5 コッセロ&にて
パトルシアンの背中の傷は、傷跡は残るものの、いずれ完治するらしい。元通り剣術士として戦線復帰できるだろう、とのことだった。
ベッテンカーナの救護ギルドの一室、ベッドに横になっているパトルシアンの
『リズミー!』
パトルシアンも大きい声を出すんだなあ。そんなことを考えながら、パトルシアンの顔を眺めていた。
「なんて情けない格好なんだ」
パトルシアンは嘆いた。毛布から包帯でぐるぐる巻きにされた上半身が覗いている。確かに、パトルシアンのこんな姿はあまり見たくはない。けれど──。
「かっこいいけどね」
「なんだって? よく聞こえなかった」
聞こえないように言ったんだよ、と心の中であしらいながら、「なんでもない」と私は立ち上がる。
「ホーネルスタインさんのところに行ってくる」
「トマシュの予言通りだ」
「なにが?」
「ホーネルスタインまで行けよ、って」
「そういう意味じゃないから」
パトルシアンは声を出さずに笑った。
余裕ぶって、と思うけれど、今日ばかりは小馬鹿にすることはできない。むしろ、偉いな、と思った。パトルシアンだって弱っている姿は見せたくないはず。それを防ぐ
大人だ。
パトルシアンは動じない。
それは強いからできることなんだな、と思う。
そんなことを考えている間に、パトルシアンの表情は真剣なものになっていた。私をまっすぐ見据えて言った。
「気を付けて」
「彼は敵じゃないよ」
確信を持ってそう言った後で、ふと疑問がよぎった。あの時──。
『彼は違う』
そう言って、パトルシアンはホーネルスタインを助けにいった。最初からパトルシアンは彼を疑っていなかった。
「ねえ、パトルシアン」
ん? と眉毛をふわりと持ち上げたパトルシアンの目を、私もまっすぐ見据える。
「どうしてホーネルスタインさんがギルドハウスを攻撃した魔術士じゃないってわかったの?」
パトルシアンは天井を見上げ、「レベル3だから」と言った。
「
「レベル4」
パトルシアンの
「ご名答」
パトルシアンは笑わなかった。
英雄、トラスロットを
遠くのほうで、「見ろよ」と男の人の声がした。
「〝落ちこぼれ組〟の
声は、粘液のように耳にまとわりついた。
比喩ではなく、唇を噛んだ。
でも私は嫌だ。品のない言葉に慣れるなんて、嫌だ。
そうじゃなくて、と私は首を振る。
変わりたい、と願う。
嫌われない人間に、なりたい。
ベッテンカーナ旧市街にある酒場が約束の場所だった。看板には『コッセロ&』とある。なんとか判読できたのはそこまでで、それ以降はかすれが酷すぎて読めない。
予想通り、建物は古く寂れていた。正直、〝ぼろい〟としか表現しようがない。ベッテンカーナにあって緑豊かな景観ではあるけれど、ツタが無作為に石壁に伸びていて、こうなってしまっては緑豊かなことが
女性客は私が第一号かもしれないなあ……。一瞬の
「よお、リズミー」
顔中針のような傷にまみれたホルムベルトが出迎えた。
「ホルムベルト、大丈夫なの、それ……」
至近距離で『レキュア』を放つみたいにホルムベルトの顔に手をかざす。
「男は顔じゃねえ。ここよ」
ホルムベルトは誇らしげに笑みを浮かべ、拳で心臓の辺りを、どんどん、と二度叩いた。
えっ、どこ?
