54話 責任を取らねば

「よう、もう動き回って大丈夫なのか」


 カーンとニーナを連れ立って訪れた大広間には、ハリとヨアニスがいた。


 彼らの衣裳はどうやら揃いのもののようで、海中でも映える赤色を基調としている。


 怪物との戦を終えたにしては二人とも元気そのもののように見えるが、僕の視線は首へ――包帯の巻かれたハリの首へと吸いつけられる。


 ハリは怪物との対峙の際、気を失う大怪我を負った。“黒の母”に突撃され、首を締められ、それでなお二本足で変わりなく立っていられるのは幸運と呼ぶべきか、それとも魚人族は耐久に優れた種族とでも言うのだろうか。


 どれにせよ、大事なさそうでよかった。強張っていた背が緩んだように感じた。


「ハリ! 見つけた!」


 ハリの姿を見つけるなり、ニーナは弾けるように走り出した。一方の青年は人懐っこい笑みとともに膝を曲げ、腕を広げて出迎える。


「聞いたぞ、海上では大活躍だったんだってな? すごいじゃねぇか」


「ニーナ、泳ぐの得意なんだよ! お家の傍に、おっきな川があったから! でもね、カーン、大人なのにちょっとビクビクしてたの」


「へえ、そいつは意外だな。番犬殿は水がお嫌いか」


 ニーナを抱き上げたハリは、にやついた視線をカーンへ投げる。相棒は至極居心地悪そうに、「海に縁がなかっただけだ」と呟いた。


 しかし僕は知っている。過去、カーンが初めての湯浴みに挑んだ時にも腰が引けていたことを。


「この旅で、ますます嫌いになるかもしれないねぇ」


「リオ様」


 静かに、いたって冷静を装う声が僕を諌める。


 冗談なのだから、少しは笑ってほしいものだ。抗議の意味も込めて頬を膨らませていると、その様子を遠くから見ていたらしいヨアニスも寄って来た。


 彼もハリと同じように、王族らしく細やかな意匠の様相をしている。海の民らしく貝殻の装飾が目立つ布を揺らして、ヨアニスは緑色の瞳を瞬かせた。


「魔族も一度死ぬと元気になるのか?」


「死んでないし、死んだら元気になれないよ」


 というか、この男は僕が死んだと思っていたのか。それにしては嘆きも悲しみもしない様子に、どことなく物寂しさを覚える。


 魚人族と魔族、もとい地上の民とでは死生観が異なるのかもしれない。そうであるとしたら非常に興味深いが、追求している時間はない。僕はただ下唇を巻き込むことしかできなかった。


「おいおい、ヨアニス。いくらコイツが普通の地上の民と違うからって、何も神様みてぇに生き返るわけねぇだろ」


「そ、そうだよな……ちょっとスキュラに似てるってだけだよな」


 うんうんと頷き合うハリとヨアニスであるが、僕は魚人族スキュラではないし、その要素の欠片もない。


 当時はエラ呼吸をしていたわけでも、息を止めていたわけでもなく、溺死の延長のようなものだったのだから。


「ところで、どうしたんだ。三人揃って出歩いて。何か探してるのか?」


 ボケか本気か、訂正してもしきれない有様にうんざりとしていると、不意にヨアニスが流れを変える。


 これ幸いと僕はその波に乗ることにした。


「王を――いや、詳しい人なら誰でもいいかな。神話について詳しい人を探してるんだ」


「神話? 神話なら母上が詳しいと思うが……」


 ヨアニスは不思議そうだった。なぜここで神話が出てくるのか、全くと言ってもよいほど脈絡がないのである。突然言われたら、こんな反応になるよなぁと少し申し訳なく感じる。


