3 電光一閃を仕舞うにて

 とんとん、という優しいノックで目が覚めた。

 エポトの果実のように赤い光が窓からしている。どうやら夕方まで眠ってしまったようだ。

「はあい……」

 ベッドの中から気だるげに返事をする。五番隊のアンジェは私の寝起きの悪さを熟知しているので取り繕う必要がないのだ。

「リズミー?」

 えっ。

 男の人の声。

 ばさっ、と毛布をはねのけて身を起こす。高速で瞬きして、ようやく気付いた。

 ──五番隊の女子部屋じゃない。

 当たり前じゃないか……。

 輝石隊きせきたいのギルドハウスはもうない。なくなるその瞬間をこの目ではっきりと見た。

 その後、宿で床にいたのだ。

 私は、なにもしていない。なにもできなかった。

 まだうまく力が入らない手を、それでもぎゅっと握ろうとした、その時。

「リズミー?」

 もう一度、扉の向こうから男の人の声が聞こえた。──いや、今ならもうわかる。パトルシアンの声が聞こえた。

 まずい。

 両手でわしゃわしゃと忙しなく髪を整えながらテーブルに駆け寄る。右手で椅子の上から服を取り、左手でテーブルの上から水筒を取った。水筒のふたを開けようとして、ようやく気付いた。

 ──服を着ながら水を飲むことはできない。

 無意味に服と水筒を振り回した後、今優先すべきは水である、という結論に至った。持っていた服を無作法にその場に落とし、水筒のふたを開けて水をあおる。「ちょっと待って!」と扉に声を投げつけた。

 ……嫌な感じがした。パトルシアンに鼻で笑われたような気がした。

 もう、と苛立いらだちながら服を拾い上げる。

「泊まってる宿を訪ねてくるなんて前代未聞だ。そんなんだからいつまで経ってもリンクストーンの扱いが下手なんだよ」

 パトルシアンに聞こえないようにぶつぶつと恨み言を吐き出しつつ、服のボタンを締めていく。一段ずれていることに気付いたのは行き場のない最後のボタンを掴んだ後のことだった。

 謎の言語が口から出た。

 扉の前に辿り着く頃にはへとへとだった。鉄の鍵を両手でスライドさせて外す。

 はっとして振り向いた。

 毛布ぐっちゃぐちゃ。

 私は観念した。煉瓦色れんがいろの髪を掻き乱し、やけくそで扉を開けた。

「なに!」

「よかった。元気そうだね」

 パトルシアンが憎々にくにくしい笑顔で待っていた。

「元気なわけないでしょ! 六番隊は活動停止になるし、ギルドハウスはなくなるし、ギルドメンバーが五人も死んで、しかも攻撃したのが赤兜せきと──」

 目にもとまらぬ速さでパトルシアンの両手が飛んできた。回り込んだ左手が私の背中を、逆手になった右手が私の口を、それぞれ押さえている。

 それは呼吸さえも止めた。

「旧市街の『電光一閃を仕舞う』を訪ねようと思うんだけど、リズミーも来る?」

 呆気あっけにとられた私は、『電光一閃を仕舞う』がなんのことだかわからないまま、こくりとただうなずいた。



 思った通り、噂好きのベッテンカーナの街はざわついていた。

 例によって要領を得ない憶測が飛び交う中、〝赤兜団せきとだん〟という単語が耳に飛び込んできてどきっとする。

 ──六番隊を恨んで輝石隊きせきたいのギルドハウスを攻撃した。

 そう考えると、得体の知れない恐怖感が氷水のような汗となって背筋を伝った。

 パトルシアンが隣を歩いている。気分を変えなければ、と思った。

 旧市街に向かう道すがら、宿を出る前にパトルシアンにもらった板状のチョコレートをかじる。ぱりっ、と小気味よい音を立てて割れた。

 甘い。

 チョコレートはコクの実をすり潰したものに砂糖と山羊乳を混ぜて練り固めたもので、食べると気分が明るくなる魔法菓子、といわれている。見た目は黒いのに、そのちぐはぐがおもしろい。

