7 ハーディン墓所にて

 足音が近付いてくる。

 たっ、たっ、たっ、たっ、と徐々に大きくなる足音に呼応するように、心臓が脈打つ。

 ちっ、と私は舌打ちをした。

 耳を澄まして待っていた自分が苛立いらだたしい。どこかほっとしている自分が苛立いらだたしい。


 苛立いらだたしい苛立いらだたしい苛立いらだたしい苛立いらだたしい──。


 扉がノックされる。

 しっかりしろ! と心の中で自分自身にげきを飛ばし、立て膝の私は動かない。口を真一文字に結んだ。

 これは居留守ではない。拒否だ。

 立ち去る気配がないので、私は、ぎい、と椅子を引いてテーブルに着いた。皿の上に二つ並んでいるシミターブレッドをひとつ手に取ると、そのままむしゃむしゃと食べ始めた。

 二度目のノックがあった頃、私はシミターブレッドを食べ終えた。

 小麦粉を発酵させて焼いた、ぱさっとした食感のブレッドは喉が乾いていけない。水筒を逆さまにして水をあおった。

 ごくごくごく──。

「ぷはあ」

 その声を合図にしたようなタイミングで足音が遠ざかっていく。罪悪感が芽生えそうになって、その意識から逃れたくて、咄嗟とっさに立ち上がって服を脱いだ。

 ──とても、嫌なにおいがする。

 私は前を向いたまま服を後方へと投げた。ばさっ、と床に落ちる音がした。

 これでいい。

 ずっと背中を見てきたけれど、今回に関しては私がイニシアチブを取ってもいい。文字通り一生懸命やった私に対してこの仕打ちはない。

『コッセロ&』から救護ギルドへの道中、最後には喜ぶ顔が見られると思いながら走った私が馬鹿みたいだ。

 絶対に、助けることができたはずなのに。

「パトルシアンめ」

 挙句、エデンツァの部屋で寝泊まりすると聞かされた。

 どういうつもり?

 やっぱりああいう人がいいの?

 ああ。

 ああ。

 ああ!

 気が狂ってしまいそう。

 私はチェストからカード程度の大きさの紙片とクロロの葉を取り出した。チェストの天板に紙片を置き、クロロの葉を手で揉んでばらばらばらにする。山羊の乳を絞るような手の動きでばらばらにしたクロロの葉を紙片の上に一直線に並べ、くるくると巻き込む。クロロの葉がこぼれないように一方の端を軽く絞り、逆側を右手の人差し指と親指でつまんで口にくわえる。

「よひ」

 左手の人差し指に魔力を集中して火をつけた。デクタファイア・レベル0.1。

 ふう……。

 煙を吸って吐く。

 もやもやした気分が体から出ていくような感覚に、ふっと気持ちが楽になった。

 ──さて、これからどう動こうか。

 やはりハーディン墓所を調べられるのはまずい気がする。どこをどう調べるつもりかわからないけれど、万が一、あの時キメイラはいなかった、ということが発覚すれば、六番隊は国からの処罰を受けることになる。それはまずい。

 さすがに、赤兜団せきとだんの二人を殺したのがエデンツァと私であることがばれることはないと思うけれど。

 だって、魔術士はこれでもかというほどぼろぼろにしたし、武闘士はエデンツァの『ヴェールアイス』で氷の息吹に見せかけたし。

 大丈夫。どこからどう見てもキメイラじゃん。

 作戦は完璧。……あの台詞せりふ以外は。


赤兜団せきとだんの者がハーディン墓所にて落命との報告あり! 急ぎ確認を!』


 作戦は、思えば、終始どたばただった。

 六番隊は思いの外、ハーディン墓所に長居をした。そのせいだ。こちらの作戦を開始するのが大幅に遅れた。真夜中にハーディン墓所を調査する、というのもおかしな話なので、私は焦り通しだった。

