80話 鉄砲

「ここまで来れば安心でしょう」


 少女アロイスが足を止めたのは、襲撃現場から二つほど大通りを跨いだ先にある小道だった。


 両脇には大きな館や商店、酒場が並ぶがいずれも店を閉じているらしく、どこか閑散かんさんとしている。


 ここはかつての繁栄を象徴する道なのか――そうぐるりと視線を回すと、ふと二階から顔を出す女性と目が合った。


 厚化粧と露出の多い服をまとい、白い煙をくゆらせる。僕の視線に気づいたのか、フと煙を吐いて真っ赤な唇を歪めて見せた。


「それにしても、皆さん、なぜ彼らに襲われていたのですか? まさか、鉄砲の実演販売とか」


「テッポウ……?」


 僕もオルティラも、そろって首を傾げる。するとアロイスは、襲撃者たちが使用していた武器だと明かした。


 鉄砲、と呼ばれるその武器は、去年初めて『産業祭』において披露された兵器なのだという。小さな金属玉を火薬の爆風で打ち出し、攻撃する。言うなれば小型の大砲だ。


 なるほど、僕が知らない訳だ。


「なぜ襲われてたかって――なぁ。こっちが知りたいくらいだ」


「お昼ご飯を食べていたら、突然襲ってきたんだ」


「そーそー。だから私らは、完全に被害者って訳。はー、あの香草焼き、美味かったのになぁ」


 口々に言うが、そもそもアロイスは僕たちの発言を疑うつもりはないようで、「ふむ」と唸った後、あごに手を当てた。


「突然、ですか。それは困りましたね」


「そうなんだよな、全く困っちまう。てことで、相手方には責任を取ってもらいましょーか」


 オルティラはどさりと、引きずっていた布袋を放る。


 よく見れば、それは襲撃者だった。受け身を取ることを忘れて、べたりと地に伏せる。はらりと落ちた頭巾から、女ものの顔が現れた。


 宝石のような目、絹糸のようにつややかな髪。まるで人形のように、あるいは絵画のように精巧な顔。全てが丸見えだ。


 思わず見惚れていると、僕はあることに気づいた。


 表情がないのだ。敵に捕縛され、危機的な状況だというのにも関わらず、虚空ばかりを見つめて申し訳程度に首を振る。


 異様な光景に流石のオルティラも怯みを見せるが、すぐに立て直して襲撃者の前髪を掴み上げた。


「いったいどこの差し金だい。素直に吐いてくれりゃあ痛いことはしないよ」


 髪を掴む。それには苦痛が伴うはずだが、襲撃者はぴくりとも表情を動かさない。


 痛みなど、一寸たりとも感じていないようだ。


「……こいつ、痛みを感じないのか?」


「それか耳が聞こえないか、ですね」


 オルティラの横に並んで、アロイスが呟く。困り果ててしまったのか、アロイスは小首を傾げたままだ。


 騎士然としている彼女だ、尋問のような、反騎士道じみた行いは経験がないのかもしれない。それはそれで好印象ではあるが、オルティラが次に起こすであろう行いが果たして悪影響を及ぼさないか――それだけが心配だった。


「ったく、仕方ないな……」


 不意にオルティラは襲撃者の腕を持ち上げる。その腕は背側へと引き延ばされ――ゴキリ。鈍い音が響いた。


 痛みを想像してしまったのか、アロイスが顔を背ける。しかし、当の本人はといえばどこ吹く風で、ただただぼうっと捕縛者の足元を眺めている。


 やはり痛みを感じないらしい。そう確定して満足したのか、オルティラは襲撃者の腕を離した。わずかに長くなった細腕が石畳の上に落ちる。


 その時であった。


 どろり。顔が溶ける。


 端麗な顔は見るも無残な液体へと成り果て、外套は膨らみを失っていく。


 石畳の隙間を流れるのは赤でも茶色でもない、無色透明な液体――粘度が高いのか、その広がりは緩やかだ。


 流石に触ろうとは思わなかった。僕もまた、仲間たちに違わず呆然と、現実離れしたその光景を眺めるしかできなかった。


「溶け、た……?」


「……どういうこと」


 魔術の類ではない。それは確かだった。


 しんと静まり返った魔力はものを語らず、まるで何もなかったかのように静寂へと還る。


 その場に残されたのは、持ち主をなくした衣服と外套。それを、オルティラが舌打ちと共に蹴り上げる。するところりと、何かが転がった。


「……石?」


 石畳に落ちていたのは石だった。艶やかな緑色の石。よく見ればそれは、つい先程まで顔にはめ込まれていた瞳に似ている。


 ぞっとした。背筋を、言いようのない寒気が通る。


「これは……〈竜の瞳〉だ」


「〈竜の瞳〉?」


 アロイスが首を傾げる。対するオルティラは目を見張り、ひどく興奮した様子で宝石を取り上げた。


「へえ、これが! あの、めちゃくちゃお高い宝石だろう? 魔術士共が喉から手が出るほど欲するっていう」


「魔力を吸収し、溜め込む性質を持つ宝石〈竜の瞳〉――こういう色もあるのですね」


 ふとアロイスは自らの背につけていた槍を回す。彼女は刃に輝く青色の宝石を示すと、


「自分の槍にもついていますが、こっちは青色なので。〈竜の瞳〉とは、てっきり青い宝石なのだとばかり思っていました」


 アロイスの槍に飾られた〈竜の瞳〉は、およそてのひらほど。刃のしのぎ辺りに埋め込まれている。


 襲撃者から出てきた〈竜の瞳〉と比べると、一回りほど大きい。当然、僕の剣の柄にめられたそれよりも。


「なぜこんなものが? 襲撃者が魔術を使う様子はありませんでしたが……」


「目……目の代わりに、埋め込んでいたのかもしれない。あまりにも、似すぎている」


 だとすれば、何のために。なぜ彼らは両の目を〈竜の瞳〉に入れ替えたのか。


 ざわめく心臓を落ち着けるべく、ぐっと頭巾を下ろす。視界の端に映るアロイスの手は宝石を拾い上げると、


「……これ、一つ持って帰ってもいいですか」


 と、切り出した。


「いいけど、何に使うの?」


「連れに見せてみます。ひょっとしたら、何か分かるかもしれない」


 オルティラとアロイス、それぞれの手に渡った〈竜の瞳〉は、変わらず凛然と、辺りの魔力を吸収しながら淡く輝いていた。


 それにしても――と僕は思う。


 砂漠の虫や海の守り神が持っていた、あの胸糞悪い魔力と出会わなくてよかったと。


 どうやら思ったよりも、『呪術師』あるいは『堕天使』とやらに敵愾心てきがいしんを抱いていたらしい。


 かつて海の守り神に接触したという『呪術師』。普通に考えれば、それはもう生きていないだろう。だがどうしても、それが引っ掛かってならなかった。


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