「事情は分かんねぇが、神様に聞くなら確かだろうな。どうせ親父も“黒の母”と一緒にいるだろ。案内するぜ」


 そう言うなり、ハリは踵を返して――若干ふらついていたが――先行する。


 どことなく硬い動きのハリ、それに続けと仕草で知らしてくれるヨアニスも、瞳に一抹の淀みを揺らしていた。



   ■   ■



 レヴァン王とマリネラは城の露台バルコニーから少し離れた海中にいた。


 どうやらマリネラの片目を穿つ傷に手を焼いているらしく、辺りには血の滲んだ包帯と思しき布が漂っている。


 頭を下げ、会釈をするマリネラ。その動きで僕たちがやって来たことに気づいたレヴァン王が慌てた様子で〈泡の魔術〉に守られたバルコニーへ降り立つ。


 顔に似合わず彼は器用のようで、白色のタイルに足を付ける直前、彼の尾ビレは二本の逞しい足へと変貌を遂げた。


 ぺたり。雑音のない空間に、素肌が落ちる。


「リオ殿、もうお加減はよろしいので?」


「ええ、お陰様で」


 もはや形式ばった挨拶を交わすと、もうハリやヨアニスの姿はなかった。先程の戦闘で親子関係が若干修復されたかと思いきや、彼らの間にはまだ時間が必要のようだ。


 レヴァン王もそれに気付いたのか、フと小さく肩を落としていた。だが彼の表情はすぐに晴れることになる。


「わあっ、おっきなヘビさん! レウと色違いの人!」


 水と空気を遮断する泡に鼻を近付け、ニーナが歓声を上げていたのである。


 マリネラは緑の隻眼を細めてゆっくりと、まるで生まれたばかりの幼子と接するように、口の端から伸びる触腕を欄干らんかんに乗せる。


「……レウの妹カリュブディス・メラン、もといマリネラです。小さきお方」


「マリネラ? ニーナたちを迎えに来た人と一緒の名前!」


「ええ、それがわたくしです」


「そーなの? マリネラ、こんなに大きくなかったよ?」


「魔術を使ったのですよ」


!」


 獣人、しかも人間の目を避けて暮らすという人間界のオオカミ族でも、魔術の存在は知っているのだろう。ピンと尾を立てて、ニーナは心底嬉しそうに橙の目を瞬かせた。


「おっきくなるまじゅちゅ、ニーナも使いたい!」


 大きくなる魔術ではなく、言うならば小さくなる魔術である。目前にある巨大な蛇の姿こそが本来のマリネラなのだから。


 無邪気な幼子を微笑ましげに見つめていたマリネラだったが、ふと彼女は顔を上げる。その目は何かを探すように漂っていたが、不意にそれは〈明石あかりいし〉の小さな瞬きと共に伏せられた。


「……マリネラは今後どうなるんですか」


 ニーナとマリネラに届かないよう声を潜めて問うと、王はしばし神妙な面持ちをした後、


「国への出入りを禁ずる、くらいせねば国民は納得しないでしょう」


 言い聞かせるように紡いだ。


 “黒の母”の罪は重い。魚人の国オロペディオを守護する神でありながら国民を害し、海を荒らし、あまつさえ地上に住まう人々を危険にさらした。


 それだけの罪を犯したにも関わらず下される追放という処遇。それに国民は、はたして納得するであろうか。何事もなく、日常を取り戻すことができるだろうか。


「無論、私とて無事では済みますまい。私も彼女と――マリネラとともに国を出るつもりです」


「…………」


「不服、と仰りたそうですね。しかし責任を取らねば納得しない者もいるのです」


「それは――」


 反論しかけて、僕は口をつぐんだ。レヴァンの意志は固い、それは明らかだった。


 悩みに悩んで、きっと決めたのだろう。あるいは今回の――カリュブディス姉妹にまつわる事件がなかったとしても、潮時だと察していたのかもしれない。


 彼も王。野暮なことは言うまい。


 僕はただ首を振ることしかできなかった。


「ところでリオ殿、ここにはどのようなご用件で?」


 変わらぬ穏和な口調で問い掛けられ、思わずはとする。


 ようやく本題を切り出せる。僕が魚人族と接触した、本当の目的を。

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