 赤兜団せきとだんの二人を殺めてハーディン墓所を出た頃には、外はもう真っ暗だった。私は単独、大急ぎでベッテンカーナに戻り、赤兜団せきとだん本部に駆け込んだ。

 息せき切って駆け込んだまではいいが、無事に作戦を終えたことを意味するこの台詞を、私は安堵感のままに吉報を伝えるようなニュアンスで言ってしまった。

 まっ、事の成り行きを見る限り、問題はなし。

 それでもホーネルスタインは油断ならないと思う。なにかに勘付いている様子がうかがえる。

 調査を阻止しないといけない。最悪、また──。

 私は火のついたクロロの葉を靴底に押し当てた。次いで、手で小さく握り潰すと、やはりその辺に適当に投げ捨てた。

 髪をほどこうとして、めんどくさくなってやめた。靴を脱ぎ、飛び込むようにベッドに横になった。

 明日の朝は早い。

 私は目を閉じた。



 ──魔物はベッテンカーナにこそいる。



 あの言葉を初めて聞いた時、私は驚かなかった。言わんとしていることがすぐに理解できたから。

 この国は、おかしい。

 人が人を攻撃している。見えない刃で、寄ってたかって。

 誰もが自我肥大じがひだいに陥っている。自分は偉いのだと、思い込んでいる。己の感情を乱す者を悪とし、マジョリティーを獲得して裁く。

 正義の名の下に、ののしる。

 六番隊は格好の餌食となった。

 ──なぜあんな奴らが輝石隊きせきたいに?

 ──なぜ同じように讃えられる?

 それでも輝石隊きせきたいであることには間違いない。日々、ベッテンカーナの民のために戦っている。けれど、そんなことは関係ない。攻撃できると見るや襲いかかる習性がある。他人の幸福度を下げることで、自身の幸福度を上げるのだ。──いわば、快楽。

 どこからともなくやってくる。反撃されないことを確認し、反撃されない方法で、群れをなしてやってくる。狡猾こうかつな──。

 魔物。

 ……言い得て妙だ。

 エデンツァと初めて出会った時、私はその魔物にやられていた。

 ダガーを腰に差して歩いていた。それが気に食わなかったらしかった。四、五人の知らない男の子たちが突如私を取り囲み、『かかってこい』という。

 事態が飲み込めず、呆然とする私に向かって、男の子たちは一斉に石を投げた。その内のひとつが私のこめかみに当たり、私は屈み込んだ。

 こめかみを押さえた手に虫のうような嫌な感触があった。血が、どんどん流れてきた。

『格好だけの雑魚が』

 一人前に吐き捨てるように放たれた声が頭上から降ってきた。

 助けて──。

 まるでその心の声が届いたように、『なにをしている!』と力強い女性の声がした。

 見ると、黄金色こがねいろの髪を風になびかせた美しい魔術士が立っていた。見たことのない大きな杖をゆらゆらと揺らしていた。先端にガーゴイルの装飾が施されていて禍々まがまがしい。

 強い、と一目でわかった。

 それは男の子たちも同じだったようで、台詞ぜりふも忘れて蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

