6 宿にて

 ああ、そうか、マハチェット森林だ……。

 振り下ろされた一太刀をかわし、テーブルの上の装備を取ったら片手剣しかなかった。キメイラの爪を喰らって倒れ込んだあの場所に、盾を置いてきた。

 あとでリズミーに回収をお願いしよう。……生きていたら。

 背中が再び燃えるような熱を帯びている。どの程度動けるのかわからない。ベッドに横になっている状態から不意打ちをよくかわせたな、と我ながら思う。

 俺は目の前にいる赤兜団せきとだんの服をまとった女に声をかけた。

「見舞いはありがたいし、サプライズも嫌いじゃないけど、もう少し静かに頼むよ。救護ギルドでは寝ている人も多くいるんだ」

 喋りながら考える。もう大丈夫かな、と考える。俺はポケットの中のリンクストーンから手を離した。

 大丈夫、という声が飛んできた。

「すぐに静かになるから」

 赤兜団せきとだんの女が両手剣を構える。上段の構え。

 最高にシュールだ。救護ギルドの一室で両手剣の女と片手剣の男がベッドを挟んで対峙するこの光景、最高にシュールだ。しかも赤兜団せきとだんの女は顔をターバンでぐるぐる巻きにしており、それが殺風景に拍車をかけている。

「さようなら。パトルシアン」

 名前を知っている? キメイラの一件の報復か?

 赤兜団せきとだんの女はベッドを踏み台にジャンプして斬りかかってきた。片手剣でさばいて横にかわす。剣戟けんげきが響き、藍色あいいろの髪が数本散った。

 紙一重だった。

 両手剣が天井をこすって勢いが弱まったから助かった、といえた。

 思った以上に体が動かない。まるで移動できていない。構え直された両手剣の切っ先がすぐ目の前にあった。

 これは、やられる……。

 俺は目を閉じた。

 広がる闇──。

 やや赤みがかっているのはまぶたの血管の血の色だろうか。

 闇と血。

 それらが光に点滅している。

 嫌だな、と思いながらも思い出してしまう。強烈な、あの頃の記憶。

 しかし、浮かび上がったのは光のほうだった。

 リズミーだった。

 リズミーが笑う。そうかと思えば、子どもみたいに泣きじゃくった。

 ほんと、感情に従順で、飽きないな。

 ただ、全力で悲しむからこそ、泣いている姿は見ていられない。

『六番隊はこれからますます〝落ちこぼれ組〟って言われるんだよ!』

 あの時は地獄だった。

 金切り声はその名の通り、言葉数の分だけ心を切った。

 結局根負けして、今に至るわけだ。

 ──いや、違う。

 本当に刺さったのは、消え入りそうなあの一言。

『……わかった』

 怖かったんだ。

 怖くてどうしようもなかったんだ。

 あれは失望の声音だった。単独行動を諦めたことを意味するものでもなく、俺の説得に納得したことを意味するものでもない。

 ただ──がっかりされた。

 そういえば、すぐ顔に出る性格を矯正するようになったのはリズミーに出会ってからだ。

 かっこいい男でありたかった。

 リズミーの前ではかっこいい男でありたかった。

 俺は〝俺のための汚名返上の戦い〟に乗り出したんだ。

 ところが、どうだ。

 俺が死んだらリズミーは泣くだろう。

 俺のせいでリズミーが泣いてしまう。

 大失敗じゃないか。


「……心眼の真似事か?」


 声に、目を開いた。及び腰の、声に。

 くすっ、と笑ってしまう。

「えらく評価してくれてるな。不意打ちも、そうか、まともにやり合うとリスクがあると思ってのことか。手堅くていいね。だけど心眼なんて、使えるわけがない。わかってるだろ? 俺は最下層の六番隊なんだ。──ただし、奥の手はある。結論から言うと、あなたはもうおしまいだ」

「……奥の手?」

「さっきリンクストーンで仲間を呼んだ。六番隊には困ったら現れる勇者みたいな女性がいてね。そろそろ駆け付ける頃合いだ」

「よく粋がれるな、パトルシアン。他力本願たりきほんがんなんて弱者そのものじゃないか」

「そうだ。俺たちの強さは弱さにある」

 その時、窓に人影が現れた。声が、飛んでくる。

「なにをしている!」

「ほらね」

 そうは言ったものの、窓のさんに片足を引っ掛けたその挙動に揺れる黄金色こがねいろの髪を見て、俺自身相当に驚いた。

 エデンツァ……?

