第五十八話 タイガの一番長い日の終わり+第二章エピローグ

 夜になると、アルファンを筆頭に興奮した貴族たちが、グランドホーネットへ押し寄せて大変だった。

 何せチャリティー見学会の途中に襲撃にあったこともあって、無碍に追い返すわけにもいかない。


 更に騒動を聞きつけたアスナロ村の奥さん連中も、ちびっ子連れて総出で駆けつけて来ていたし、間近で魔族の撃退を目撃していた数万近い群集の興奮は治まる気配が無く、艦の周囲で勝手に祝勝会を開いて盛り上がる始末だ。


 そんな訳で急遽グランドホーネットの甲板でも、貴族と関係者を中心にパーティーを開くことに。

 この時点で既に上へ下への大騒ぎだったのだが、止めと言わんばかりにアルファンから連絡を受けた、国王とオクセンシェルナまでもがダンドリオンから駆けつけてくるわ、サウザンドロル領領都からはジュリアンと次期領主も加わるわの大賑わいだった。


 そんな国王や貴族たちの間を、救出された子供たちを中心に村の子供たちが元気よく走り回り、婦人連中が普段着のまま配膳と給仕で忙しそうに動き回るという、シュールだがアットホームで温かい雰囲気が溢れた宴だった。

 やはりアルファンと貴族たちは、間近で初めて見た魔族撃退の興奮が収まらないらしく、俺とエマリィを始めとするマイケルベイ爆裂団メンバーは質問攻めに会い、その横では間近で見ることが出来なかった国王とオクセンシェルナが、悔しそうに地団駄を踏んでいるのが可笑しかった。


 ちなみに飛行魔法の類が失われている現代に於いて、それに近いことを成し遂げたエマリィの天河の写本オクシュリュンコス・パピルスは相当にインパクトを与えたようで、貴族の中の誰かが言い出した「天翔ける魔法使い」という賛辞は、その後エマリィの二つ名として国中へ知れ渡っていくことになるのはまた別のお話。


 そんな感じに宴は真夜中過ぎまで続き、甲板では貴族たちや兵士、村の婦人や子供たちが焚き火の周りで車座になって眠りこけていた。

 その中にハティが王様とオクセンシャルナの二人を、ヘッドロックしたまま豪快に鼾を掻いているという、打ち首確定級の姿を見つけたりしたのだが、とりあえず何も見なかったことにしてスルーしておいた。

 そんな感じに、俺がエマリィの姿を捜して甲板をうろうろしていると、背後から声をかけられた。八号だ。


「先輩どうしたんですか?」


「いや、それよりも八号こそ……。もしかしてパトロールをしてくれていたのか?」


 八号はこんな時間にも関わらず多腕支援射撃アラクネシステムを装着して、両腕にはアサルトライフルを構えているので、俺が驚くのも当然だ。

 しかし当の本人と言えば、さも当然のようにしれっと答えやがる。


「自分は人造人間ホムンクルスだから、食欲や睡眠欲は特に無いんですよね」


「で、でも、ライラの奴は普段からバカみたいに食って、アホみたいに寝てるじゃないか!?」


「そ、それがライラちゃんさんのいい所ですから……! でもライラちゃんさんも今回の襲撃が余程応えたみたいで、今日は徹夜でシステムチェックをすると今も――」


 そう言って、八号は艦橋へ目配せする。

 司令室の灯りが煌々と灯っていて、忙しそうに動き回っているライラの姿がガラス越しに照らし出されていた。


「あんなライラちゃんさんを見たら、自分がじっとしている訳にはいかないですからね。それにあのヒルダと名乗った魔族……一度森で遭遇していますよね? 今もグランドホーネットの周りにいる群衆の中に、魔族が紛れているかもしれないと考えると、どうも落ち着かなくて……」


 そう言って笑う八号を、思わず強く抱きしめていた。

 もしかしたらアルコールの匂いで、多少酔っていたのかもしれない。

 しかしそんなことはどうでもいい。

 とにかく今の俺は八号を力いっぱいに抱きしめて、この胸に湧き上がる親愛と感謝の思いをどうしても伝えたかったのだ。


「八号、俺は今モーレツに感動している……ッ! お前がこの世界に転生してくれて心から感謝している! ずっと皆でこの世界を冒険しよう! この世界の人たちの役に立とう! 俺のそばに居てくれてありがとう……!」


