4 マハチェット森林南部にて

 葬儀には遺族、輝石隊きせきたい赤兜団せきとだん、合わせて二百人余りが参列した。ほとんどの参列者が教会内に入ることができず、辺り一帯を取り囲む格好となり、さながら国葬のようだった。

 ごおん、ごおん、とやまない教会の鐘の音が曇天に鳴り響いている。

 きっともう昼だろうな。そんなことを考えていた。

 参列者が多すぎて円滑に事が運ばず、本来なら帰路についている時間にようやく葬儀が終わった。これから土葬のために居住区の北にある墓地まで大移動するのかと思うと、やや辟易へきえきしてしまう。

「パトルシアン、あれ──」

 リズミーのこの台詞せりふを聞くのは二度目だった。

 条件反射で体が強張る。

 さて、今回はどうなる。惨劇の幕か、吉報の封か。

 リズミーの瞳から伸びる見えない直線に視線をわせる。その先に一人の男がいた。赤兜団せきとだんのローブをまとった片眼鏡の男。

 片眼鏡を付けた戦士、というのを俺は初めて見た。片眼鏡は上流階級のステータスシンボルだ。

 ──ホーネルスタイン卿。

 なるほどね。

 片眼鏡の男は一人そろりと群衆から離れ、南の方角、マハチェット森林を向いて歩いている。

「行こう」

 ほとんど吐息のような声で、リズミーに耳打ちする。

 しかし、一歩踏み出した直後、ホルムベルトに捕まった。

「パトルシアン、どうした?」

 ホルムベルトの死角で顔をしかめて、それから何事もなかったかのように振り向いた。

「すぐ戻る」

 事態を飲み込めずにきょとんとするホルムベルトの肩越しに、欠伸あくびをするディディの横顔が見えた。

 ディディ! とペットをしつけるようなリズミーの叱咤しったの空耳が聞こえた。

 空耳だった。

 リズミーはホルムベルトたちに背を向けたまま沈黙している。

 俺はもう一度、「すぐ戻る」とホルムベルトに告げた。



 マハチェット森林にぽつりぽつりと雨が落ちる。見上げると、生い茂る木々の隙間を黒雲が埋めていた。土砂降りになりそうな気配があった。

 好都合だ、と俺はほくそ笑む。

「なんかいいことでも思い付いたの……?」

 眉間にしわを寄せながら、リズミーが尋ねた。

「ほら、雨に紛れて尾行しやすくなるでしょ?」

 しまった。見られた。

 人といる時は気を付けているのだけれど、すぐ感情が顔に出る性格はそう簡単には直らないようだ。剣術士としても短所になるので切実になんとかしたい。

 汚名返上の場面はやってくる。俺は片眼鏡の男の背中に視線を戻した。

 雨の森、というシチュエーションがありがたいことはいうまでもないが、そもそも六番隊は隠密行動が得意かもしれない。リズミーの特殊能力の恩恵で、俺たちは片眼鏡の男から二十ノートム以上離れて歩いていた。よほどトリッキーな動きを見せない限り、リズミーが目標を見失うことはないだろう。

『レオポルド・フォルド』を越えてマハチェット森林南部に入っていく。雨脚あまあしいよいよ強くなり、土砂降りの様相をていした。水分を含んで足に貼り付いたマントをさっと手で払う。

「どこまで行くんだろ?」

 リズミーは首を傾げた。

 マハチェット森林を南へ抜けるとモルドゥビの泉があり、その先はもうマハチェット地方の外だ。単身、マハチェット地方を抜けるとは考えにくい。そうなると、行く宛ては二つに絞られる。モルドゥビの泉か──。

「ハーディン墓所だ」

 赤兜団せきとだんの団員二名がキメイラに殺された場所。

 ベッテンカーナではそろそろ埋葬が行われている頃だろうか。このタイミングで向かう場所と考えると、ハーディン墓所だと断言できた。

 俺は今なお鐘の音が鳴り響くベッテンカーナの空を振り返った。

 葬儀でなにを見た?



