第十一話 宿場町の不穏な影

 ダンドリオンから東の渓谷へ旅立った一日目の夜。

 本来十五日前後かかる道程だったが、俺とエマリィはすでに宿場町までやって来ていた。

 当初の予定では荷物を載せた荷車を俺が引き、エマリィの歩調に合わせて東を目指しつつ、時折エマリィも荷台に乗せたまま走れば相当の時間が稼げるだろうと思っていたが、結局はダンドリオンを出発してからずっとエマリィは荷台の上だった。


 しかしフラッシュジャンパーが引く時速八十から百キロのスピードで走る荷台の乗り心地は地獄行きのジェットコースターそのものだったらしく、三十分も経たずにエマリィからギブアップの声が。

 それにそのスピードで走り続けていれば木製の荷台と車輪はすぐに壊れてしまうだろうという、当たり前すぎる現実にようやく気がつく。

 謎の依頼人の件でつい先を急いでしまったが、これではエマリィの体も荷車ももたない。深く反省。


 しかしそれでも早く依頼人に会ってみたいと言う思いは強く、何かいい手はないかと考えた結果、荷車を少し改造することに。

 まずは取っ手と車輪を手刀で荷台から分断。

 今度は近くの林で取ってきた蔦を箱型荷台に二重三重に巻きつけつつ、先ほどの取っ手を荷台の補強兼エマリィが掴まるための安全バーとして設置。

 要は引く荷台から抱える荷台へと方向転換である。サイドカーのABCスーツ版みたいなものだ。


 小一時間ほどで吐き気と眩暈から回復したエマリィは当初こそ新型荷台に拒否を示していたが、「早く現地に到着した俺たちを見て依頼人はどう思うだろうか」「前金で金貨一枚をぽんと払える金持ちならばもしかして……」という俺の甘言に遂に陥落。


 そしてすぐに地獄のような乗り心地が改善されていることにご機嫌に。

 荷台はABC(アーマードバトルコンバット)スーツを着た俺が左手に抱えている訳だが、車輪からの突き上げがなくなってさらに俺の顔がすぐ横にあって会話出来るのも良かったらしい。

 エマリィは時速五十キロから百キロ前後で流れていく景色と風の感触を思う存分に楽しんでいた。


 そして夜遅く宿場町に着いてその足でギルド会館へ行ってみるが、扉には鍵がかかり中に誰も居ないようだったので、そのまま隣の宿屋で部屋を取ることに。

 いかにも肝っ玉母さんっぽい太ったおばさんが出迎えてくれる。


「いらっしゃい。こんな夜分に珍しいね。あんた達も渓谷の迷宮(ダンジョン)が目当ての冒険者かい?」

「ええ、そんなところです。部屋は空いてますか?」

「一人部屋と二人部屋の両方とも空きがあるけどどうする?」

「えっと……」


 と、思わず口篭った俺の横で「二人部屋で」と即断するエマリィ。

 や、やだ、エマリィさんが男前過ぎてきらきら輝いて見える。

 あたい、もうこの人に一生ついていく。と、胸をきゅんきゅんさせて部屋へと行くが、案の定エマリィさんは眠る時は魔方陣が描かれた黒い布にくるまっていたので、ロマンも何もあったもんじゃありませんでした。

 いつかのネカフェのような宿屋でもそうだったけれど、ここでも一匹の蚊がぶんぶんと飛び回っていてなかなか眠れない夜を過ごすことに。


 そして翌日の早朝。

 昨日は沐浴もせずに寝てしまったので中庭にある井戸を借りて沐浴をしていると、遅れて目を覚ましたエマリィもやってきた。


「おはよう」

「おはよー。ボクにも水ちょうだい」

「え!? エマリィもここで沐浴すんの!?」

「そんな訳あるかー! お部屋に持っていくに決まってるでしょ!」

「ですよねー」


 などと下らない会話で盛り上がる俺たち。

 ちなみに今の俺は沐浴をしているので当然上半身は裸だ。

 冒険者生活を始めてすぐの頃に、普段着がナノスーツと言うのもモッコリ的な意味合いでどうかと思い、寝巻き兼部屋着として市場で貫頭衣を買った訳だが、こうして沐浴の時は上半身だけ脱いで腰に巻きつけている。


 当初はこの半裸の格好をしているとエマリィは視線も合わせてくれないどころか近寄りもしなかったが、たった数日でえらい進歩である。

 これも俺たちの信頼関係が増している証だと思うが、このまま順調に行けば二人の関係も天元突破しちゃうのではなかろうか……


 と、つい妄想してニヤニヤしていると、突然背後から俺の名前を呼ぶ声とともに小さな指先が背中に触れる感触が。

 てっきりエマリィは水桶を持って部屋に戻ったと思っていたので、その突然の行動に心臓が口から飛び出しそうなほどに高鳴った。


「タイガ……」

「エ、エマリィ……!?」

「この背中の魔方陣……」

「ん!? 魔方陣!?」


 俺は振り向こうとするがエマリィが俺の背中に張り付いているので上手く振り向けない。


「なに!? なんだよエマリィ。意味がわからないんだけど……」

「タイガの背中……左肩の後ろに直径十五センチほどの魔方陣が描かれている。タイガはこの事を知らなかったの? ううん、タイガは記憶喪失だから……覚えていなかった?」

「へ!? 俺の左肩に魔方陣!? そんなの初耳だけど……?」


 当然元の世界に居た時に体に魔方陣が描かれていたなんて事実はない。

 この魔方陣は異世界転移後に俺の体に浮かび上がったと考えていいだろう。

 という事は異世界転移という現象と密接な関係がありそうだったが、その事はエマリィには内緒にしておく。


「……この魔方陣、見たことのない文字が使われていて明らかに現代魔法の範疇じゃない。ボクじゃはっきりと断言できないけど、たぶん失われた古代魔法の魔方陣だと思う……。ねえ、タイガは一体何者なの……? 一体どこからやって来たの……?」