 ゴブリンのほうがまだ立派かもしれなかった。

 だけどあの時、私はそれどころではなかった。

 そんなことよりも、エデンツァがかっこいいと思った。

 杖を揺らすだけで悪者を追い払ってしまう、その貫禄。シチュエーションも相まって、私は、神だ、と恍惚こうこつの眼差しを向けた。

 私もまたこめかみの痛みも忘れて、ただただ、見とれていた。

 今にしてみると、私の人生はそこで決まった。



『魔物はベッテンカーナにこそいる』

 ベッドの上、上体を起こすと、エデンツァは言った。『討伐だ』と虚空こくうにらんだ。

 空気が重くなるのが嫌で、私は髪でむち打つように大袈裟おおげさにエデンツァのほうを向いた。

『討伐って、輝石隊きせきたいでベッテンカーナを制圧するの?』

 嘘でしょ? というニュアンスでエデンツァに尋ねた。

 しかし、息を呑むような驚くべき答えが返ってきた。

『そのために、輝石隊きせきたいを作った』

『じゃあ、魔物討伐ギルドっていうのは……嘘?』

『長かった』

 エデンツァは人差し指でクロロの葉に火をつけた。

『それ、いつになったら教えてくれるの?』

 ふう……と煙を吐くと、エデンツァは私の質問を無視して続けた。

輝石隊きせきたいはれっきとした魔物討伐ギルドだ。なにしろ、ドラゴンを討伐したのだから。見てみな、ベッテンカーナの民の信頼の眼差しを』

『まさか、ベッテンカーナの民の支持を得るために──ただそんなことのためだけにドラゴンを?』

『そんなこと、ではない。赤兜団せきとだんに匹敵する戦闘部隊を作り上げたとて、それでは戦争で負けてしまう。奴らは赤兜団せきとだんにつくからな。戦いに勝利したとしても、ベッテンカーナに未来はない』

 戦争。

 その単語を身近に感じたのは初めてのことだった。ちらほらと耳にしたことはあった。ハルカナブルカと小競り合いがあった時なんかに。

 そういえば、と気付く。

 最近はめっきり耳にすることもなくなった。輝石隊きせきたいがドラゴンの討伐に成功してからこっち、その小競り合いがぴたりとやんだからだ、と思い当たる。

 開きっぱなしの口が渇いて、ごくりと唾を飲んだ。

 ドラゴンの一件以来、ベッテンカーナの民は時として輝石隊きせきたいを戦争抑止力と呼ぶ。〝表現〟として、そう呼ぶ。けれど、実際にそうだったのだ。

 横槍が入らないように。

 全てが、布石ふせき

 両手が震えた。怖かったからではなかった。

『エデンツァが、ベッテンカーナの国家元首に、なるの……?』

『違う。国家元首や議会、王宮騎士団、その全てを作り変える。国を、変える』

 私は震える両手を口元に持っていった。何度も瞬きをする。

 やれる……。

 この人ならやれる……。

 ──エデンツァがこの国の支配者になる。

 ドラゴン討伐作戦よりも遥かにどきどきする。夢のような作戦。

『私はそれを手伝えるの?』

『手伝ってくれるか?』

『なにをすればいいの!』

『今日は眠いから簡単に説明して終わりだ。──まず、赤兜団せきとだんの魔術士を一人、殺す』

『なんで?』

『最後まで聞け。この時、六番隊にその罪を被ってもらう』

 な、と発音してしまい、はっとして口を結ぶ。

 ドラゴン討伐作戦を留守番で過ごした六番隊を、ベッテンカーナの魔物は見逃さなかった。もともと六番隊に対する世間の風当たりは強く、ここで一気に加速した。

 挙げ句の果てに、この仕打ち。

 六番隊が再起不能になる恐れがあるし、ベッテンカーナの民の信頼を落とすことになるのでは? と考えて、疑問と答えが同時にやってくる。

 それこそが、狙い。

 トカゲの尻尾切り。

 残酷だと思ったけれど、そうじゃない。

 革命を成すために切られる、カードだ。

『奪ったローブで私が赤兜団せきとだんの魔術士に成りすまし、輝石隊きせきたいのギルドハウスを攻撃する。輝石隊きせきたいに、赤兜団せきとだんに報復されたと思い込ませるためだ。これが戦争の発端になる』

 戦争の規模でいうと、たかだか百、二百の戦闘部隊の衝突による小さな内戦。けれど、今の輝石隊きせきたい赤兜団せきとだんがぶつかれば、間違いなくベッテンカーナは火の海となる。