 果たしてホーネルスタインはハーディン墓所へと入っていった。それを俺たちは大木の陰に身を潜めつつ、見届けた。

 予想通りだ。

 そう思ったのも束の間、片眼鏡の男が後ろ歩きで出てきた。様子がおかしい。

「……なんだ?」

 後ずさりながら杖を構える片眼鏡の男。その杖の先に、暗がりに青白く光る二つの大きな目があった。

 戦慄せんりつした。

 どおん、という地鳴りと共に姿を現したのは──。

「キメイラ……」

 リズミーが緊張をはらんだ声で言う。

 ハーディン墓所にキメイラ。やはり、いたのか。

「まずいな……」

 ああなってしまっては万事休すだ。魔術士は物理的な攻撃手段を持たず、加えて精霊魔法は詠唱に時間を要する。接近戦で先手を取られてしまっては、できることはなにもない。

 腰の片手剣に手を伸ばす。一度グリップを掴み損ねた。

 どこまで見られたかわからないが、その動作に反応してリズミーが言う。

「まさか、戦うの……?」

 俺は鼻で深呼吸し、背中の盾を取り出すのと同時に抜刀した。

「らしくないじゃないか。目の前で人がピンチなんだ。行くしかないだろう?」

「だってあの人は──」

 俺はリズミーが喋り終えるのを待たずにその場を飛び出した。

「彼は違う」

 一目散に、一直線に、片眼鏡の男の元に向かう。そのまま片眼鏡の男を通り越し、キメイラの眼前に滑り込む。

 間に合った。間に合ったけれど、局面は変わらない。二対一では歯が立たない。

 キメイラと正面で向き合うのは初めてのことだった。たてがみが重々しく不気味に揺れている。それだけで、えも言わぬ威圧感があった。

 雨なのか汗なのかわからない雫が鼻先から落ちた。

 けれど、と俺は思う。

 時間を稼ぐことくらいならできる。

「逃げてください」

 キメイラとにらみ合ったまま、片眼鏡の男に声をかける。困惑した様子が背中に伝わってきた。

「しかし」

「俺は一緒に死ににきたわけじゃない。逃げてください」

 ふっとキメイラが腰を落とした。

「早く」

「恩に着る。輝石隊きせきたいの少年」

 グワアアアアア!

 身の毛もよだつ咆哮ほうこうと共に、キメイラが両前足を大きく広げて飛びかかってくる。

 キメイラの脅威は三つ。氷の息吹、牙、そして爪だ。

 俺は靴底に地面を感じながらじっとこらえる。逃げ出してしまいそうになる気持ちを押し殺す。今動けば浮き足立ち、形勢は厳しくなる。キメイラが仕掛けるのと同時に避けなければ攻撃の機会は来ない。

 ……左!

