくした。


「うん、バッチリ!」


「ならよし。オルティラはニーナについて行ってあげて。放課後、食堂で会おう」

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