とりあえず大丈夫そうなので、私は「ところで」と話を転じる。
「ホーネルスタインさんは?」
「こっちだ」
ホルムベルトはカウンター席のほうを顎で差し、それから歩き出した。あろうことか、そのままカウンターの中へと入っていってしまったので、私は仰天した。
カウンターの中にいる店主と思しき老人はなにも言わない。
「えっ、あの、えっ」
「こちらへどうぞ、お嬢さん。みなさんお待ちですよ」
店主と思しき老人はクロスでグラスを拭きながら微笑んだ。
恐縮しながらカウンターの中に足を踏み入れると、店主と思しき老人の足元近く、一部の床が
隠し階段。
「
ホルムベルトはその体格には窮屈な階段を下っていった。
酒場の奥に隠し部屋が……。なんとまあ、古典的な。
私もホルムベルトに続いた。特に
隠し部屋は『電光一閃を仕舞う』より少し狭いくらいの面積だった。もっとも、鍛冶の道具が置かれていないので、倉庫のようなあの部屋より広く感じられる。部屋の中央に長机と椅子があり、ホーネルスタインとディディが座っていた。
「待っていたぞ、魔銃士の少女。ここはもともと賊のアジトだったようだが、今は
低音のハスキーボイスが渋い。ホーネルスタインはよく見ると、まさしく〝おっさん〟だった。
──ってことは、とディディがだらしなく発音する。この時点でもう、なにか嫌なことを言うな、とわかってしまう。
「
ディディ! と私は一喝する。ディディは両手を頭の後ろで組んでそっぽを向いた。
「失礼しました、ホーネルスタインさん。私は
私は深く頭を下げた。「いや」とホーネルスタインは小刻みに手を振る。
「助けてもらったのは私のほうだ。ありがとう、リズミー。剣術士の彼には申し訳ないことをした。後ほど改めて見舞いに伺おうと思う」
「それで、葬儀を抜け出してまでどうしてハーディン墓所に?」
ホルムベルトが椅子に腰掛けながら話を急かす。
ホーネルスタインは居住まいを正し、「そもそもあの話は」と切り出した。
「どこか、おかしかった」
「
私はホーネルスタインの対面に座った。彼は「その通りだ」とうなずいた。
「キメイラ出現の知らせを元に先発調査隊を派遣するのはわかる。なぜそれに
けっ、とディディが口を鳴らした。
「単なる妬みじゃねえか。
「ディディ、少し黙ってて」
自分でも驚くくらい冷たい声音だった。ディディも面食らったのか、今度は微動だにしなかった。
ホーネルスタインはやはり「その通りだ」と続けた。
「
「
ホーネルスタインは、やれやれ、といった風に呆れ顔で首を振った。「こじれているな」と。
「しかしそのような関係にあって、
確かに、とホルムベルトが顎に手をやる。
「ねえ、ホルムベルト」
「なんだ?」
「キメイラ討伐作戦の総指揮官は誰なの?」
「一番隊隊長、イシュベルだ」
私はハーディン墓所を調査した夜の、あの乱暴なノックを思い出す。
イシュベルは
「聞いてみる……?」
「そうしよう」
全くもって物怖じすることなく、ホルムベルトは即答した。ほんと、頼りになる。
「武闘士と魔術士なんだ」
急に話が飛んで、私は目だけでディディを見た。
「死んだ
「なんなの、ディディ。それがどうかした?」
「わかんねえのかよ、ばか。六番隊に欠けてる人材だろうが。要請の理由は六番隊の補強。エデンツァの計らいだ」
「──であるならば、同じ
ホーネルスタインが至極当然の疑問を口にする。
ディディはたじろぎ、助け舟を求めるように私のことをしばらく見ていた──ように見えたけれど、違った。
「おっさんよ、あの葬儀を見ておかしいと思わなかったか?
耳が痛かった。
あの日、五人の死を目の当たりにした直後ですら、私は一人で敵を捕まえて六番隊の汚名を返上することしか頭になかった。
それじゃ、駄目だ。人として、駄目だ。
バニラッテの話を思い出した。
彼女
それは大きく見ると、より強固に閉じている、といえた。
私もまた紛れもない当事者なのだ。
お墓に行かなくちゃ、と思った。
「よく見ているな、ディディ」
「うるせえよ」
ホルムベルトのからかい半分の賛辞に、ディディは再びそっぽを向いた。
「なるほど。我らも同じようなものだ。その武闘士の彼を見ていたのは私だけだったからな」
「
尋ねると、ホーネルスタインはうなずいた。
「キメイラの氷の息吹にやられた彼の顔に違和感があった。あまりにも綺麗だったのだ。氷の息吹には極小さいつららのような個体が無数に含まれている。死に至るほどまともに浴びたなら、
「それで現場を調べに?」
「本当にキメイラにやられたのか疑問に思い、確かめにな」