 キメイラが右前足を振り下ろす。俺は右に回避するため、地面を蹴り出す左足に一気に力を込めた。

 えっ──。

 ぬかるんだ地面に足を取られ、その場で中腰になってしまう。

 襲いかかるキメイラの爪に、咄嗟とっさに盾を出して防御した。きん! と鋭い音を立てて、俺は五ノートムほど右に弾き飛ばされた。

 幸先、最悪。

 キメイラは口に付いた泥を拭う時間さえ与えてくれなかった。横たわっている俺を真上から猛々たけだけしく見下ろす。

 今度は牙が来る。

 目だ、噛み付いてきたところに片手剣で目を突くのだ。俺は弓を引き絞るように片手剣を引いた。

 心臓が跳ねているような鼓動音が耳にうるさい。それを遮断しゃだんするかのように、頭上で、ばあん、と音が弾けた。

 魔弾がキメイラの尾に当たった。エイミングに不安のあるリズミーが俺を巻き込まないように意識しながら撃ったところ、一番遠いところに当たった、といったところだろう。

「上出来」

 キメイラが気をそらした隙に、転がりながら距離を取り、その勢いのまま立ち上がる。次いで、口に付いた泥を拭い、片手剣と盾を構えた。

「さあ、来い」

 しかし、キメイラは俺の挑発を無視した。リズミーから視線を外そうとしない。

 ちょ──。

 俺が一歩踏み出すより早く、キメイラがリズミーめがけて突進した。

 その巨体に似合わず、飛ぶように駆けるキメイラのたてがみを、青い光がかすめた。かすめただけだった。魔銃は連射することができないため、リズミーに次の一手はない。

 そしてそれは俺も同じだった。人の走力ではキメイラには追いつけない。為す術がない。

「リズミー!」

 飛び道具を持たない剣術士の俺は声を飛ばすことしかできなかった。


「おりゃあああああ!」


 突如、野太い声がして、視界の端から岩のような影が飛び込んできた。

 キメイラはリズミーに辿り着く寸前のところで止まった。その横腹には斧が突き刺さっている。

「ホルムベルト……?」

「ずるいぞ、パトルシアン。そりゃあ、葬儀よりこっちのほうが楽しいだろうよ」

 キメイラが今度はホルムベルトのほうを向く。俺はキメイラの傷付いた横腹の手前まで行く。

「ああ、死ぬほど楽しいよ」

「死なせねえよ、ばーか」

 ホルムベルトの背後の木の上から俺に向かってディディが憎まれ口と回復魔法『レキュア』を投げ落とす。

 光に包まれると、体はふっと軽くなった。それを確かめるように軽く跳ねてみる。

 その所作しょさを見届け、ディディは「おい、リズミー」と続けた。

「腕の見せ所だ。キメイラを四人で倒したって話は聞いたことがねえ。伝説になるぞ」

 キメイラの正面にホルムベルトとディディ、両サイドに俺とリズミー。図らずも、いい陣形になった。

 やり合えるかもしれない、とキメイラを見た。キメイラは大きく息を吸い込み、腹を膨らませていた。

 しまった。

 氷の息吹がホルムベルトとディディを襲った。嵐にも似た轟音ごうおんの中、ホルムベルトは後方へずるずると押し込まれ、ディディは木の上から落とされた。

 俺はキメイラの横腹に斬りかかる。同時に反対側で発砲音がした。両サイドから攻撃を受けたキメイラは氷の息吹を止めた。だが、次の瞬間、爪で俺に反撃してきた。斬り下ろしの体勢にあった俺は盾で防御する以外に取れる行動はなかった。

 またしても、きん! と鋭い音を立てて、俺は五ノートムほど後方に弾き飛ばされた。雨はやんでいたが、しっかりぬかるんだ地面に、べちゃ、と尻餅をつく。

「いてえ……」

「ふざけんなよ、犬ころがよ!」

 ディディが杖を地面に突き刺して痛々しく立ち上がる。立ち上がるや否や『レキュア』の詠唱を開始したが、それでも遅かった。片膝をついたホルムベルトをキメイラが突進で吹っ飛ばす。やはり岩のようにごろごろと転がった。キメイラは何事もなかったかのようにそのまま直進し、ディディをも吹っ飛ばした。

 ぐるりと反転して後ろ足で地面をひっかくキメイラ。

 またか……。

 キメイラがリズミーに向かって突進する。一歩遅れて俺も走り出す。結局、やっていることは先ほどまでとなにも変わらなかった。

 だが、今回は間一髪のところで間に合った。キメイラはホルムベルトとディディと同様に頭突きで吹っ飛ばすのではなく、リズミーの手前で勢いを弱め、爪での攻撃を選択した。俺はキメイラとリズミーの間に文字通り飛び込み、背中でその爪を受けた。ざくっ、と嫌な音がした。

「パトルシアン!」

 尻餅をついたリズミーの両太ももの上に倒れ込む格好となり、振り返った先に震える銃口があった。それでもリズミーはキメイラに対して撃ち放った。

 グワアアアアア!

 キメイラがのけぞる。魔弾がキメイラの口を直撃したのだ。

 リズミーが倒れている俺を抱き起こす。「見事だった」と俺は声をかけた。

「そんなことより、歩ける?」

「善処する」

「ごめん、ちょっとこれ、破るね」

 リズミーはびりびりになった俺のマントを引き千切ると、俺の腕を自分の肩に回した。

 リズミーの肩を借りてその場を脱する。キメイラのかたわらを通り過ぎ、酷いリズムの小走りでホルムベルトたちのもとへ向かう。

 雨に濡れた体は冷たいが、背中だけが燃えるように熱い。傷は結構深いかもしれない。

 振り返ると、落ち着きを取り戻したキメイラが大きく息を吸い込んでいた。

 最悪の状況だった。

 全員が氷の息吹の射程圏内に入っている。このままでは……。

 視線をホルムベルトたちのほうへ戻すと、巨大な火柱が横になってこちらに飛んできていた。

 デクタ──。

『デクタファイア』がキメイラの頭部をかすめた。こちらはかすめただけにも関わらず、その威力から今度こそキメイラは完全にひるんだ。俺はリズミーに肩を借りながらも全身に力を込め、ホルムベルト、ディディ、そして戻ってきた片眼鏡の男の元へ走る。

 ホルムベルトたちに合流した頃、キメイラは再び突進の前触れを見せた。

重斧士じゅうふしの君。この大木をることはできるだろうか?」

 片眼鏡の男が俺たちの右斜め前方にあるまるまる太った大木を指差す。

「お安い御用だが、それは急ぎか……?」

 ホルムベルトが困惑した表情で答える。

「大至急お願いする。こちら側に倒してほしい」

 片眼鏡の男が左腕をまっすぐ伸ばして左を指示する。

「そいつはやってみないとわからねえなあ」

 ディディの『レキュア』を受けていたらしいホルムベルトは斧を大きく振りかぶって大木をり始めた。

 バリケードでも作るつもりだろうか?

