70話 思い出と閃光

 あの後、オルティラは酔い潰れるわ代金の支払いでひと悶着あるわで、結局夕方近くまでチューネズ亭に滞在してしまった。


 さっさと退散して件の墓場の下見に向かおうと思っていたのだが、早速計画が狂ってしまった。


 カーンの背中で眠りこけたニーナを見上げ、僕は溜息を吐いた。


「一度宿に戻る?」


「いざとなれば捨て置けばよいだけですから」


「だから駄目なんだってば!」


 肩下げの鞄から懐中時計を取り出す。


 時刻は五時近く。初夏のこの時間帯はまだまだ明るい。産業祭の裏本番とも言うべき花火も、盗掘の絶好機もまだ遠い。


 さて。工業都市グラナトにおいて墓場は複数箇所存在する。


 まずネズミ族のマスターが言っていた、壁外の墓地。これは街公営のもののようで、グラナトに住む人々の多くは、この場所に遺体と装飾品を埋める。


 そしてそれ以外が、私営のもの。規模こそ小さいものの街中に複数設置されており、こちらも多くの人、特に低所得の人が利用しているようだ。


 公営、私営とも埋葬方法は変わらないようで、棺に死体と副葬品を収め、地面へと埋める――近年よく見る土葬の方式だ。


 この手の埋葬法には切っても切り離せない犯罪が付き纏う。


 それは墓場荒らし。盗掘の被害である。


 高価なものをそのまま土に、しかも人気ひとけがない場所に埋めるのだから、盗人からすればもはや入門編のような宝だ。


 全てが平等に食物すら得られない中、卑劣とも言える手段に手を染める輩は多い。むしろ染めずにいられる人の方が、実際のところは少ないのだろう。


「でも、ニーナに危険が及ばないように気をつけないとね。いくら彼女が大人だと言い張っても、子供並みに非力なんだから」


 僕たちの旅に同行する以上、危険はつきものだ。それを承知で連れて来てはいるが、これから何をしでかすか分からない犯罪者と出くわす可能性がある。これまで以上に警戒する必要があるだろう。


「まあ、カーンがおんぶしているなら大丈夫だろうけどね」


「……リオ様のご命令なら」


 命令しなければ危険に晒すのも止む終えないと言いたいのだろうか。


 相変わらず冗談が冴え渡っている。思わず噴き出せば、


「ネズミのおじちゃん、おこってるかなぁ……」


 ふと、舌足らずな声が聞こえてきた。


 どうやらニーナが目覚めたようだ。カーンの背に乗る彼女は眠気眼をこちらに向けている。


 耳聡くその声を捉えたらしいカーンは、起きたなら自分で歩けと言わんばかりに身体を揺する。しかしニーナはというとしっかと男の背を掴み、耳を伏せた。


「お母さんね、ネズミ獲ったらいっぱい褒めてくれたの。だからね、ニーナね、狩りできるって見てほしくてね……」


「そっか、褒めてほしかったんだね」


「ん……おじちゃん、怒ってたね」


「そうだね。明日謝りに行こうか」


 そう言って栗色の毛を撫でれば、彼女は限界だったのだろう。ことりと目蓋を落とした。


「あ、寝ちゃった」


「リオ様、あまり甘やかさないでください」


 オオカミ族は五歳を過ぎれば皆大人なのです。そう眉間に皺を寄せるカーン。


 父親が板についてきた、と再度噴き出しそうになるが、元はといえば僕に原因があるのだからと既の所でこらえる。


 ニーナは七歳だと聞いている。カーンの言葉通りならば、ニーナは子供ではなく立派な大人だ。


 彼女自身にその認識があるのかは定かではないが、今後は扱いを改めなければならないかもしれない。


 巣立ちゆく子供を見るようで、嬉しいような寂しいような複雑な気分だった。


 ぽつりぽつりと言葉を交わしつつも歩みを止めずにいると、次第に外壁が大きくなる。


 外壁に向かうにつれ、人気が少なくなってきた。すれ違う人はほぼ皆無に近づき、その身なりも質素なものへと遷移する。


 どうやら産業祭として賑わっているのは大門と、そこから伸びる大路と広場付近だけのようだ。それ以外は平生と変わらない落ち着きを保っているらしい。


 さて、壁外への出口は――そう視線を巡らせた、そのときだった。


 突然辺りに響く轟音。雷が落ちたかのような、大地すら揺るがすような悲鳴。思わず首を竦ませ、音の方を見やる。


 立ち並ぶ屋根屋根の向こう、そこには赤く燃え上がる火の手があった。どこかで火災が――いや、爆発が起こったようだ。


 その轟音に流石のニーナも飛び起きたようだ。目を白黒とさせて辺りを見渡している。


「何、花火? 花火!?」


「どうしたんだろう、結構近かったよね?」


 花火が暴発したとも考えられるが、だとすれば家々が鮮やかに彩られていてもよいはずだ。花火ではない。だとすれば、別の爆発物か。


「あの方角……確かチューネズ亭では」


 ぼそりとカーンが呟く。その言葉に全身の血の気が引く。


 ネズミ族のマスターは、笑顔の絶えない給仕は。数多の屈強な傭兵たちは。オルティラは無事なのか。


「戻ろう、すぐに!」


「リオ様、墓場は――」


「そんなの後だよ!」


 めくり上がる外套とフードに構わず走り出せば、すぐに背後から足音が追ってくる。


 マスターに何かあったら困るのだ。


 僕たちが墓場泥棒を捕まえる代わりにマスターは”人避けの森”の情報を授ける――そういう約束だったのだ。


 損得で物事を決めたくはないけれど、こればかりは仕方ない。下請けにとって依頼主の喪失が何よりの痛手なのだから。

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