「では、もう一度ハーディン墓所に行く必要がありますね」
「どっちみち、キメイラが野放しなんだ。行くことになる」
意気込むホルムベルトに、私は「ならないよ」と首を振る。
「私たち、活動停止中なんだよ?」
「あなた方が、六番隊……?」
ホーネルスタインは目を見開いた。
はい、と私は呆気にとられつつ、返事をする。
「まだ話していない疑問がひとつあったが、たった今解消した」
「それは、なんでしょうか?」
「キメイラとの戦闘において、
なぜなら、とホーネルスタインは微笑んだ。
「あなた方が味方を置いて敵前逃亡するわけがないからだ」
きゅん、と鼻が痛んだ。
腕を鳥肌が走った。
涙が頬を伝った。
こういう状況になっても、六番隊を擁護してくれた人は、もちろんいた。五番隊のアンジェや宿のシェール。けれど、ここまで力強く信頼の言葉をかけてくれた人は初めてだった。
んっく、と
ぽたりぽたりと涙が床に落ちる。
あ──。
あ──。
「ありがとうございます」
叫んでしまいそうになる衝動を必死に押さえ込みながら出した声は、やはり震えた。
「泣くなよ、ガキんちょ」
いつもは不快なディディの罵声に、なぜだか救われたような気がした。だからこそ──。
「うるさいなあ」
快活な語調でそう言って、私は顔を上げた。片手で顔をぞんざいに拭う。
こうしよう、とホルムベルトが右手の拳を左手に打ち付けた。
「イシュベルに黙ってハーディン墓所に忍び込もう」
……みんな考えることは同じだ。
「あなた方が一緒なら心強いが、それでも我々だけでキメイラを──」
はきはきした口調のホーネルスタインが唐突に言葉を切ったので、みんな一斉に彼の顔を見た。神妙な面持ちで目だけを左右にきょろきょろと動かしている。
「……どうしました?」
「ああ、いや。ハーディン墓所に入るな、と言われているような気がして」
誰に?
『ふざけんなよ、犬ころがよ!』
脳内でディディの罵声が
番犬。
まさかね、とその発想をすぐに打ち消す。キメイラを手懐けるなんて無理難題だ。
「
全員が椅子から立ち上がる。誰も返事をしなかった。沈黙こそ雄弁だった。
あれ? と思う。
ちょっと待って、と血の気が引く。
ようやく気付いた。
──ホルムベルトとディディを巻き込んでしまっている。
作戦が失敗に終わることがあれば、六番隊は総崩れになる。
とんでもない時間差で、ホルムベルトに尋ねた。
「ホルムベルトとディディは、どうして来たの?」
ホルムベルトは一瞬ばつの悪さそうな表情を見せたが、すぐに笑顔を作った。親指のような人差し指で顔の傷を撫でながら言った。
「俺たちは隊だからだ」
そっか、と私はまた泣いた。
店主と思しき老人に挨拶してから店を後にしようと思っていた。ところが、最初に口を開いたのは彼のほうだった。
「ホーネルスタインさん。今しがた、このような物が届きました」
店主と思しき老人は折り畳まれただけの粗末な書状を手にしていた。
受け取ったホーネルスタインが書状の裏を一度確認してから尋ねた。
「どちらから?」
「
ほお、と
「これは……」
「どうしました?」
尋ねると、彼は書状を裏返して私たちのほうに示した。
今すぐ手を引け
これは忠告ではない
無骨な文字で書かれた必要最低限の文言が、細い針のように心に刺さって私は恐怖した。
差出人の名前はない。
「なんだこりゃ?」
緊張した空気を切り裂くディディののんきで高い声。私はまた、助かった、と思った。
「
苦笑い交じりにホルムベルトが続く。
「これではっきりした。あの事件には、なにかある」
ホーネルスタインが書状を折り畳んで
一連の、と私は心の中で彼の
「どうしますか?」
ホーネルスタインに尋ねたのだけれど、答えたのはディディだった。
「どうもしねえよ。こっちは忙しいんだ。俺はバニラッテを連れてくる。パトルシアンがやられてパーティーが四人になっちまった。よもやあいつに頼ることがあるとは夢にも──」
言いながら、ディディは店を出ていった。閉められた扉からディディのこもった声が聞こえる。……まだ喋り続けている。
「四方注意して臨むとしよう」
ホーネルスタインが私とホルムベルトの顔を交互に見ながら言った。
私はパトルシアンの顔を思い浮かべた。その時だった。
ふぉん、ふぉん。
私のリンクストーンが鳴った。私のだけが鳴った。
変だ。
「パトルシアンだ……」
私は店を飛び出した。
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