 歴史が動く、大戦となる。



 もう、引き返せない。

 エデンツァの成功は私の成功で、エデンツァの終わりは、私の終わりだ。

 ギャー、ギャー、ギャー……。

 ベッテンカーナの夜空を行く鳥の声が遠ざかっていく。

 私の意識は闇に落ちた。



 朝、目覚めてベッドから降りると、足元に赤兜団せきとだんの服があった。

 元は、八つ裂きにした魔術士のローブだ。強奪をカモフラージュするために身元がわからなくなるほどに痛めつけた、あの。

 エデンツァが輝石隊きせきたいのギルドハウスを攻撃して用済みになった後、なにかの役に立つかもと、切って自分が着られるように仕立てた。

「使わないに越したことはないってことかな」

 私は赤兜団せきとだんの服を蹴飛ばした。



 灯りなしで行くハーディン墓所は、一度足を踏み入れると二度と出られない気さえする、地獄への入口のような雰囲気でとても不気味だった。

 壁の至るところに埋まっている極小さな天然の輝石きせきのおかげで真っ暗ではないけれど、まだ日が昇りきっていないため、入口から既に中心部のように暗い。それに、巨大な氷でも置いているのかと疑うほどに、空気もいつも以上に冷たい。時折、結露によって生じた水滴が、ぴとっ、と地面に落ちる音が耳に届く。

 私は極力足音をたてないように注意しつつ、壁に沿うようにして歩いた。

 洞窟の中心部まで行くと、ふっ、と息を吐いた。

 よかった。まだ来ていない。

「どこか、身を忍ばせるのに最適な場所は……」

 確か──と目を洞窟の更に奥へとやる。

 正面の壁にぶつかって左に折れる道。〝お〟の口の形をして待ち構えている道。

 あそこには段差がいくつもあった。上方に隠れることができるのでは?

 しかもその先は赤兜団せきとだんの二人の死体を放置した場所。

「ちょうどいいじゃん」

 さながら、地獄の門番。

 その響きに陶酔し、足並み軽く正面の壁に向かった。

 ここまで慎重に進んできたのに、つい、気が緩んだ。

 歩を緩めずに左に折れた──次の瞬間。

 ザシュッ!

 出会い頭に攻撃を受けた。

 斧を顔面に喰らった。

「う……うわあ!」

 水筒をひっくり返したように血が流れ、左目は開かない。顔を押さえた両手がすぐに真っ赤に染まった。

 右目で正面を見る。

 私の身長の二倍はあろうかという、半人半牛の魔物、ミノトールが立っていた。頭に生えた勇ましい二本のツノをこちらに向けて威嚇いかくしている。

 ──いや、おかしい。

 ミノトールがハーディン墓所にいるのはおかしい。

 私はエデンツァの顔を思い浮かべる。

 そうなの……?

 私はまた、失敗してしまったの……?

 ミノトールは、ふん、と鼻を鳴らすと、斧を振り上げた。

 その挙動をはっきりと捉えることができない。動かずに直視しているのに、ぐらん、と視界ごと回る。

 それでも私は腰に手を伸ばした。本来の武器ではない、ダガーのほうに。

 ダガーを逆手に持って、ミノトールのふところに飛び込む。

 それを、ミノトールはバックステップでかわした。

 到達点を失った私はよろけ、子どものように正面から派手に転ぶ。

 斧が、振り下ろされた。


 ザシュッ!


 背中に斧が突き刺さる。

 ああ! という声が発音されず、喉の途中でかすれた。

 呼吸が、止まった。

 衝撃による一時的なものかと思っていたら、もう、戻らなかった。

 残念だった。

 こんなにも愛しているのに、喧嘩別れのようなことになってしまって。

 もっと、ちゃんと、言えばよかった。

 好きだと。

 涙を流すこともできず、それによって自分はもう駄目なのだと思い知る。

 誰か──。

 誰かあの人に伝えて──。


 褒めてよ、エデンツァ。

 私は屈み込むのではなく、武器を手に取ったよ。

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