71話 もう一度、俺と

 火元は見覚えのある場所だった。


 チューネズ亭。グラナトの中心地から少しだけ外れた場所にある、傭兵たちの集会場。


 炎は天高く燃え上がり、近隣の建物を焦がしている。その火災は既に多くの人の知るところのようで、厚い野次馬の壁に囲まれていた。


「マスター! 給仕さん!」


 大声を張り上げるが応える人はなく、呻きとざわめきとが辺りを包む。吹き付ける熱気はさながらかまの中のようで、事態の深刻さを物語る。


「なんで、こんなことに……っ」


 それよりも消火だ。


 腰に携えた剣に手をかけたその時、野次馬の中に見覚えのある栗色と大男が見えた。


 つい昨日、花火の打ち上がる広場で出会った男女。様子を見に来たのかと思いきや、彼らは不意に背を向け、野次馬の奥へと消えていく。噴き付ける熱気に瞬きをすれば、二人の姿は既になかった。


「魔術士ども、手伝え! 消防隊が到着するまで持ち堪えるんだ!」


 甲高い声が喧騒をつんざく。そうだ、今は目の前の炎を何とかしなければ。魔力がざわめき、人々の間から何やら文言を呟く声がする。それを横目に、僕はすぐさま魔術を放った。


 〈水の魔術〉――水を生み出す、極めて初歩的な魔術だ。


 炎の上に数個の水の塊が浮き出る。馬車ほどはあろうかという大きな塊だ。それが次から次へと炎の中へと投下される。数秒遅れて小粒の水が建物の壁目掛けて叩きつけられた。


 周囲の魔術士たちもどうやら〈水の魔術〉を使用し始めたらしい。辺りに漂う魔力の量が急激に減っていくのが分かった。


「あまり無茶をなさらないでください」


 埒が明かないと踏んだのか、流石のカーンも手を貸してくれる。


 じゅわりと立ち上がる水蒸気。辺りの気温が一気に上昇する。非力な野次馬はそれに耐えきれなくなったのか、次第に離れていった。


 レンガ造りの建物であったことも相まって、少量の水で延焼は抑えられたようだ。〈水の魔術〉を連投すれば、チューネズ亭を包む炎は次第におさまっていく。


 消防隊とやらが到着する頃には鎮火するだろう。そう思った矢先のことだった。


「リオ様、もうこの辺りで」


 剣の石突に埋め込まれた〈竜の瞳〉に褐色の手が乗る。見上げた赤色の瞳には憂うような色が浮かんでいて、そこで初めて、僕は自分の息が上がっていることに気づいた。


 人間界に存在する魔力は少ない。そのような場所で、しかも多くの魔術士が至近距離で魔術を扱おうものなら、辺りの魔力はすぐに枯渇してしまう。どうやら無意識の内に、肉体の中を流れる魔力を消費してしまったようだ。


 身体を隠す外套すらずしりと重く感じた。心配そうに腕を引いてくるニーナの力が、やけに強い。


「この程度で……」


 思わず歯噛みをする。募る苛立ちと焦燥。それを抑えるべく天を仰ぐ。


 ふと、持ち上げた視線の中で、歩き回る姿を見つける。


 人混みの中に見つけたのは、待ちわびた二人だった。給仕もその肩に乗るマスターも煤けてはいるものの、どうやら命に別状はないようだ。ほっと息をつくと彼らも僕たちに気づいたらしく、強張っていた顔を緩めた。


「お客さん、わざわざ来てくださったんですね!」


「全く……見て見ぬ振りをすればいいものを」


「二人とも怪我は? どこか痛いところとかない?」


 正反対の反応を見せる二人にそう尋ねれば、彼らは揃って首を振る。


「私も旦那も無事です。お客さんも全員避難しました。ですが……」


 給仕はその顔を痛々しいほどに曇らせる。視線の先には未だ炎のちらつくチューネズ亭。外観こそ残っているものの、内装は目も当てられない状態だろう。


 傭兵の集う酒場、チューネズ亭。たった一度、ほんの数時間しか僕は関わりを持たなかったけれど、感傷に浸らずにはいられなかった。


 チューネズ亭に馴染みの深い傭兵もどうやら野次馬の中にいたようで、行き場のない怒りが暮れる空を揺るがす。しかしそれを凛と斬り捨てたのは、ネズミ族のマスターだった。


「まあ、建物がなくなっただけじゃ。命があれば、いくらでもやり直せる」


 命さえあれば、建物は何度でも蘇る。チューネズ亭は焼失したが、その魂は決してついえていない。


 ――そうだ、そうだ!


 ――マスター、オレたちも手伝うぜ!


 ――今度は一緒にチューネズ亭を作ろう!


 頼もしい野次がそこら中から湧き上がった。はっと息を飲む給仕の一方、マスターはバンダナから溢れた給仕の髪をすくい上げると、


「もう一度、俺と来てくれるか」


 呆気に取られた様子の給仕。その大きな瞳は瞬く間に水の膜を張る。


 答えは聞くまでもなかった。



   ■    ■



 マスターの告白を聞き届け、遅れてやって来た消防隊によって炎が治まると、ようやく僕たちは落ち着くことができた。


 野次馬によってもみくちゃにされていたマスターと給仕はようやく解放され、流石の二人にも拾うの色が見え隠れしている。


「全くあやつら、ここぞとばかりに撫で回しおって……」


 乱れた毛並みを整えながら、マスターは文句を垂れる。そんなマスターを肩に乗せた給仕は、未だ赤みの引かない頬のまま、しゅるりとバンダナを解いた。


「それにしても、お客さんたち。ごめんなさい、ご迷惑をかけてしまったようで……」


「ううん。それより、どうしてこんなことに?」


 どうして、と問うも、案の定二人はさっぱりという様子だった。


 十七時過ぎのチューネズ亭はちょうど夕食を求める人で賑わっていたし、厨房もてんわやんわだったという。


 そこから不注意によって延焼した――という可能性もあったが、それは給仕とマスター、さらに消防隊による事情聴取のためたまたま残っていた傭兵たちによって否定された。


「雷が落ちてきたんです。雨雲のない、晴れやかな夕方だったのに」


 皆一様にそう語る。


 僕たちも落雷のような音は聞いた。しかし彼らの言う通り当時の空には雲一つなく、雷の予兆すら感じられなかった。何よりも、嗅覚の鋭いカーンが反応できなかったことが気になる。自然現象による事故とはとても思えなかった。


「私、魔術には詳しくないんですけど、雷を落とす――みたいな魔術ってあるんですか?」


「無論。五十年前の、かの英雄が得意としていた魔術じゃ」


 給仕の問いに応えるマスターは、どことなく誇らしげだった。


「シュティーア王国が誇る竜騎士隊の一兵士でありながら、神族の将を討ち取った男の中の男、それが英雄ユリウス・ルットマンじゃ」

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