「せ、先輩……!?」


 俺と八号が熱い魂の抱擁をしていると、いつの間にかピノが真横に立っていて、興味深そうに俺たちを見上げていた。

 その頭の上では、ピピンが髪の毛に絡まって鼾を立てている。


「ねえ、二人でなにしてるの……?」


「い、いや、これはまあその…男同士の挨拶みたいなもんだ……なあ八号!?」


「ええ先輩……! これがジャスティスです!」


「それよりピノはエマリィを見なかったか? 俺はエマリィに用事があるんだった」


「エマリィちゃんなら、随分前に階段を降りていくのを見たよ……」


「そうかありがとう。じゃあ八号、ピノを部屋へ送り届けてやってくれ。子供は夜遅くまで起きてちゃいけないんだぞ。おやすみ、な」


 俺はピノと拳骨を合わせるシークレットハンドシェイクをすると、エマリィの元へと急いだ。

 階段を降りていったと言うのなら、恐らく行き先は決まっている。機関室だ。

 何故人知れず機関室へ出入りしているのか。

 一体、機関室で何をしているのか。

 俺がエマリィを捜していたのも、その理由を聞きたかったからだ。


 ここ最近多忙に追われて、エマリィとはゆっくり時間を作ることが出来なかった。

 その結果、俺は奈落の底で心が折れてしまったエマリィを前にしても、掛ける言葉を持ち合わせていなかった。

 その後でエマリィが復活したのは彼女自身の力によるもので、俺は何の力にもなってあげられていない。

 その事がとても心苦しく、今も俺の胸の底でしこりとして残っていた。


 だからこそ俺は、今すぐにでもエマリィと語り合わなければならないのだ。

 この夜が明けるまで彼女に寄り添い、その言葉に耳を傾けなければならなかった。

 それがこの異世界に呼ばれた理由などとは毛頭思わないが、少なくともこの世界で俺が生きていく理由の一つのような気がする。

 だから――


 俺は、そっと機関室へと足を踏み入れた。

 中は非常灯の灯りと、魔法石が放つ赤や緑や黄色の淡い光にぼんやりと照らし出されていて、エマリィは魔法石の結晶にもたれ掛ってうな垂れていた。

 いつもの魔方陣が描かれた黒い布にくるまってピクリとも動かない。


「エマリィ……!?」


 思わず走り寄った。

 ぐったりと全身の力が抜け切ってもたれ掛っている姿が、まるで死んでいるように見えたからだ。

 

「ん…タイガ……? どうしたの、こんなところに……?」


 どうやらエマリィは眠りこけていただけらしく、寝惚けた顔できょとんと俺を見上げた。

 俺はエマリィが生きていたことにまずほっとしながらも、こんな所で寝ていたという事は、どこか体調が悪いのかもしれないと思い気が気ではなかった。


「ど、どうしたのも何も……。エマリィこそどうしてこんなところで寝てるの? もしかしてどこか体調が悪いとか……?」


「ああ、違うの。ほら、ボクは最近村で繰り返し魔力を使い切って、魔力を増やす特訓をしていると言ったでしょ。でも一日に何度も魔力切れを起こすと凄く疲れるの。これを魔力疲れと言うんだけど、酷い魔力疲れの時って、神経が高ぶって夜なかなか眠れないんだ。そのことをハティに相談したら、魔法石を身につけて眠ればいいって教えてもらったんだ。それでグランドホーネットには、せっかくこんな大きな結晶があるんだから、ここで寝ちゃえばいいやと思って、最近はずっとここで眠ることにしてたの」


「な、なんだよ。心配させないでくれよ。俺はてっきり……」


 俺は安堵のあまり、その場でへなへなとしゃがみ込んだ。

 エマリィが何事もなく無事だったことは嬉しかったが、今度は胸の底からもやもやとした、言葉では言い表せない複雑な感情がこみ上げてきた。

 エマリィが疲れた体を引きずって、この機関室で夜な夜な一人で眠っていたと思うと、俺は情けない気持ちで一杯だった。


 どうして、俺は気付いてやれなかったのだろうか。

 どうして、俺は助けになれなかったのだろうか。

 どうしてエマリィは、俺に相談をしてくれなかったのだろうか。

 このままでは、エマリィはいつかどこか遠くへ行ってしまうのでは……

 もっと優しくて頼りになる誰かの元へと行ってしまうのでは……


 俺の胸の中では無力感やら不甲斐ない思いやらが、ごちゃ混ぜになって渦を巻いていた。そして焦燥感だけが妙にくっきりと浮かび上がって、見悶えたくなるような不安に襲われた。

