99話 人間風情が
講義を終えた教室。次の授業があるからと生徒が散る一方で、話しを聞きたいと無邪気に声を掛けてくる生徒もいた。
魔術士とは元来好奇心が強いものである――その言葉に違わず、卵たちは臆することがなかった。
「失礼」
「通してくれ」
生徒たちを押し退けて、白い服が近付いてくる。遠目で見た通りに三人。同じ顔をした二人に女性だ。
真後ろに控えていたカーンがずいと進み出て、僕と神族との間を隔てる。最大限の警戒を露わにする相棒に軽く触れてから、
「何かご用かな、神族の諸君」
「それはこちらの台詞だ、魔族」
そう応戦するのは女性だ。猛獣すら射殺す目で僕を見下ろしている。
「この学び舎に何の用だ」
「調べものだ。まさか魔族は学術活動すらしてはならない――とは言わないよね。そんな規定、結んでないけど」
猛る心臓を抑え付けて努めて冷静に応じれば、女性の視線が微かに鋭くなる。何か勘付いたようだ。そろそろ頃合いだろう。
「もういいかな。早く出て行ってほしいなら邪魔をしないでくれ」
なぜ神族がここにいるのか――それは未だに分からない。偶然であるかもしれないし、あるいは何者かに仕組まれたことなのかもしれない。どちらにせよ、未来ある生徒たちに醜い争いは見せたくないものだ。
そんな僕の思いやりを一蹴して、目の前に白い服が立ち上がる。見上げた先にいたのは女性――講義中から、やけに侮蔑の眼差しを送ってきた女性だ。
「我々の前に顔を出しておきながら、よくも逃げ
「神代より人間界は不可侵の地。それを破ったキミたちに、『許可』など口にする権利はあると思っているのか」
「不可侵? 笑えるな。中世界――もとい人間界は我らの祖が作り
僕たちの険悪な雰囲気が伝わったのか、周りの生徒たちも困惑気味だ。二種族の確執は人間族にも伝わっているはずだが、子供たちは例外なのだろうか。
不意に女性の横に神族の少年が進み出た。僕とともに教壇に立った人物だ。彼はちらりと僕の方を一瞥したのち、ひょいと手を動かした。向こうへ行け――そういうことらしい。
彼は女性とは違って血気盛んではないようだ。何となく肩透かしを食った気分になりながらも、僕は黙って立ち去ることにした。
「退去がご所望ならそうするよ。僕だって、キミたちの顔を見たいわけじゃない」
神族の横を通り抜けて教室を後にする。
追手はなかった。彼等とて同じ気持ちだったのかもしれない。そう思うと少しばかり溜飲が下がるが、腹の底が見えないのは同じこと――警戒は怠らない方がよいだろう。
授業の合間で賑わう廊下を進む。
僕たちの存在に気づいた生徒たちの数人が不審そうに視線を向けてくる。
旅人滞在の旨は既に生徒たちに連絡済みだ、とヘル校長からは聞いているが、やはり魔族であるというだけでよい顔はされない。その視線にもすっかり慣れてしまったが、若人たちの目にも侮蔑の色が映っていると少しばかり気が滅入る。
「リオ様、今すぐここを離れた方がよいかと」
進言するカーンの表情は至って真剣だ。
「この地で相対するには、あまりにも不利です。魔力が潤沢であるならばまだしも、今のあなたでは敵いません。あの女共には私から言います、だから貴方だけでも――」
彼の言葉ももっともだ。神代よりいがみ合う種族が相対すればどうなるか、答えはおのずと決まっている。この地が更地になるだけでなく、再び、しかも大々的に魔族と種族が争うことになるだろう。
一応締結した先の戦争が過熱する。そうなればあの大男の思う壺だ。
そうしようか――頷きかけたその時、聞き慣れた声が廊下に響いた。
――うう、匂いがいっぱいで分かんないよぉ。
――そこを何とか! この学校の獣人は信用できないんです……。
そこにいたのはニーナとオルティラ、それから数人の生徒たちだった。ニーナの手には制服と思しき布が抱えられている。
「何してるの?」
「あっ、リオ!」
こちらを振り向いたニーナは、ぱっと表情を明るくする。
「あのね、このヒトたち、探しものしてるんだって」
突然の僕たちの登場に、生徒たちは気後れした様子だった。しかし困りごとなら見捨てておくわけにはいかない。
仔細を話すよう促すと、彼等はお互いに視線を交わしたのち、一番気が強そうな少女が先陣を切った。
「私たちはこの学校の二年生です。ニーナちゃんには、私たちの友達を探してもらおうとしてて……」
「確かこの学校は寮制だったよね、実家に帰っている――という訳ではなくて?」
「だったら何か言ってくれるはずなんです。何も言わずに帰省なんて、今までなかった。……部屋にもいなかったし、何かあったんじゃないかって」
「学校には言ったの?」
「言っても解決しないから、ニーナちゃんにお願いしたんです」
イヌ族は獣人の中でも鼻がいいと聞くから、と少女はニーナの方を見遣る。ニーナはオオカミ族ではあるが、そうと公言しないよう伝えてある。一応約束は守ってくれたようだ。
それにしても、と僕は首を捻る。あの校長が――随分と生徒思いのように見えたヘル・エンゲルスが、はたしてこの件に首を突っ込まずにいるだろうか。
「もう少し詳しく話を聞いてもいいかな」
「リオ様!」
「カーン、キミが手伝ってくれたら早く終わると思うんだけどな」
「…………」
ぐっとカーンは唇を噛み締める。眉間に皺を寄せてひどく考え込んだ様子だったが、やがて搾り出すように言った。
「駄目です。せめて貴方はここを出てください」
元より寄り道を快く思っていなかった彼である。この機に及んで尻込みをすることは容易に想定できた。すぐ近くに宿敵が控えているならば、それはなおのこと。
「まあまあ、カーン殿。何があったのか知らないけどさ、そこまで邪見にしなくてもいいじゃないか。可愛い可愛い後輩の頼みだぞ? 少しくらい手を貸しても――」
「人間風情が口を出すな!」
しんと、音が消えた。その激高ははたして今までの積み重ねか、それとも八つ当たりか。ひどく感情的な表情に、思わず僕の目も丸くなる。
カーンの言葉に誰よりも反応を示したのは生徒たちだった。彼等もまた、人間族であったのだ。
「ご、ごめんなさい、無理強いしたい訳じゃ、ないんで。……忘れてください」
すっかり消沈した三人組は、有無を言わさずに立ち去る。ニーナの足がそれを追うが、すぐに力なく止まった。
男の顔は滑稽なほど青くなっていた。
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