第三十一話 君は俺の北極星
「あ……」
突然ヘルメットを脱いで悪態をついた俺を見て、エマリィは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして突っ立っていた。その手にはステーキ肉が山盛りに盛られた皿が。
「ご、ごめん。エマリィがそこに居るの気がつかなかった。驚かしちゃったかな、ハハ……。 もしかして今から夜食?」
「う、うん。お風呂上りのステーキ。最近湯上りにこれを食べるのに嵌ってて、メイドさんに焼いてもらったの。それでタイガも一緒にどうかなって……」
「あ、ああ…俺は今はいいかな。エマリィが食べなよ」
ま、まさかエマリィが大好物の肉をお裾分けしてくれるとは! もうそれだけで感謝感激で胸が一杯で肉は喉を通りそうにもない。
しかしエマリィさん、湯上りの一杯ならず湯上りに山盛りのステーキとはどうなんですかねえ……
まあ、俺としてはぶくぶくに太ったりさえしなければ、何を食べようがいいんですけどね……
しかしエマリィは山盛りのステーキが乗った皿を持ったまま微動だにしない。
いや、体が小刻みに震えている。全身からキュウーッと音が聞こえてきそうな位に、硬直と弛緩の狭間で揺れている。
更には肉を凝視してあひる口で顔を真っ赤にしながら、何やらうーうーと唸り始めた。どうやら肉を食べていいものなのか葛藤しているようだ。
「ボ、ボクで出来ることならなんでも協力するから……! もしかしてこのお肉も届けた方がいいのかな!?」
「あ……もしかして八号との会話聞こえてた?」
肉の山を凝視しながらこくこくと頷くエマリィ。可愛そうに涙目で今にも涙が溢れ出しそうだ。
「いや、エマリィがそこまで気を使うことはないよ。それに火を通した肉を今さら送る訳にもいかないから、それはエマリィが食べていいと思うよ?」
「そ、そうかな? そうだよね。うん、じゃあ遠慮なく……!」
そしてようやく呪縛から解き放たれたように、ステーキ肉を頬張ってもきゅもきゅとするエマリィ。本当にしあわせそうだ。そんなエマリィを間近で眺めるという至福の時につい口許が綻ぶ。
「ふぅ! ごちそうさまでした!」
「しかしエマリィは本当に肉が好きなんだなあ。見事な食いっぷりには、毎度毎度惚れ惚れするよ」
「だ、だって肉だよ!? タイガはお肉が嫌いなの!?」
「べ、別に嫌いじゃないけど、エマリィには負けるかな、さすがに……」
「そうだ。貰ったお肉はまだ残っているから、八号さんのところへ届けてあげて。ほかにも貰った食料はいっぱい残っているからそれも全部」
「え、だっていいの? 肉だよ肉!?」
「確かに貴族がくれたお肉は高級でおいしかったけれど、ボクこう思うんだ。冒険に出て自分の手で倒した茸猛牛(マッシュルームバッファロー)や蛸鷲(スカイクラーケン)の肉を、満天の星空の下で焼いた方が何倍もおいしいに決まってるって―― ボクの夢は冒険者として世界中を旅することだって話したでしょ。こんな豪華な屋敷で、高級な料理でもてなされるのは凄く名誉なことだとは思うけど、ボクが望んでるのとはやっぱりちょっと違うかな…… まだ冒険者としてスタートしたばかりなのに、こんな豪華な生活に慣れちゃうのは自分のためにならないと思う。ボクはボクが食べる分のお肉くらいは、軽く調達できる冒険者になりたいの。だから全然平気! タイガ、もしかしてボクのこと、食い意地が張った奴って見くびってたでしょ!?」
はにかむ様にそう話すエマリィの言葉を聞いた瞬間、俺の耳には強烈な風の鳴る音が聞こえていた。
その一陣の風は、俺の中を猛然と雄雄しく駆け抜けていく。
その風は確かに存在していて、俺の胸の中を覆っていた霧を、見事なくらい綺麗に吹き飛ばしていた。
そして霧の向こうから現れたのは、地平線が広がる広大な大平原と、今にも降り注いできそうな満点に煌く無数の星々だ。
その星々の下で揺らめいている焚き火の炎。
その炎に照らされて闇夜に浮かび上がっている二つのシルエット。
澄んだ空気と夜の冷気に包まれた二つの影は男と女だ。
傍らには使い古された皮製の大きな鞄に、厚手の毛布や地図やコンパスが転がっている。
彼らは旅人だ。
きっとこの世界を二人で旅しているのだろう。表情まではよく見えないが、口許に浮かぶ満足そうな笑みだけは見てとれる。
とても幸せそうで、充実した笑みが――
それが単なる妄想なのか、幻覚なのか、未来視なのかわからなかったが、その光景を見た瞬間に、俺の体を百万ボルトの電気が駆け抜けていた。
俺は目の前のエマリィをまじまじと見つめていた。
この異世界で始めて出会った小さな魔法使いの女の子は、俺が思っている以上に、俺にとってかけがえのない運命の存在なのではないのだろうか……
はっきりとした根拠はないが、俺の細胞の一つ一つがそう告げているような気がしてならない。
そして俺ははっきりと確信した。
俺はいま見た
いつの日か、きっとその場所へと辿り着いて見せる。
それが俺の……
「エ、エマリィ、俺……!」
「あ、あとボクのお金も使ってよ。村の救援物資に相当お金が掛かってるんでしょ? ボクなんかタイガが居なければ、ここまで稼ぐのは無理だったんだから当然だよね」
「い、いや、お金はダメだよ! 報酬は半々にするって最初に決めただろ。それにこれは俺と八号の趣味みたいなもんだから、エマリィは気にしなくていいから! それよりも聞いて。エマリィの今の言葉でわかったよ。俺がどうしたいのかって! ああ、せっかく俺は異世界にまで来たというのに、なにいい子ちゃんぶってたんだろう! なんでこんな籠の鳥状態に甘んじてたんだろう! 俺は俺のやりたいようにやっていいんだよ! シタデル砦で姫王子様にそう言ったのは俺自身なのに! 誰が何の目的で俺をこの世界に呼んだのかはわからないけど、ここで俺がどうやって生きていくのかは、俺が――俺自身が決めていいんだ。俺が居るべき場所はこんな豪華な迎賓館じゃないって、今ようやくわかった! ありがとうエマリィ! やっぱり俺たちの相性って最高だと思うんだ!」
「タ、タイガ――!?」
興奮の余りエマリィの両手を握ってぶんぶん振り回す。
エマリィは戸惑っていたが、今は気にする必要もあるまい。とにかく俺は嬉しかったのだ。俺がどうしたいのか、この異世界でどう生きていきたいのかがはっきりとわかったことが。
いまここに宣言しよう。
エマリィは俺の北極星だ。
俺の道標だ。
道に迷ったときはエマリィの声に耳を傾けよう。その眼差しを追いかけよう。
きっとそこに、俺の求める答えはある筈だから。
もうこのままの勢いでエマリィに告白して抱きしめようと思ったが、にわかに庭先が騒がしくなったので、俺はベランダの手すりに近寄った。
すると門のところで門番と何やら揉めていた男が、俺の姿に気がついて叫んだ。
「――そこに居られるのはタイガ・アオヤーマ殿ですか!? 夜分に失礼いたします! 私めはサウザンドロル領書記官のジュリアン・タタ・サウザンドロルと申します。火急の要件があり、是非アオヤーマ殿にご相談したいことが! 無礼千万は百も承知しております。しかしどうかご面会をお許しください!」
「サウザンドロル領の……?」
俺は厭な予感に眉をひそめた。
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