 するとエマリィは申し訳なさそうに黒い布から這い出てきて、目の前にちょこんと座った。


「ご、ごめんね。なんか驚かせちゃったみたいで。最初に一言断っておけばよかったかな……」


「いや、勝手に勘違いしたのは俺だから、エマリィは悪くないよ……。そっかー、でも理由がわかってなんだかホッとした。実は、一度エマリィが明け方に機関室から出てくるところを見かけてたんだ。それで何をしていたのか、ずっと気になってたんだ。はは……」


「え、そうなの!? やだ、その時に声をかけてくれればいいのに……」


「うん、そうなんだけど、ほら、なんて言うか、エマリィはここ最近なんか落ち込んでいたというか、何か考え事しているようなことが多くて、俺もなんだか気にはなってたんだけど、日々の忙しさに追われてるうちにタイミングを逃していたというか、その……ダメな奴なんだよ俺って。肝心な時にエマリィの力になってあげられなくて。ほんと自分が情けないよ……」


「そっかー、意外とボク心配されてたのかな? へへ、あまり悪い気はしないかな、なんてね」


 と、エマリィは体育座りで、にへらと照れ笑いを浮かべた。


「……いつだったか、ハティに言われたんだよ。大事に思うことと大事に扱うことは違うって。俺もしかしたら、どこかでエマリィに遠慮してたところがあったのかもしれない……。でも勘違いしないで欲しいのは、別にエマリィのことを頼りにしていなかったとか、そういう訳では決してないから。なんて言うか、そういうのじゃなくて、エマリィに頼ってばかりなのはかっこ悪いし、自分で出来ることはなるべく自分でやった方がいいかなって……」


「うん、大丈夫。ボクちゃんとわかってるよ。それにここ最近落ち込んだりしてたのも、全部ボク自身の問題だもん。タイガもハティもユリアナ様もテルマもイーロンも、皆凄い人たちばかりだから、ボク焦ってたんだ。皆に置いていかれないようにするにはどうすればいいのか、ずっと焦ってたの……」


「そんなこと――」


 俺は思わず否定しようとしたが、エマリィが俺を正面から見据えて静かに首を振ったので、それ以上何も言うことは出来なかった。


「……あの落とし穴の底で気を失った時に、ボクは昔のことを思い出してたんだ。五歳の時にね、ボクは目の前で幼馴染を亡くしてるの。ボクは十五歳になって村を出たけれど、半分は逃げてきたようなものなんだ。だって村ではずっと、ボクは『ハリースを守れなかった子』として見られてきたし、一部にはボクのことを忌み嫌っている人たちも居て、ずっと辛かったから……。お母さんがボクのダンドリオン行きを許してくれたのも、あそこに居たらボクはいつまでも過去に囚われたままだとわかっていたからだと思う。だから落とし穴の底でタイガを守れなかった時に、ボクは結局村に居ようがいまいが関係なく、変わることなんか出来ないんだって絶望したの。でも違った。タイガは死ななかったし、それどころか魔力が切れたボクに魔力まで与えてくれた。あの時に思ったんだ。ボクは十年前にハリースを守れなかった時と大して変われていないのかもしれないけれど、取り巻く環境は変わったんだって。ボク自身では変われなくても、環境が変わることで、ボクは新しいボクになれるんじゃないのかって。今ボクの目の前にはタイガが居る。きっとこれはボクの人生に起きた最大の奇跡なんだと思う。ボクはこの奇跡を手放したくない。大切に育んでいきたい。ずるい奴と後ろ指指されたっていい。タイガの力を借りて誰かを守れるボクになれるのなら、そんな嬉しいことはないから。だから――」


 ふとエマリィの顔が近付いてきたかと思うと、鼻腔を突き抜ける甘い香りと共に、俺の右頬に柔らかい感触が。

 エマリィは桜色に染まった顔で、恥ずかしそうに上目遣いで俺を見ると、


「だからこれからもタイガの傍に居させて。というか居座ります。大事に扱わなくてもいい。ボクがタイガとボク自身を守ってみせるから」


「エ、エマリィッ……!」


 俺はもう頭の中が真っ白になって、ただ胸の奥底からこみ上げてくる熱いマグマのような感情と情欲に任せてエマリィを押し倒していた。

 驚いて慌てるエマリィを押さえつけて半ば無理やりに唇を奪う。

 