 大木を倒しただけのものなど気休めにしかならないと思うが……と片眼鏡の男を見上げた。片眼鏡の男は俺たちから少し離れた場所でなにやら詠唱している。よく意図いとは読み取れないが、これに賭けるしかない。

 キメイラが向かってくる。

 ホルムベルトの斧が大木を二つに分とうとしていた。ディディが右手に大きく旋回しながら回り込み、そのままの流れで大木に飛び蹴りした。

「おっさんよ! 俺に武闘士の真似事まねごとなんぞさせて、失敗しました、じゃ済まさねえからな!」

 スローモーションのような挙動で、大木は片眼鏡の男の指示通り、左に倒れた。間髪入れず、そこに片眼鏡の男が『デクタファイア』を浴びせる。

 瞬く間に炎のバリケードができあがった。

 湿気をものともせず、一瞬で大木を燃やす熱量。紛うことなきレベル3。

 キメイラは炎のバリケードに戸惑っている。

「彼は私が預かろう。君はしんがりを頼む」

 片眼鏡の男が俺の腕を自分の肩に回しながらリズミーに言う。「はい」とリズミーは答えた。

「パトルシアンのことをよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた。



 時々リズミーの発砲音を聞きながら、俺たちは北東を向いて遮二無二しゃにむに駆けた。北に直進しなかったのは、『レオポルド・フォルド』を避けるためと、入り組んだ道に隠れ場所を探すためだった。

 強大な熱量を浴びた大木一本が燃え尽きるまでそう時間はかからなかったと思われるが、キメイラは後を追ってこなかった。俺たちはマハチェット森林東部──おそらくは『レオポルド・フォルド』の東の辺りで死屍累々ししるいるいの如く各々倒れ込んだ。

「パト、ルシアン、大丈夫?」

 赤子のような心もとないつんいで、リズミーがうつ伏せの俺に近付いてきた。見れば、キメイラの返り血と俺の血で全身血塗れだ。その体勢も相まってリズミーのほうがよほど重傷に見える。「ああ」と俺は笑った。

「おかげさまで」

「ごめんね。私の、力不足で」

「違うよ。誰かさんが、勝てるって、言うから」

 息切れに途切れ途切れになる会話の後、俺はディディをちらと見た。

「俺はそんなこと一言も言ってねえぞ!」

 濡れた地面もおかまいなしに大の字になっているディディが声だけを張り上げる。

「元はと言えば私の不注意だった。みなさんを巻き込んでしまい、面目めんぼくない」

 片眼鏡の男が再び俺の腕を自分の肩に回す。

「よく戻ってきてくれました」

 そう声をかけると、片眼鏡の男は左右に首を振りながら立ち上がった。

「あんたは? あんな所でいったいなにを?」

 ホルムベルトもまた頼りなく立ち上がりながら尋ねた。

「私は赤兜団せきとだんのホーネルスタイン。お話はベッテンカーナに戻った後に。今は彼の手当てが最優先だ」

 片眼鏡の男の言葉に、リズミーとディディも次々と立ち上がる。

「パトルシアン、さすがの俺もジリ貧だ。本日最後の『レキュア』をお前にくれてやるよ。ありがたく思え」

 ディディが『レキュア』の詠唱を始める。憎まれ口を添えるのも忘れずに。

 神聖魔法は通常、精霊魔法のように遠くに飛ばすものではない。『レキュア』を木の上からホルムベルトの更に向こうにいる俺に届かせるのだから、神聖魔法にもレベルの概念があれば、ディディの『レキュア』もレベル2とか3に該当するだろう。確かに、さすがだよ。

 体が光に包まれる。

 背中の傷を癒す力こそないが、疲労感が軽減され、幾分か体力が持ち直した。

「こりゃあ、伝説どころか、内緒にしないとな」

 がっはっは、とホルムベルトは笑った。

 しかし、収穫はあった。

 俺とリズミーはホルムベルトとディディの尾行に全く気付かなかった。

 六番隊は隠密行動が得意だ。いつかエデンツァへの土産話みやげばなしにしようと思った。

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