「うまい?」

 パトルシアンが顔を覗き込んできた。私は前を向いたまま大袈裟おおげさに次の一口をかじる。

 鼻から息が抜ける音を右耳で聞いた。

 十ノートムくらいの長さがある新市街と旧市街を繋ぐトンネルに入っていく。随分久しぶりだなあ、と口を間抜けに開けて天井を見やる。

 旧市街には鍛冶ギルドや甲冑ギルド、なにやら物騒な酒場など、男臭い施設が多く、私はあまり用事がない。

 魔銃は魔力を伝達して魔弾を放つ武器で、物理的なメンテナンスを必要としない。壊れたとしても、魔銃を修理する技術はこのベッテンカーナにはない。魔銃は大陸の南、テテ島の亜人から仕入れているのだ。

 劣化によって魔力の伝達能力が衰えることがあるらしいのだけれど、今のところ問題ない。……たぶん。

「ところで、『電光一閃を仕舞う』って?」

「鍛冶ギルドだよ」

 へえ、と言ってみたものの、どうして旧市街の鍛冶ギルドに行くのかはに落ちない。パトルシアンはいつも新市街のディックのところに剣を持っていく。

「べつにディックが嫌いになったわけじゃないよ」

 私の疑問に先回りしてパトルシアンが答える。

 なるほど、と思い当たる。

「あまり考えたくないことだけど、戦闘になれば難しい戦いになるだろうし、普段よりも徹底的に準備しておかないとね。──それで、六番隊はどうするの?」

輝石隊きせきたい赤兜団せきとだんと協力して敵を追うことになった」

 は?

 驚いて、発音できたかどうか定かではなかった。

 敵は赤兜団せきとだんなのに、その赤兜団せきとだんと協力するってどういうこと?

 またしてもパトルシアンが先回りして答える。

「エデンツァに報告しなかった。敵の情報は不明ってことになってる。もっとも、彼女は当たりをつけているようだったけどね」

「じゃ、じゃあ……」

、捕らえる」

 私は少し長めのトンネルを抜けた。



 マハチェット森林に隣接するベッテンカーナの街は至る所に草木が生い茂っていて、そういった観点でいくと、旧市街の景観は別段新市街と変わらない。けれど、ひとたび建造物に目を向けると、旧時代の雰囲気を色濃く残している。

 鍛冶ギルド『電光一閃を仕舞う』も例に漏れず、そうだといわれなければ素通りしてしまうくらいくたびれた建物だった。元は家畜小屋かなにかだろうか? 男臭いにもほどがある。

 パトルシアンは扉の前で立ち止まった。なにかを誇るような笑顔で振り返った。

「ギルド長のトマシュは元赤兜団せきとだんなんだ。昨年、赤兜団せきとだんを脱退して鍛冶ギルドを立ち上げた」

「調査ってわけね」

「ご名答」

 半開きだった扉を開けて建物内に足を踏み入れると、立派な顎髭を蓄えた大男が真っ昼間から椅子に座ってエールを飲んでいた。両足をテーブルの上で交差していて非常に行儀が悪い。

 予想を裏切らない展開だった。

 そして男はこちらをにらみ付け、ぶっきらぼうにこう言うのだ。

「なんのようだ」

 私は口をへの字に曲げた。

「こんにちは、トマシュさん。回転砥石といしをお借りしたいのですが」

 パトルシアンが丁寧な口調で言う。

「勝手に使え」

 トマシュの態度は変わらない。

 パトルシアンは私を一瞥いちべつしてから回転砥石といしが置かれている部屋の奥へと歩を進めた。私も目でうなずいてはみたものの、なんのメッセージだったのかはよくわかっていない。

 私はそのまま扉の前で待機する。

 他に客はいない。

 それもそのはず、ギルドはその手の専門家が共同の利益を得るために組織する団体。排他的な仕組みで同じギルドが乱立することはない。後追いの格好となる『電光一閃を仕舞う』が閑散かんさんとしているのは当然といえた。

