64話 獣人少女はチーズがお好き

 街は朝から賑わっていた。


 昨晩たまたま見つけた酒場兼宿屋を降りた僕たちは、ニーナきっての願いから軽く辺りを散策することにした。


 昨日は随分退屈な思いをさせてしまったから、そのお詫びのつもりである。


 技術の集結する『産業祭』というだけあって、道端には見慣れない機械や道具が並んでいる。その中でも特に気になったのは『魔導道具』と呼ばれる代物だったが、あまりにも人の層が厚く、垣間見ることすらできなかった。


 その中でもニーナが興味を示したのは、魔導道具でも煌びやかな服でもなく、広場の片隅に座する小さなの屋台だった。


「リオ、リオ! ねえねえ、あれ欲しい!」


「どれ?」


 屋台には薄茶の紙包装を纏った円盤状の物体が並べられている。


 あれはチーズだ。切り出す前の、言うなれば丸太の状態の食べ物。


 あれを買ったところで、今すぐに役に立つわけでもない。何よりあの魚人族の元へお土産として持って行ったとしても、困惑の渦中に突き落とすだけであろう。


 困惑が伝わったのか、必要最低限の荷物だけを携えたカーンが口を挟む。


「おい、リオ様を困らせるな」


「ガミガミカーンのことなんか知らないもん。ベー」


 財布の紐を握っているのはカーンだから、そっちにおねだりした方がいいよ。


 舌を突き出す少女を眺めながら、こっそり相棒に視線を遣る。するとカーンは心底呆れた様子で、


「あまり甘やかさないでください」


「消費するものだし、いいでしょ? チーズなら僕も食べたいし」


 チーズはある程度保存が利く。旅の道中カビが生えることはあっても腐ることはないだろう。そう言えばカーンは渋々納得したようで、懐から財布を取り出した。


 念願の円盤チーズを手に入れたニーナは心底嬉しそうで、まるでぬいぐるみか何かのように腕に抱いている。


 そんなにチーズが好きだったのか。


 彼女と出会ってまだ五日目。知らないことはまだまだたくさんある。


 これからどれだけの時間を共にするのかは定かではないが、互いを知って損はしないだろう。そう思えば出費も無駄ではない。


 ニーナの機嫌がよくなったところで、ようやく僕たちは本来の目的である魚人族の元へ急いだ。一度広場へ出て、街の門まで伸びる大路を進む。そこからさらに小道へ入り、集合住宅を目指す。すると道の脇に数人の集団があった。


 どれも大きな荷物を背負っていることから、おそらく旅人か商人の類であろう。その中に見覚えのある獣人の姿を見つけた。


 ネコ族のファントだ。灰色の毛に朝日を浴びる彼は、ふとこちらを振り向くと、手にしていた串焼きを振る。


「これはこれは、旦那方! お早いお出掛けで」


 躊躇いなくこちらへと歩いて来るその様は、まるで旧知の仲であるかのように錯覚させる。


「おはよう、ファント。今日もいい天気だね」


「はい、耳まで洗うのを我慢してよかったです」


 にっこりと牙が見えるほど口角を引き上げて、ネコ族は笑う。どうやら昨日以上に機嫌がよいようで、ピンと立った尾の先が緩やかに揺れている。


「ダフネ氏、今自宅にいないんですよ。工房に案内するよう言われてるので、どうぞこちらに」


 串焼きを素早く平らげたファントは、昨日と同じ荷物を持ったまま先行する。無防備にも背を向ける彼だが、その腰には前腕ほどの長さの筒を二本差している。


 昨日には見られなかったものだ。この街で買ったものなのか、それとも隠し持っていたものなのかは定かではないが、相棒がピリついているのを感じながら、揺れ動く尾を追った。



   ■     ■



「これは……大きな買い物をしたね」


 ニッコニコのニーナの腕に収まるチーズを眺めながら、ダフネは頬を掻く。


 ここはダフネの家、ではなく彼の工房だ。彼は日夜ここで『研究』をしているらしく、机や本棚には溢れんばかりの書物や巻物が詰め込まれていた。


 床面積は自宅よりもずっと広いだろうに、物が散乱している所為か随分と狭く感じる。


 部屋にいるのは僕と部屋主たるダフネ、カーン、ニーナの四人だ。僕たちを案内してくれたネコ族ファントは早々に退場している。


 用もなくただ悪戯に時間を費やすことは、彼の商人魂が許さないらしい、とはダフネ談である。


「高かったでしょう、丸々一つなんて。どうやって食べるつもり?」


「ニーナはかじるつもりみたい」


 オオカミ族の強靭な牙があれば、それも容易であろう。いくら人を殴り殺せそうなチーズの塊だとしても。


「この地域ではどうやって食べるの?」


 ダフネに尋ねると、彼はほんの少しばかり悩むような素振りを見せる。


「ここでは溶かして……ああ、完全にドロドロにするんじゃなくて、上の部分だけ溶かして、溶けたチーズをパンやジャガイモに乗せるんだ。ラクレットっていうんだけど」


「ジャガイモにかけるのは僕の国でもやってたよ。ここでも同じことするんだね」


 僕とダフネにとってチーズは溶かすものだ。それなのにニーナの地元ではその限りではないらしい。


 ちらりと件の彼女に目をやれば、机にあごを乗せて円盤を転がしている。すっかり僕たちの会話に飽きたようだ。


 気まぐれも困りものだ――と会話を続けようとしたその時、僕の目にあるものが飛び込んできた。


 それは人形だった。針金のように細い手足。それをゆらりゆらりと動かして、チーズの塊の上に立っている。


 思わず二度見した。


「に、人形が動いてる!?」


 机の上で遊戯をして見せる小さな女の子は、宝石のような瞳をこちらに向け、にこりと笑みを浮かべた。


 驚愕する僕を余所に、次から次へと“小さな子”たちが姿を見せる。


 およそ十人。毛色や瞳の色の異なる小人が天板に並んだが、どれも一様に無垢で眩い眼光を放っている。


「あれ、出てきちゃったんだ。珍しい」


 ダフネが背を丸めて机を覗き込む。すると小人たちは、晴れやかな笑顔を小太りの青年へと向けた。


「この子たちは?」


「ホムンクルスだよ」

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