第4話 『クラリネット五重奏曲ロ短調』 ブラームス

 これこそ、涙なしに聞ける音楽でございましょうか?


 しかしながら、この曲に関しては、嫌いな方は、もう絶対に嫌いかもしれません。

 うだうだと、世の中を嘆いているばかりではないか、と。

 進歩がない。

 後ろ向きになってしまっていて、まったく積極性が見られない。

 これでは仕事にならない、と。


 いやいや、ものごと、どのような方向であれ、(いわゆる悪事はダメですからね!)なかなか、並の人には行けないところまで行って(言って)しまったものは、やはり大変なものなのです。


 このような恐るべき哀しさと、やりどころの全くない苦痛に満ち溢れた、しかも限りなく美しい音楽は、ちょっと簡単には類例を思いつきません。

 確かにショスタコーヴィチさまの弦楽四重奏曲などには、さらに苦痛に満ち溢れた音楽が存在するのかもしれませんが、(全部は聞いてないけど・・)このブラームスさんのような甘美な苦痛ではないように思います。


 はまり込んだらもう、決して抜け出せない、いや、抜け出したくもない、助けて欲しくもない、このままどこまでも沈んでしまいたい。

 そんな、危ない気分にさせられてしまうのです。


 じゃあ、『うつうつ』に入れたほうが良いんじゃやないの?


 いやあ、それはいくらなんでも、まずいのではないでしょうか?

 ここには、どうも救いがないのです。

 つまり、聞き手を助けてくれようとは、しないのです。

 こちらが同情するしか、ありません。


 例の、シューベ先生の『死と乙女』を、うつうつ音楽の『帝王』と書きましたが、そうなるとこの作品は、うつうつの『皇帝』かもしれません。(帝王と皇帝なら、なんだかしっかり張り合いそうですけどね。『帝王』は今も、一般的には各界の支配者であり、ちょっとは慰めてくれそうな・・・勝手な解釈です!そう書いてしまったので、手がなかったのです。)


 まあ、聞いて見てください。よくご存じの方は、思い浮かべてみてください。

 最初から、もう泣いています。

 舞台が開いてみたら、そこには、ただ泣いている老人がいるのです。

 そこにゆくと、シューベルトさんは、あくまで、まだ若者なのです。


 ぐちゃぐちゃになったハンケチが、周囲に、でも、わりと奇麗に整然と並べられています。

 全体の秩序はきっちりと保たれていて、けっして混乱はしていません。

 清潔さと潔癖さは、今も崩れることなく、その老人を中心に存在しているのです。

 ハンケチは、その周囲を、きちんと公式通り公転する惑星のようです。


 まあ、そこはブラームスさんなのです。

 計画的に、冷静に、理論的に、泣いているのです。


 同じブラームスさんでも『ドイツ・レクイエム』(1868)とは、ずいぶん違うようです。

 かの曲も、最後の部分では、ふと長調に転じることもあって、もういっぺんに、じゅわっと涙がきてしまいすが、どうやらこれは恩人シューマン先生と亡きお母様に捧げられた曲です。


 一方こちらは、おそらくブラームスさん、ご本人に捧げられているのです。(1891年作曲 : 生没年 1833年~1897年)


 おそらくは、迫りくる『死』というものに向かい合っているんだろう、と言ってしまうと、その先に言う言葉が、もう無くなりますけれど、現在だったら、『まだお若いのに!』と大先輩から言われてしまう年頃なのですが、19世紀の末頃では、そろそろ『もう、その時期』だったのでしょう。


 2015年時点の日本人の平均寿命は、WHOの統計では、83.7歳です。しかし、アンガス・マディソンさんという方の資料というものをネットで見ると、1900年における英国の平均寿命は50歳となっております(日本は44歳、米国47歳)ことからして、もう、そういう時期になっていたのです。


 しかし、この作品に関しては、ネット上で『暖かい作品』という表現も見られましたので、そういう受け取り方もあるようです。

 そこらあたりは、やはり、音楽についての個人の受け取り方は、人によってかなり異なるものなんだろうなあ、とも思うのであります。


 ただ、このロ短調という調性は、(ロ音を主音とする短音階によって構成される調性、でありますが、)古くは「メランコリック」で「奇異な調性」という受け取り方が強かったといいますが、まずは、なあんといっても、あの大バッハ先生の『ロ短調ミサ』があり、ロマン派以降になると、シューベルトさんの『未完成交響曲』、リストさんの『ピアノソナタ』、ショパンさんの『ピアノソナタ第3番』や『スケルツォ第1番』、サン=サーンスさんの『ヴァイオリン協奏曲第3番』、ドヴォルザークさんの『チェロ協奏曲』、さらにチャイコフスキーさんの『悲愴交響曲』、ニルセンさんの『交響曲第2番』、ボロディンさんの『交響曲第2番』などなど、と名曲が並びます。


 大バッハ先生の場合は、人の世から隔絶したような、神秘性と壮大さが際立ちますが、近代・現代人は、メランコリックがむしろ大好きですから、『奇異』ではなくて、『暖かさ』と捉えても、おかしくはないでしょう。


 それでも、特にこの第2楽章は、『取り扱い要注意』の、ちょっと(かなり)危ない音楽であります。

 ロ短調のとても深刻な中間部分を、いささか不安定で、ぼんやりとした、でも「美しい」両端部分が挟んでおります。

 

 終楽章の終結部も、あまりに切なく、哀しいです。


 もう、泣けてしまいます。









 











 



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