 こちらとしては都合がよかった。都合だけはよかった。

 部屋は様々な鍛冶の道具が置かれていることもあり、狭いといったらない。空中に漂う細かい埃が窓からし込む陽光にきらきらと反射している。まるで倉庫だ、と私は思う。

 いろんな意味で窮屈だった。

「おい、なにやってんだ!」

 トマシュがエールをテーブルに置き、椅子から立ち上がった。

 なにしたの、パトルシアン……とひやひやして見ていると、トマシュはパトルシアンの隣まで行き、手を差し出した。

「貸せ、素人しろうとが」

「ですが、トマシュさん、酒を……」

「……ああ、そうか」

 トマシュは頭をぼりぼりかきながらテーブルに戻っていった。

「突然来るんじゃねえよ、無作法者が」

 そう言って、再び酷い姿勢でエールを飲み始めた。

 どの口が言うのか……。

 パトルシアンが剣をさやに収め、トマシュに向き直る。

「すみません。まだまだ修行中の身、若輩者ゆえご容赦を」

「ああ? なんの修行だ、小僧」

赤兜団せきとだんに入りたくて」

 ほお。

「変わり者め。輝石隊きせきたいに入ったほうが名を上げられるぞ。最近は議会も輝石隊きせきたいを頼ることが多い」

 ベッテンカーナは議会主義的君主制国家で、国家元首に政治的な実権はない。〝国からの依頼〟とはいうけれど、そうか、〝議会からの依頼〟だ。

輝石隊きせきたいはがらが悪いので肌に合いそうにありません」

 うわあ……。なんてこと言うんだ。

 ちげえねえ、とトマシュは笑った。

赤兜団せきとだんの中には輝石隊きせきたいアレルギーの奴がかなり多い。仕事を取られた妬みもあるだろうが、生真面目きまじめな連中だ、一番はそこだろうなあ」

 ……いや、とトマシュは両足をテーブルから下ろし、顎髭に手をやってから言葉を継いだ。

「ドラゴンの一件か。ベッテンカーナの民が輝石隊きせきたいを戦争抑止力と讃え、赤兜団せきとだん面子めんつを潰された。あれからだな、赤兜団せきとだん輝石隊きせきたい嫌いは」

 初耳だった。

輝石隊きせきたい赤兜団せきとだんは、そんなに仲が悪いんですね」

 パトルシアンとトマシュの会話に思わず口を挟んでしまう。

 輝石隊きせきたい赤兜団せきとだんの間にぴりっとした空気が流れていることは薄々感じていたけれど、なるほど、合点がてんがいった。

「なあに、これからが本番さ。──なんだ、小娘。お前も戦うのか?」

 素人しろうと、無作法者、小僧、変わり者、小娘──。

 トマシュは口をメンテナンスしたほうがいい。

「彼女は魔術士なんです」

 隣にやってきたパトルシアンが私の肩に手を乗せる。

「ローブを着ない魔術士ってのも変わってるな。お似合いのカップルってわけだ」

「彼女もまた見習いなんですよ」

 ──という設定らしい。

 パトルシアンに言われるまま、宿を出る前に宿の主、シェールに魔銃を預けてきた。ついでに「なんで男を通すの」と文句を付け加えると、「他の男ならば通しません」と返され、煮え切らない気持ちもまた掛け違えたボタン同様、行き場を失ったのだった。