「行け、赤兜団せきとだんの女。国中巻き込む大事にしたいか? 貴君だけにとどまらず、赤兜団せきとだんが終わるぞ」

「なんで……」

 エデンツァが凄み、赤兜団せきとだんの女が後ずさる。後ずさりながら両手剣を背中に収め、そのまま部屋を出ていった。

 ふう、と頬を膨らませる。

 助かった……。

「大事はないか? パトルシアン」

「大丈夫です」

「さあ、横になれ」

 エデンツァはそう言うと、俺から片手剣を取り上げ、もう片方の手で俺の腰を支えた。

 異常な体の重さとエデンツァの腕の力加減に身を委ね、ベッドに横たわる。

 見上げたエデンツァは、いつにも増して大きく見えた。それは普段から感じる圧倒的な存在感ではなく、母性によるものだった。この人の根本には母性がある。

 既視感があった。

 そういえば、初めてエデンツァと会った時もこんな風だった。

 十五歳だった。

 食うに事欠いていた俺は、夜な夜な一人で狩りに出ていた。動物や魔物の寝込みを襲うためだ。

 闇と血の記憶。

 当時は今ほど魔銃が普及しておらず、弓が安く手に入った。それを持って単身マハチェット森林に出向いていた。

 ゴブリンだった。

 狩りをしているところを一匹のゴブリンに見つかり、そしてやられた。

 一匹のゴブリンにやられてしまうほどに、もうこの頃は体力がなかった。限界が近かった。ろくに食べていないので栄養が足りず、体だけではなく、髪の毛までも細くなっていた。

 そんなコンディションで、更に立てなくなった俺を、ゴブリンは無慈悲むじひに殴り続けた。

 そこにエデンツァが通りかかった。

 エデンツァはゴブリンを瞬殺すると、一人の少女を伴って俺に駆け寄った。俺はエデンツァを見上げ、こう言ったんだ。

「このような格好で失礼します。ありがとうございました」

「キメイラの一件の報復か?」

「わかりません。有無を言わさず斬りかかってきました」

「私は事件後の対応をたがえたのかもしれないな。あるいはもっといい方法があったのかもしれない」

「だったら六番隊の活動停止処分を──」

「それはできない」

「どうして、ですか?」

 エデンツァは窓外そうがいに目をやった。

輝石隊きせきたいの信頼の喪失は、ベッテンカーナの民の安全の欠如に直結するからだ。それを食い止めることが先決だった。──すまない、パトルシアン。ほとぼりが冷めるまでの辛抱だ。それと、私はお前たちを信用しているということを付け加えておく」

「なら、せめて調査だけでも──」

「時にパトルシアン」

 エデンツァは窓外そうがいに視線を向けたまま言った。

「その背中の傷はどうした?」

 体内を直接叩かれたみたいに、どくん、と心臓が大きく脈打った。

 口が縫い止められたかのように開かない。

 エデンツァはくるりと振り向き、ふっ、と笑った。

「攻めているわけではない。だが、これだけは言っておく。ゆめゆめ無茶はするな。お前たちは大事なギルドメンバーなのだ」

 エデンツァはそう言うと、部屋の扉に向かった。

「私は赤兜団せきとだんの総長に掛け合ってくる。不穏ふおんな動きはないか? とな」

 不穏ふおんな動きを見せているのは、むしろ俺たちのほうかもしれない……。

「リズミー、後は頼んだぞ」

 エデンツァはそう言い残し、部屋をした。

 扉が閉められ、唖然とする。

 リズミー?

