第32話 『マクベス序曲 作品2』 ミエルク
ペルゴレージさまより、さらに短く、わずか21年と、あと22歳まで、ふつかという命しか与えられなかった、フィンランドの超天才、エルンスト・ミエルクさま(1877~1899)が、1896年に書いた作品。
ペルゴレージ先生の時代より、おそらく学ぶべきことが圧倒的に増えていた、もう現代の入口の時代の事です。
1895年から96年、また1897年から98年に掛けて、ミエルクさまはベルリンで、あの、マックス・ブルッフ大先生(1838~1920)の教えを受けています。(山田耕筰(1886~1965)さまがベルリンに留学したのは1910年。そこでブルッフ先生に学んでいます。)
なので、この曲は、その途中で書いた作品。
最初から、ぬあんという! おどろおどろしい響き!
このまだ20歳にも行かない青年さんが、いったいどんな恐るべき音を頭の中に描いていたのか、考えただけでも末恐ろしい。
これは、そんな前途有望な若者が思い浮かべる響きじゃないと、あほのやましんは思います。
結果論かもしれないが(そうなんですが・・・)、あたかも地獄の釜が開いたような音です。
その後の、この音楽の展開を聞いた専門家や評論家の先生方は、『たくさんのヨーロッパの先達たちの音楽をつなぎ合わせたようだ。』と、たぶんおっしゃるであろう、と思うのですが、しかししかし、クラシック音楽の伝統がほとんどなかったフィンランドでは(そりゃまあ日本とは文化圏が違うから、西洋音楽そのものをあまり聞いたことがないような御武家様が、ほとんどそのままベルリンに行ったような、山田先生とは、いささか境遇が違うのかもしれませんが・・・)ようやく、カヤヌス先生(1856~1933)や、ヴェゲリウス先生(1846~1906; 大シベリウス先生の先生)が、本格的な音楽教育を進めていた時代です。
そこに、あかたも、この宇宙開闢のように、何もない無から(ちょっと言い過ぎ)、ぽっと現れたのが、シベリウス先生(1865~1957)と、このミエルク先生だったわけです。
そのくらい、このお二人にフィンランドがかけた期待は非常に大きかった(瀧廉太郎先生(1879~1903)も山田先生も同じだったことでしょう。短い命しかなかった、ミエルクさまと瀧さまと、一方で大変、長生きしたシベ先生と山田先生の偶然の相似が思われるのですが。)はずです。
そこで、この冒頭です。
やましんは、とてつもないことだと、勝手に思うのです。
実際どうなのか?
それは、もし気になる方は、是非聞いてお確かめくださいませ。(ま、それが狙いだから・・・)
CDは、『TOCCATA CLSSICS TOCC 0174』で、出ておりました。
あまりに、はかない人生だったミエルクさまのために、『うるうる』にいたしました。
でも、もしかしたら、どこかの平行宇宙では、長生きし、大成したミエルク先生がいらっしゃるかもしれない。
そうした世界に行ける日が、やってくるとしたら!
そうして、シベ先生の作品と並び立つような驚愕の傑作が、本当に聴けるとしたら!
あ、これは、やましんの妄想です。
********うる 😢😢😢 うる ********
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