「だ、だめだよタイガ。これ以上はボクまだ心の準備が……」


「で、でも、もう止められないよ……」


 エマリィの抵抗も弱まっていき、いつしか俺たちは抱き合って何度も何度も貪るように唇を重ねていると、突然声が――


「ねえ、タイガはエマリィちゃんをいじめてるの……?」


 そこに居たのはまたしてもピノだった。寝ぼけ眼で人差し指を咥えたまま、興味深そうに俺たちを見下ろしている。


「ち、違うんだよ、ピノこれはね――」


 俺が必死に取り繕おうとするが、エマリィは俺を突き飛ばして立ち上がると、ピノの手を掴んでそそくさと機関室を出て行く。


「ピ、ピノちょうどよかった。タイガが悪ふざけで格闘術を仕掛けてくるから、ボク困ってたんだ。さあボクと部屋へ戻ろうね。あと今見たことは皆には内緒だよ。特にライラには絶対に喋っちゃダメだからね……」

 

 俺は呆然とその後ろ姿を見送っていると、エマリィは出口のところで一瞬だけこちらを振り返った。

 上気して桜色に染まった顔には、非難や怒りの色は一切見て取れず、どこか照れているようにはにかんだ笑顔を見せた後で廊下へ姿を消した。


「エマリィ……!」


 うおおおおおおおおおお!!!

 エマリィ可愛ええええええええええええええええ!!!

 俺は止まることなくこみ上げてくる情欲に衝き動かされて甲板まで駆け上がると、夜空に向かってマイケルベーイと叫んだ。

 声が枯れるまで叫んだ。

 こうして俺の一番長い日は、ようやく終わりを告げたのだった――













 とか言いながら、その後で自室に戻ってから、相棒のソーシャルジャスティスウォリアーギガントキャノンMk-2が、初めてナノスーツを突き破ったことをここに記す(ドヤ顔)。




 ―エピローグ―


 タイガによって巨大ゴーレムが破壊された地点から、少し離れた森の中。

 すでに日は沈んでいて、辺りは暗闇と静寂に包まれている。

 突然地面の一部が崩れたかと思うと、中からヒルダとマキナが這い出てきた。

 ヒルダは右腕を肩の辺りから失っており、とりあえず布が巻かれて応急処置はしてあるが、滲んだ血が滴り落ちていてとても痛々しい。

 そんなヒルダを心配そうに見上げて、甲斐甲斐しく世話をしているマキナ。


 先ほどの戦いで終わりを察したヒルダは、咄嗟に鳥ゴーレム群を空に放ってタイガの注意を大空へ向けると、その隙をついて地下へと逃げ延びたのだった。

 しばらくの間、地下空間で息を殺してケガの手当てを済ませると、この森へ続くトンネルを魔法で作って逃げて来たのだ。

 ヒルダは肩で大きく息をしながら、引きつった笑みを浮かべている。

 それは安堵の笑みなのか、自虐の笑みなのか。


「はあはあ……タイガ・アオヤーマ…なんて恐ろしい奴……。どうだいマキナ。あいつを間近で見ていて、なにかわかった事はあるかい……?」


「僕は元の世界で何度も彼と戦っています。今の彼は最高ランクに近い強さを誇っている。今の僕が戦っても、ほぼ百パーセントの確率で負けると思います……」


「そうかい……」


「ごめんなさい、ママ……」


「いいさ。気にするな。あいつは想像以上に化け物すぎる……。魔族であいつと互角に戦えるのは、おそらく親衛隊か魔王くらいのもんだ。でも、私はいつかこの手であいつを……自分のこの手で、父様の仇をとりたい。今は無理でもいつかチャンスは巡ってくるはずだ。残念だけど、それまで勝負はお預けだ。今は私たちの態勢を整えるのが先……」


 ヒルダは木々の間から遠くに見えるグランドホーネットの灯りを睨んだ。

 パーティーを開いているらしく、人々の楽しげな声が夜の冷気を伝って微かに聞こえてくる。


「今は楽しめばいいさ。しかし必ず父様の仇はとってやるぞ、稀人マレビト。タイガ・アオヤーマ、せいぜい首を洗って待っていろ……!」


 ヒルダとマキナは寄り添いあって森の闇へと消えていった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る