 俺の背中の魔方陣をなぞるエマリィの指先は微かに震えていた。




 朝食の後で、俺とエマリィはギルド支部に顔を出すことに。

 エマリィの表情は心なしか暗い。無理もない。結局俺の左肩にある魔方陣について、俺は知らぬ存ぜぬを押し通すしかなく、エマリィの不安や疑問を晴らすことに何も協力できなかったのだから。


 エマリィにしても俺の記憶が戻らない以上はこれ以上追求しても意味がないと理解してくれているようだが、それでも漠然としたもやもやとした思いが残っているのだろう。力の無い表情にすべて表れている。


 そんなエマリィを見ているといっそのこと異世界転移してきたことを打ち明けようかと思えてくる。

 しかし……

 今まではこの異世界転移が神隠しのような何かしらの不可解な自然現象による事故という可能性もあると考えていたが、あるはずのない魔法陣がいつの間にか俺の体に刻まれていることでその線はほぼ無くなったと思っていいだろう。

 そうなると残された可能性は、何者かの手が加わった人為的なものだったということになる。


 その目的は……?

 首謀者は……?

 なぜ俺の前に姿を見せない……?

 そして俺に依頼を出した同じ転移者らしき人物は……?


 あまりにもわからない事が多すぎる。この状況でエマリィに全てを打ち明けてこの問題に深入りさせるよりも、俺が記憶喪失と思っておいてもらった方がエマリィのためにならないだろうか。

 やはり今はまだ打ち明けるタイミングではない気がする。


「――よし! じゃあ依頼人さんに会ってみますか! ああ、どんな依頼かわからないけど気前がいい人でお願いします!」


 俺は気持ちを切り替えるためにわざと元気に振舞い、ギルド支部のドアを元気よく開けた。エマリィも俺の言葉で気持ちを切り替えたようで、仕事モードの引き締まった表情で後をついてくる。


「えーと、ダンドリオンから来たタイガ・アオヤーマとエマリィ・ロロ・レンミングスです。ここに指名依頼の依頼者が居るって聞いて来たんだけど……」


 俺は受付カウンターでダンドリオンで貰った依頼書を広げて見せると、四十くらいのヒト族の受付のおばさんは相好を崩した。


「あーはいはい。伺ってますよ。ちょっと待ってね」


 と、カウンターの下から銀貨九枚の山と一枚の皮紙を差し出した。


「はい。これが前金からギルドの手数料一割を引いた残金で、これが依頼者から預かった手紙だね」

「手紙……?」


 俺とエマリィは訝しげに顔を見合わせる。


「あの依頼者は……? ここで待ってる筈じゃ……?」

「さあ?  あんた達宛ての伝書蝶とこの手紙を金貨一枚で依頼されただけだからね。伝書蝶の内容についちゃギルドは一切ノータッチだよ。勿論もしその手紙になにか依頼が書いてあったとしても、それを受けるか受けないかはお兄さんたち次第だ。ほんとは冒険者への依頼はギルドを通してもらわないと困るんだけど、身内や知り合い同士の個人的な頼みごとにまで干渉はしないってのがギルドの方針だからねえ」

「その依頼者ってどんな感じの人でした……?」

「うん、まあ……あんたの知り合いなら申し訳ないんだけど、全身を小汚いローブに身を包んで顔も仮面をしてて見えないしさ、ちょっと薄気味悪い感じだったよね。ああ気を悪くしないでおくれ。悪気はないんだけど、あの風貌はちょっとね……」

「そうですか……」


 うむ。謎の依頼人か。しかも風貌からしてますます怪しい。正体を隠す理由は一体なんだ? 姿をこちらの世界の人間に見られるのがまずいってことか? 更に外見的な特徴が俺に伝わるのを懼れたってとこだろうか?

 ということは俺が知っている人物なのか……?

 俺が思わず考え込んでいると、いつの間にかエマリィが心配そうな顔でこちらを見上げていた。碧眼が微かに揺れている。


「タイガどうするの……? ボク的にはその手紙に何が書かれていようとギルドを通した依頼じゃない限り無視してもいいと思うよ……」

  

 うう、泣かせるなぁ。エマリィも俺の魔方陣と謎の依頼人の関連を疑い心配してくれているようだ。


「うん。ありがとう。でもまずは内容を確認してからにしよう」


 俺は丸めてある皮紙の封蝋を解いて手紙を広げて見る。

 そして思わず絶句。

 眉根を寄せたまま硬直している俺を見て、エマリィも恐る恐る手紙を覗き込んだ。


「タ、タイガこれって……!」

「ああ、なんか気に食わねえけどどうせ行く予定だったんだ。行ってみるしかないだろ……!」


 俺は言葉に出来ない漠然とした不安と怒りから思わず手紙を握りつぶした。

 そこに書かれていた内容とは、『渓谷の迷宮(ダンジョン)にて待つ』という一文だけだった。

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