55話 本来持つもの

 魚人族は、僕たちが旅を始めてすぐに第一目標と定めた種族、馬人族と同等の歴史を持つ。


 その歴史は神話の時代からと言われ、脈々と血を繋ぎ、文化を紡ぎ、今日まで生き延びてきた。彼らに比べれば、僕たち魔人族や人間族、さらには獣人も『新たな種族』と言えるだろう。


 僕たちよりも神話に近い魚人族。彼らならば、僕が探し求める道具のことも知っているかもしれない。


 僕が海中の国に赴いたのは、そういう思惑が大きかった。無論、仁義も無関係ではないけれど。


「神話についてお聞きしたいことが」


「神話?」


 僕は旅のあらましを話した。


 ある一国の王に頼まれて、〈兵器〉と呼ばれる神器を探していること。


 その〈兵器〉は希望をもたらすと伝えられていること。


 説明するうちにレウや、海を眺めていたニーナもやって来た。しかし彼らの反応に新しい風が吹くことなく、三人揃って神妙な面持ちを作っていた。


「なんで〈兵器〉って名前なんですか? 兵器って武器のことですよね? それなのに希望をもたらせるんですか?」


「どうして〈兵器〉なんて呼ばれているかは僕にも分からない。ただ、多分本当の名前じゃないんだと思う。レウやマリネラが“白の母”“黒の母”と呼ばれているように、〈兵器〉もまた俗称……あだ名みたいなものでしかないんじゃないかな」


「むむ、本当の名前が別にあるんですね」


 そう、本当の名前が分からないからこそ、掌握できない情報も出てくるだろう。


 二つ名と本名、それぞれが並列して存在する一説でも確認できれば、それぞれが同一の存在と確信できる。そしてその結果から、新たな発見も得られるだろう。


 しかしその発見は困難である。根気と、何よりも運が必要だ。


 僕は教養として一般学問――文学や神話、数学などは学んでいたが、どれも極めたわけではない。いずれも学び方を知っているだけである。そんな僕が数多とある神話とその異伝を網羅できるとは思えないし、人手もツテも経験も不十分だ。


 厄介な仕事を引き受けてしまった。改めてそう思ったのだった。


「〈兵器〉とやらが出て来るかは分かりませんが、神話に関する文献ならば所蔵していたはずです。持って参りましょう」


「ほ、本当ですか!」


「もちろんです、リオ殿は我が国の恩人ですから。少しお待ちください。……その代わりと言っては何ですが、私からも、実はお願いしたいことが」


 そう言うなり、レヴァン王は真剣な面持ちを作る。彼が語ったのは、あまりにも単純で、しかし予想外の言葉だった。


「マリネラの魔力を封印する?」


「ええ。マリネラきっての願いなのです。叶えてやれませんか」


 魔力の封印、それは可能と言えば可能である。カリュブディス・レウコンを封じ込めていた術を応用すればよい。


 魔力は体内に散在しているわけではなく、血液とそれを通す血管のように、隊列を組んで一定方向に流れ続けている。その筋道たる回路を凍結してしまえば体内に魔力が行き渡らなくなり、その結果、魔術が使えなくなる。


 しかし、それには大きな問題があった。


「マリネラの魔力を封印すると、〈変化の魔術〉――マリネラが魚人族になることも、人間……地上の民になることもできなくなります。それでもよろしいですか?」


 僕たちが初めて見た憂いを醸す美しい女性、そして何よりも、ヨアニスの母としての姿は永久に失われる。何かの手違いで封印が解かれない限り。


 これは決して、マリネラと王だけで決めてよい問題ではない。


「存じ上げております」


 マリネラは隻眼を細める。


「ヨアニスもわたくしの決断に理解を示してくれました。わたくしの魔力は、本来わたくしが持つものではない――おそらく、封印も容易でしょう。どうか、よろしくお願い致します。リオ様」


「本来持つものでは、ない……?」


 そういえば、レウも言っていた。マリネラはいつの間にか魔術を使えるようになっていたのだと。


「詳しい話を聞かせてくれるかな。カーン、レヴァン王が荷物を運ぶの、手伝ってあげてくれる?」


「ですが……」


 渋るカーンはちらりと瞳を動かす。視線の先には、海に揺蕩う隻眼の怪物――“黒の母”マリネラがいた。


「警戒せずとも。もう寝首を掻こうなどとは思いませんよ」


「……その言葉に嘘偽りがあれば、幽鬼になってでもお前とこの国を喰い荒らす」


 僕ですらぞっとするような呪詛を吐いて、カーンは踵を返す。もやは賊と捕らえられてもおかしくない発言だが、レヴァン王は静かに、ただ苦笑を浮かべて先行した。


 二つの背が遠ざかると、突如カラカラと静寂を吹き飛ばす笑い声が響き渡る。


「あの人、本当に警戒心強いですよね! 地上の民を食べるなんてしないのに」


「…………」


 そっとマリネラが視線を逸らした。


「あの人ね、洞窟で初めて出会った時にも、さっきみたいに牙を剥き出してたんです。リオさんを抱えて。ちょっとときめいちゃいましたよぉ、お姫様と騎士って感じで」


「その例えだと僕がお姫様みたいだからやめよう?」


「じゃあじゃあ、ハリさんたちが言ってた、ご主人様と番犬ですか?」


「その方がいいかな」


 いや、その話を掘り下げたいわけじゃないんだ。『いいかな』じゃないんだ。


 こめかみを揉みながら軌道修正しようとすれば、クスクスとマリネラがさも愉快そうに身体を震わせる。


「羨ましい、という気持ちはわたくしもよく理解できます」


「でしょでしょ?」


「一度きりの生を誰かのために費やす、それはわたくしたちには決してできないことですから。生と死を繰り返す、わたくしたちには。……話を戻しましょうか、リオ様」


 マリネラは、“黒の母”は、カリュブディス・メランは懺悔する。


「わたくしの魔力は、ある人物から与えられたものなのです」


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