策略
「私が毒を塗ったナイフで、あなたが彼を刺し、もがき苦しんだ彼は苦しみに負けて身を投げた。不幸にも彼の下敷きになってしまった名前も知らないあの人に、誰が謝るべきか、ってことなんだけど」
踊り場のすみに身を寄せたみどりが、声を潜めて囁いた。昨晩の犯罪の余韻からか、その顔はひどく青ざめている。
「あら」
香子はついに堪えきれず、昂ぶる感情のままにどっと笑い崩れた。ほんとうに、なんて純粋な、可愛いお嬢さんだこと!
「みどりさん、私あなたが可愛くて仕方ないわ」
身にまとった黒いビロードのワンピースがよれ、目深に被ったクローシェ帽がずり落ちるほど笑い転げる。
「何がおかしいの?」
置いてけぼりにされてぽかんとしていたみどりは、じれったそうに尋ねた。こちらが手を伸ばせば容易に突き落とせる近さにまで詰め寄ってくる。下げ髪に結んだ白いリボンが、詰め寄った勢いのまま跳ねた。
「名前も知らないあの人、って言ったわねえ? あなた」
香子は白く揃った美しい歯を惜しげもなく晒して、にっこりと微笑んだ。大仰に両手を広げ、たじろぐみどりに身を寄せる。あどけなく楚々とした娘の顔に心細さが広がる様を、嬉々として眺める。ああ、なんて気分が良いのかしら!
「私言ったわねえ? 彼があなたのお父さまを追い詰めた、と。十五年前、あなたのお父さまは彼がかどわかしたせいで没落し、失意のうちに死んだ。だから復讐しましょう、と」
みどりが魂を抜かれた生き人形のようにこくりと頷くのを確認して、香子は満足げにほほを緩めた。
「あんなの嘘よ」
素っ気なく言い捨てられた香子の言葉に、みどりが目をまん丸に見開いた。
「何ですって?」
「謝るなんてとんでもない。私がほんとうに殺したかったのは、彼じゃなくてあの人だったのよ」
みどりは立っているのがやっとのようだった。黒い短靴を履いた足元が、階段を踏み外しかけてよろめく。
「あの男は毎日あの時間にあの道を通るの。もちろん知っていたわ、私」
香子は大股に一歩踏み出した。幾重にも隠した殺意を取り繕う必要は、もはやなかった。
「何の罪もない、あなたの愛しの彼の下敷きになって死んでしまったあの人。あの憎たらしい男こそが、みどり。十五年前に行方知れずになったあんたの父親よ」
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#リプでもらった台詞でお話を書く
「私が毒を塗ったナイフで、あなたが彼を刺し、もがき苦しんだ彼は苦しみに負けて身を投げた。不幸にも彼の下敷きになってしまった名前も知らないあの人に、誰が謝るべきか、ってことなんだけど」
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