第百六話 ルーテージ オブ 藩美菜瀬

 ミナセの魂に触れた瞬間、不思議な波動と衝撃に全身が包まれた。

 いつの間にか俺は赤い霧が充満する空間の中に立っていて、振り向くと食堂は遥か遠くにあり、そこに立ち尽くしている俺自身とピピンの姿も見えた。


「こ、これは――!?」


 思わず恐怖に駆られて自分の姿に向かって駆け出すと、耳元でピピンの声が聞こえてきた。


「タイガ落ち着いて、大丈夫だよ」


 知らない間にピピンは俺の肩の上に立っていて、落ち着かせようと優しく頬を撫でている。


「で、でも俺の体が……一体これはどういうことなんだ……!?」


「これが契約の儀式だよ。いまピピンたちの魂は肉体を飛び出して、魔法で疑似的な魂状態になっているの。それでミナセさんの界霊――魂の中へ入ったところだよ。ただ……」


 と、ピピンは困ったように口籠った。


「ただ、なんだよ?」


「うーんとね、実を言うと、普通の契約の儀式ではこちらの呼び掛けに応えてくれると、魂の中へ招き入れられるものなんだけど、ピピンとタイガの魔力が強すぎたせいで、加減がわからなくて滑り落ちちゃったみたいな――!?」


 ピピンはバツが悪そうに、俺の目の前を右に左にへとパタパタと飛び回った。

 どうやら実は俺よりもテンパっていたらしい。


「つまりこういうことか? ドアをノックしたつもりが、力が強すぎたせいでドアをぶち破った挙句に、勢い余って家の中に転がり込んでしまったみたいな……?」


「そう! つまりはそういうこと! だってタイガの魔力が強すぎるのがいけないんだよ……!」


 俺が差し出した人差し指に掴まると、ゼーゼーと肩で息をしながら悪態をつくピピン。

 すると、その顔が妖精族とは思えないほどあくどい笑みに染まった。


「しかし、こうなってしまった以上は、もうミナセさん本人を探し出して無理やりにでも会うしか……」


「そ、それで大丈夫なのかよ、本当に……」


 ピピンの予想斜め上の提案に、俺は途端に不安に駆られた。


「うーん。ここはあくまでミナセさんの領域テリトリー。本人にその気があれば、いつでも異物ピピンたちを排除できるはずなんだよね―。でもこうして存在していられると言うことは、本人に会う気があるか、もしくはこちらの方が魔力が強すぎて排除できないかのどちかなの」


「もしも後者だったら……?」


「圧倒的な魔力量の差で契約を無理強いするのは洗脳と同じだよ? そうやって幾つも精霊を従えたケースは過去にあったみたいだけど、タイガはそんなことは望んでいないよね?」


「も、勿論! あくまでミナセをもう一度蘇らせる手段として、精霊契約の方法しかないから……」


「じゃあ決まりだね。ちょっと無理やりだけど、とりあえずミナセさんに会って話だけ聞いてもらおうか。それで駄目だったら、素直に諦めて安らかに眠ってもらおう。何度も言うけど、本人の意思を尊重しないと悪霊化する危険があるんだからね。それでいい?」


「わかった。無理強いはしない……」


 俺は気を引き締めなおすと、そう自分自身に言い聞かせた。

 その後で、ピピンを肩に乗せて赤い霧の中を彷徨った。

 天井も床もない無重力空間に浮かんでいる筈なのに、常に足の裏には何かが触れているような感触があって、両足に力を込めれば行きたい方向へ難なく進めるという不思議な空間だった。