 ふと気配を感じて窓を見た。下からぬるっと生えるようにしてリズミーのバレッタによって逆立った後ろ髪が窓枠に入ってきた。

 俺は上体を起こし、その後頭部に声をかける。

「……いたの?」

「うん」

「……いつから?」

「忘れた」

 忘れた。

 そんなことあるだろうか。もしそうだとして、忘れるくらいまでどうして待機していたのか。すぐに部屋に入ってこないことがそもそもおかしい。

 疑問はひっきりなしに浮かぶが、けない。いてくれるな、というオーラをひしひしと感じる。

「リズミー、あの、来てくれてありがとう。それで、なんで、怒ってるんだ……?」

「怒ってねえよ、ばーか!」

 リズミーがエポトの果実を俺に向かって放り投げた。それを俺は額で受け、意図せず天井を仰いだ。

 リズミーが走り去る音を聞いていた。

「ディディめ」

 リズミーに悪影響を与えて……と俺は心の中でディディに八つ当たりする。

 顔の向きを元に戻すと、床に転がるエポトの果実が目に入った。

 盾……と俺は思う。



 しばらく後の夕刻、ホルムベルトとホーネルスタインが顔を見せた。

 二人ともリズミーがいないことを不思議がっていたけれど、俺ほどではなかった。

 ホーネルスタインから、明朝、ハーディン墓所に忍び込む計画を聞いた。赤兜団せきとだんの団員二名を殺したのがキメイラではない疑いがあるという。

 もしキメイラではないとしたら、じゃあ、

 ホーネルスタインが単独行動をしているということはつまりそういうことだろう。キメイラではない疑いがある、というよりも、人である疑いがある。

 赤兜団せきとだんを調査したい。

 ハーディン墓所には行けないけれど、なにかできることがあるはずだ。

 思考を巡らせている内に日が落ちた。ついまどろむともなくまどろみ、ノックに、我に返った。

「パトルシアン、私だ。入るぞ?」

 エデンツァが再びやってきた。今度は、扉から。

「どうでした?」

 上体を起こし、エデンツァに尋ねる。

 エデンツァは先ほどと同じように窓のそばに落ち着いた。薄青い魔法輝石の間接照明に背中がほのかに照らされている。陰と陽のグラデーションがよく似合う、と思って見ていた。

