第6話 『スターバト・マーテル』 ロッシーニ
これは「うるうる」なのでしょうか?
そうした疑問は、作曲家自身が持っていたようですし、宗教音楽らしくないという批判も、きっと当初からあったことでしょう。
イタリアオペラのようだ! と。
『悲しみの聖母』
それでも、この作品は傑作です。
音楽は、演奏の在り方によっても大きく変わるのです。
カルロ・マリア・ジュリーニさま指揮による録音が出た時、それまでの演奏様式が一変する事態になったようです。
オペラ的と言われて、やや軽いイメージもあったこの作品が、交響曲的な重厚さと、どっしりとした風格を持ち、本来の恐るべき姿が現れたのです。
導入部の「悲しみの聖母はたたずみ」からしてそうです。
暗く深い淵から這い上がって来る合唱。
それを受けて、確かにイタリアオペラ的ではあるものの、深刻な表情のソロ。
『悲しみに沈める聖母は 涙にむせび・・・』
という冒頭が、真実味を持って迫ってきます。
子供を失った母であれば、別に聖母ではなくても、悲しみは同じでしょう。
交通事故でも、無差別殺人でも、内戦でも。過労死でも。
この演奏では、古典的で、しかもやや独特な宗教音楽、という枠組みを超えて、もっと広範な世界に目が向いているのです。
第2曲のテナーのアリアは、クラシック音楽ファンにとっては、常識の範囲の有名曲です。
しかし、この録音以前にあった、例えば、フリッチャイ様の名録音の場合とも、音楽の在り方が大幅に変わっています。
テンポがぐっと落ちて、より深く内容が描かれています。
それは、歌手の上手さがどうこうというのではありません。
いやあ、でも、これが、いいのです!
で、そのあとちょっと飛ばしてまして、『終曲』。
かっこいいです。
最後はもう、「うるうる」というよりは、「うきうき」と言ったほうが良いくらいに、胸が高鳴る気がいたします。
実のところ、なにか、肩に背負った重荷を、一気にぶっ飛ばしてくれて、スカッ!とした気分にもなります。
でも、テキストの内容はあくまで、「うるうる」です。
キリストさまの磔が描かれるなど、悲惨な内容を持っています。
こうした、おそらく『事実』に対する、信者の方と、そうではない、ぼくのような人間の、受け取り方には違いがあるのでしょうか?
そこは、確かに個人の心の問題ではあります。
しかしながら、例えば、働き過ぎや、何かの問題で自殺に至るのも、また自殺までは行かなくても、社会から抹殺されてしまうのも、多くの場合、結局のところは、磔に等しいものではないでしょうか?
まあ、そこまで考えたら、この音楽は、もう少し、楽観的なような気もいたします。
でも、なにかを考えさせてしまう、不思議な傑作です。
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