 そんな感じに赤い霧の中を進んでいると、ふと目の前に一つの影が――

 その影は小学校低学年くらいの少女で、地下遺跡で見たミナセの本当の姿に面影が似ていたので、すぐに彼女本人の過去の姿だとわかった。


「ミナセなのか……?」


 小学生のミナセは、唇を噛み締めて立ち尽くしていた。

 その視線の先を追いかけると、赤い霧の中から浮かび上がるように、男性と女性の姿が現れた。

 二人は何やら激しく言い争っていて、直感でその二人がミナセの両親だとすぐにわかった。

 するとテレビのボリュームを上げるみたいに、二人の声が大きくなって会話の内容が聞こえてくる。


『少しは娘のことも考えてお金を入れてちょうだいよ! 私のパートだけで生活なんかできるわけないでしょ!』

『うるさいよ! 俺はまだ子供なんか欲しくなかったのに、お前が避妊をしっかりしないから!』

『なんなのよ、それ……。あの子の前でそんな事言ったらただじゃおかないから!』

『そんな事よりもうお前らで勝手にやってくれないか! 俺には誰かの父親なんて最初から無理だったんだよ……!』

『なんて最低な男……! 何故あんたみたいな男のことを……!』


 旅行鞄を手にどこかへと去っていく父親と、小学生のミナセを抱きしめて泣きじゃくる母親。

 そしてその腕の中で放心した顔をして、いつまでも父親の背中を追い続けているミナセ。

 すると、その光景が赤い霧となって霧散したかと思えば、まるでスライドショーを見ているみたいに、過去のミナセの姿が目の前に次々と現れては消えていくではないか。


 それは小さなアパートで一人きりで母親の帰りを待っている姿だったり、

 給食費の滞納で学校に謝罪の電話を掛けている母親と、その姿を盗み見している姿だったり、

 教室やトイレでクラスの女子たちからイジメられて泣いている姿だったり、

 放課後一人でショッピングセンターをぶらぶらしていると、いじめっ子が母親と楽しそうに歩いている姿を見つけて、やるせない思いを噛み締めている姿だったり、

 一人で留守番している夜に、ベランダから覆面を被った男が侵入してきて、恐怖の余り声も出せず震えているところに、偶然母親が帰ってきて事なきを得た姿だったり、

 母子二人で小さなケーキを囲む、細やかだが幸せそうなクリスマスの夜の姿だった。


 そんなミナセの人生の走馬燈を見せつけられて、俺は言葉を失くしていた。

 すると、今度は赤い霧の中から突然爆音が聞こえてきた。

 何事かとかと思う間もなく、鼻先すれすれのところを物凄い勢いで駆け抜けていく一台の大型トラック。


「ふぁっ!?」


 俺とピピンは思わず後ずさった。

 そして次の瞬間にはトラックはどこかへと消え去っていて、代わりに目の前にはセーラー服を着たミナセが倒れていた。

 しかし思わずその姿から目を逸らしていた。

 何故ならスカートから伸びている筈の両足が、膝から先が無くなっていたからだ。

 俺が今見ている光景は実際の記憶ではなく、あくまで記憶を元に再現されたイメージ映像のようなものなのだろう。

 ミナセの両足からは出血している訳でもないので、傷口も決してグロテスクではない。

 しかし年頃の少女が両足を失った姿だけでも痛々しいのに、セーラー服姿のミナセは、そのまま床を這いずってどこかへと向かおうとしているので、俺はとてもじゃないが直視することができなかったのだ。


 だが、ミナセは一向に進むのを止めない。

 どこへ向かっているのか、その先に何が待っているのか、這いずるのを止めようとはしなかった。

 すると、そんな姿を赤い霧の中から現れたいろんな通行人が見ていた。

 それはサラリーマンや主婦や中学生や高校生だった。

 そして両足を失って地べたに這いつくばっているミナセを遠巻きに見ては、時には応援したり、嘲り笑ったり、無表情で見ていたり、無関心にただ通り過ぎていった。

 すると、いつの間にか傍らには母親が跪いていて、這いずるミナセに向かって号泣しながら声を掛けていた。


美菜瀬みなせ! ああ、可愛そうに! 何故、私の娘がこんな目に……! この子にはいつも寂しい思いをさせてきたのに、何故こんなにも酷い仕打ちを……! 神様、どうして私の娘なのですか!? これ以上私たちにどうしろと言うのですか!? ああ、美菜瀬……私の可愛い娘……。お母さんがずっとそばに居るから、どうか挫けないで。 美菜瀬、お母さんはここよ! どうか私を見て、美菜瀬……!』