「殺気立っている者は少なくない、ということだった」

「誤解だ……」

「パトルシアン、我が邸宅に来ないか?」

 えっ。

 思わぬエデンツァの提案に固まる。

 なにも言えずにいると、エデンツァはひらりと振り向いた。

「しばらくの間かくまおう。剣も触れぬその体で、ここに一人で置いておけぬ。私は家を空けることが多いが、心配はいらない。うちには侍女じじょもいる」

 黄金色こがねいろの髪を掻き上げて、エデンツァは言った。

 耳が見えた。覗き見たような感覚をおぼえ、どきりとする。

 視線がひとりでに下がっていく。透き通るように白い首へ、服の上からでもわかる豊満な胸へ──。

 ベッドのシーツに乱れる髪と、薄着にあらわになる美しい肌。暗がりにその妖艶ようえんさは増し、静けさにその声音はつやをまとうだろう。

 触れたい、と思う。

 手を伸ばしたくなる衝動に、我に返り、頭ごと動かして大袈裟おおげさに目をそらした。

 輝石隊きせきたいのギルドハウスのルールが脳に貼り付いていた。恐ろしく合点がてんがいった。

 ──男と女が就寝を共にするのはまずい。

「いいんですか……?」

「部屋一室を貸し与えよう」

 そりゃ、そうだ……。

 勝手に期待するな。勝手に傷付くだけだ。

「ありがとうございます。しばらくお世話になります」

 これでいい。就寝を共にする度胸など、そもそも俺にはない。

 これが最善だ。

 エデンツァの言う通り、今の俺は戦えない。今日はラッキーだった。次に襲われることがあれば、こうはいかないだろう。

 ──待てよ、他のメンバーも襲われる可能性がある。

「よし、決まりだ。歩けるか?」

「はい。ですが、その前に、宿に立ち寄ってもいいですか?」

「リズミーか? それなら私が──ああ、いいだろう」

 警戒の旨を伝えなければいけない。

 そう言い聞かせていた。

 拭い去ることができない、他意があった。



 エデンツァが救護ギルドの面々に事情を説明した。彼女らは最初渋ったが、エデンツァの侍女じじょが毎朝包帯を取りに来ることを約束すると、承諾した。

 エデンツァを宿の手前の広場に待たせ、宿に入る。

「パトルシアン? どうしました?」

 テーブルがひとつ置かれただけのこぢんまりとしたロビーのカウンターの向こう、椅子に腰掛けていた宿の主、シェールが立ち上がる。

 カウンターまで歩き、耳打ちの仕草で答えた。

「大きめの犬に引っ掻かれてね」

 羽織っただけの服の隙間から覗くお腹の包帯をつまんで、びよーんと伸ばす。

 おどけてみせたが、シェールは自分まで体のどこかが痛いように目を細めてうなずいた。

「存じています。安静にしていなくて大丈夫なのですか?」

「急用なんだ」

「わかりました。リズミーのお部屋は……」

 シェールが宿帳をぺらりとめくる。

「二○九と一ですね」

「ホルムベルトの部屋も教えてくれないか。それと、ディディはいるかい?」

「ホルムベルトは外出中です。夜食でしょうか。ディディはバニラッテを探しにベッテンカーナを出ています」

「そうか。ありがとう、シェール」

 二○九と一の部屋に向かおうとしたら、シェールに「パトルシアン」と呼び止められた。

「あなたの剣は人を守るためにあるのですよね?」

「知らないのかい? 輝石隊きせきたいは魔物討伐ギルドだ」

「そういう話をしているのではありません」

 シェールの目が微かに鋭くなった。

 ……今日はよく怒られる日だ。

「無理はいけませんよ。無理をしてもいい結果が出るとは限りません。けれど休息は間違いなくあなたの体を癒すでしょう。頑張ることだけが素晴らしいと思ったら大間違いですよ。とかくあなたは突っ走りがちですから、気付けば守るべき人がそばにいなかった、なんてことにならないようにしてくださいね」

 後ろから頭を殴られたようだった。

 他人より劣っているから、他人より頑張らないといけない。それこそが唯一の武器、という信念を持って生きてきた。

 いつだってそうあるべきだ、と。

 ──頑張ることだけが素晴らしいと思ったら大間違い。

『いいかい、リズミー。そんなことは大した問題じゃないんだ。重要なのは、これ以上誰も死なないことだ』

 そうだ。

 忘れかけていた。

 俺の役目は死なせないこと、そして、死なないこと。

 それが最優先事項だ。

「その返答は、こう言えばいいのかな?」

 俺はシェールから目をらした。そして言った。

「うるせえよ」

 シェールはにっこり微笑んだ。



 二○九と一。扉にはそう書かれてある。間違いない。

 二一○はクロロの葉の隠語で、部屋がクロロの葉愛好者の集いの場として利用されることを回避するため、このような記述になっているらしい。

「異常行動が見られることが多く、他人に危害を与える可能性がある」として、ベッテンカーナではクロロの葉の所持は禁じられている。

 どうしてわざわざそんなものに手を出すのだろうか。気分を高揚させたいなら、酒というものがあるというのに。そういえば、リズミーはどうして酒が好きなのだろう。

 俺は苦笑した。

 現実逃避に勤しんでいたけれど、結局リズミーに回帰してしまった。

 ああ──。

 またしても俺は静寂に教えられた。

 リズミーは出てこなかった。

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