 くして私は今、ローブも杖も装備していない魔術士なのだ。これではトマシュでなくても変わり者と言うだろう。

赤兜団せきとだんには凄腕の魔術士がいると聞きました」

 先ほどまでと変わらない穏やかな語調でパトルシアンが言った。

 しかし、さすがの私も今回ばかりは確信を得た。

 これが本題だ。

「ああ? 誰だ? ホーネルスタイン卿のことか?」

「ホーネルスタイン卿」

 パトルシアンと二人、声を揃える。

「火、水、風、土、全属性の精霊魔法がレベル3だったはずだ」

「レベル3?」

 パトルシアンがそれまでののほほんとした態度から一変、神妙な声でくので、私は少し驚いた。

「そんなことも知らないのか。お前のやってる修行ってのもだいぶ怪しいな。レベルは精霊魔法の強さを四段階に区分したものだ。『デクタファイア・レベル3』って具合にな」

「そうなんですね。ご教授、ありがとうございます」

 ん? と思う。

 パトルシアンが知らないはずがない。

 ──ああ、演技。

 それにしても、全属性レベル3というのは確かにすごい。一口に精霊魔法といっても、みんな得手不得手があるものなのに。

「ああ、そうだ、お前ら。ホーネルスタイン卿ってのは敬称じゃなく蔑称だから、俺が言ってたって言うんじゃねえぞ」

「蔑称はやめてください!」

 気付いたら声が出ていた。それもかなり大きな声が。

 トマシュは一瞬目を丸くしたが、すぐに「お前、強くなるかもな」と笑った。それから持っていたグラスで私の顔を差した。

「ホーネルスタインまで行けよ」

 言い終えると、トマシュはエールを飲み干した。

 ありがとうございます、とパトルシアンが頭を下げた。

「トマシュさん、また後日、今度は事前にご連絡差し上げます。──さあ、リズミー、行こう」

「えっ、あっ、うん」

 不意に大声を出してしまった動揺もさることながら、カップルとしての立ち回り方がわからず、しどろもどろになる。べつに肯定したわけではなかったけれど、そのことも含めて、頭のどこかに引っ掛かっていた。

 建物を出て振り返る。パトルシアンが閉めている扉の隙間に、空になったグラスを見た。

 おいしそうだったな、エール。

 そう思った。そう思えた。



「どう思う?」

「いい人だと思うよ。つっけんどんだけど、喋るの楽しそうだった」

「そうじゃなくて」

 敵はホーネルスタインだと思う? という意味でいたのだけれど、見当違いの返答に会話を継続することよりもため息をくほうを選んでしまう。

 相変わらずだなあ、この人は。

 なにはなくとも魔銃を回収すべく、宿への帰路についていた。

 再びトンネルの中に足を踏み入れた頃、パトルシアンのほうから口を開いた。

「明朝、葬儀が執り行われる。ハーディン墓所で死んだ者、輝石隊きせきたいのギルドハウスで死んだ者、計七名の。つまり、輝石隊きせきたい赤兜団せきとだん、合同のものだ。そこでホーネルスタインを見つけ出し、マークする」

「わかるかな?」

 いずれにしても、やれることはひとつしかない。けれど、私たちはホーネルスタインが魔術士であるということくらいしか知らない。ほとんど正体不明だ。

手練てだれなら、わかるさ」

 パトルシアンはあっけらかんと答えた。

 楽観視していないだろうか。

 噴水装置に飛び込んだ時もそうだった、と私は回想する。

 私のことを伏せさせるなら、もっとこう、強引に頭を押し込めばいいのに。

 動じないのもすごいと思うけれど、熱意を欠くのは時に命取りでは? とパトルシアンを横目で見ながら歩く。

 パトルシアンは「いささか不謹慎な話をするよ」と前置きしてから話した。

「キメイラに八つ裂きにされた人の身元確認が遅れて、明日の葬儀に繋がった。この機会を逃すつもりはないよ」

 ああ、そうか、と私は思い直す。この人は心の奥底に熱いものを持っているのだ。同じ六番隊のメンバーである私がわかってあげられなくてどうする。

「ねえ、パトルシアン」

 歩を止め、パトルシアンの背中におもいきり声を投げる。

「絶対成し遂げよう!」

「もちろんだよ」

 パトルシアンはトンネルの出口に向かって歩いたまま、横顔だけをこちらに向けてさらりと答えた。

 いいコンビだ……と私は天井を仰ぎ見る。

 天井にはトンネル内を照らす街灯が並んでいる。これらもまたテテ島の亜人から仕入れている物。石に魔法の光を宿した物。

 魔法輝石。

 そのうちのひとつが切れかかっているのを見つけた。ひとつだけが弱々しく光っていた。

 むず痒いなあ、と私は思う。

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