 それまでどこかに向かって這いずっていたミナセは、突然体を丸めて耳を塞ぐと、奇声を発し始めた。

 まるで断末魔のような、命を削って全身全霊を振り絞って発する叫び。

 近付くもの全てを拒絶するような声だったが、何故だか俺には助けを求めるSOSに聞こえて思わず駆け出していた。


「ミナセどうしたんだ!? どこか苦しいのか……!? 俺に何か出来ることがあれば――」


 しかし俺の体は見えない壁に阻まれて、ずっと叫び続けているミナセに近付けないでいた。


「なんで……? どうして……!?」


「タイガ落ち着いて。これは現実じゃなくて、ミナセさんの記憶が作り出した心象風景だから」


「それくらいわかってるよ。わかってるけど、こんなの――!」


 俺はどうすることも出来ず、やり場のない怒りや虚しさに唇を噛み締めることしか出来ない。

 すると、いつの間にか俺の傍らには、四人の少女たちが立っていた。

 皆中学生になったばかりの初々しさに溢れた少女たちで、どうやら中学校に上がってから出来たミナセの新しい友達らしい。


『美菜瀬、元気にしてる……?』

『うちら知り合ったばかりだけど、みんな美菜瀬のこと大好きだから』

『今は会いたくないかもだけど、元気が出たらいつでもメールしてね。ずっと待ってるよ』

『美菜瀬、また明日来るね……』


 やがて少女たちの姿は、すうっと消えて見えなくなる。

 どうやら俺を阻む見えない壁は、部屋の壁を再現しているようで、少女たちはミナセの見舞いに来たものの面会は適わなかったようだ。

 そして当のミナセ本人と言えば、部屋の中でベッドに蹲っていた。

 そのベッドの周りに、母親の姿が陽炎のように現れては消えていく。


 ある時は、眠っている娘の顔を心配そうに見つめ続け、

 ある時は、ベッドの周りを掃除機をかけ、

 ある時は、カーテンと窓を開け放して部屋の換気を行い、

 ある時は、体を拭いてパジャマを着替えさせて去っていく。

 その間、ミナセはずっと死んだように無表情だった。

 どれだけ月日が過ぎたのだろうか。

 いつの間にかボサボサの髪は肩まで伸び、前髪が両目を隠していた。

 すると、ある時初めて前髪から覗く両目が少しだけ反応を示した。

 母親がVRマシンのヘッドギアを持って現れたのだ。


『美菜瀬 、よく聞いて。医者の先生がね、あと数年もしたら神経接続型の義足が発売されると言うの。それでこのフルダイブ型のVRマシンは、その練習としても効果があるんですって。どう、興味があるなら試してみてもいいのよ……?』


 腫れ物にさわるように遠慮気味に尋ねる母親だったが、ミナセは遠慮気味にこくりと無言で頷いた。

 するとその二人の姿が赤い霧に包まれて見えなくなると、今度はヘッドギアを装着してソファに座っているミナセの姿が現れた。


 その座っているミナセの目の前の空中にはVRマシンの映像が映し出されていた。

 澄み渡る青空と、見渡す限りの平原の仮想現実の世界だ。

 その世界で白いワンピースを着た少女のアバターが、両手を広げて降り注ぐ太陽の光を全身で受け止めて、歌う様に、踊る様にして緑の中を飛び跳ねていた。

 アバターの少女が笑うと、ヘッドギアの下に覗くミナセの口元も同じように白い歯を見せている。

 俺はその光景を見ていると、妙に胸が締め付けられて泣きそうになっていた。


 すると突然映像が暗転――

 しばらく黒い画面が続いたかと思うと、聞き覚えのある壮大な音楽が流れてきて、思わず俺の心も高鳴った。

 画面に『ジャスティス防衛隊』の文字が浮かび上がる。

 続いてかしこまったライラの声で、仰々しいナレーションが始まった。


『時は20××年――。人工知能マキナは、我々人類に反旗を翻した。マキナによってプラントと呼ばれる移動型生物改造工場が全国各地にばら撒かれたため、現在日本列島は遺伝子改造によって生み出された、凶暴な巨大生物で溢れ返っている。そこで近未来兵器で武装した我々ジャスティス防衛隊に科せられた使命は、現地へ赴いて市民を救出し、改造巨大生物を一匹残らず駆逐することである。そして最終的には人工知能マキナを破壊して、この国に平和と安寧を取り戻すのだ。いいか、覚悟はできているか!? 正義の炎は燃えているか!? それでは諸君の健闘を祈る――」


 そして画面には大都市のビル群が映し出されて、暴れまわる巨大なカマキリやカブトムシの群れの中を人々が逃げ回る姿が。

 そんなパニックになった群衆の中に佇んでいる朱色のビッグバンタンク。

 フェイスガードは収納されていて、ミナセの戸惑う顔が見える。

 その姿に気が付いたNPCの市民たちが、続々とミナセの元へと集まって来た。


『私たちをどうか助けてください!』

『向こうで巨大カマリキリが大勢の人を真っ二つに――!』

『子供が、私の子供が瓦礫の下にっ!』

『嫌だ、まだ死にたくない……カブトムシに潰されて死にたくないよ!』


 次々と寄せられる救いを求める声に、ミナセは最初はおろおろと戸惑っているだけだったが、少しずつその瞳に熱量を感じさせる光が宿り始めた。


「わ、私なんかで、いいの……? だって私は、こんな体で――」


 そこまで言いかけて、ハッとして自分の足を確かめるミナセ。

 そして両足の装甲を感慨深そうに擦ると、


「――ここは私に任せて! 皆は早く安全な場所へ避難して!」


 と、叫んだ。

 しかし赤い霧に映し出されている画面は、そのミナセの闘志漲る顔のアップでフリーズしてしまった。

 そして突然バリンと激しい音を立ててガラスのように砕け散った。

 するとキラキラと飛散する思い出の欠片の向こうから姿を現したのは、膝を抱えてうな垂れているミナセの姿だった。

 その全身からは赤い霧が陽炎のように立ち上っていて、俺は直感でそれが本物のミナセだと理解した――

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