ムラサキハナナのせい


   ~ 二月十五日(木) アイロンがけ ~


   ムラサキハナナの花言葉  熱狂



 痛い。

 歯が痛い。


 なんでも、歯が欠けるとそこへ歯にそっくりなパーツをくっ付けるのが最近の治療法とのことで。


 本人すら、どこまでが自分の歯でどこからが作りものか分からなくなるほどとのことなのです。


 でも、当然そんな治療はお高いわけで。

 母ちゃんに相談してみたら、歯っ欠け顔の方が愛嬌があるとのことで却下され。


 見かねた父ちゃんが治療費を出してくれるとのことで、歯医者に予約を入れてみたものの、初回の治療は明日とのこと。


 しばらくこのまま過ごさねばなりません。


 ……だというのに。


「道久君。チョコ食べる?」


 こいつは昨日から何度も同じセリフを言いやがるのです。


 そんな、俺の歯が欠けた元凶、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は編み込みにして。

 そこに薄紫の四枚花弁、ムラサキハナナをふんだんにあしらっているのですが。


 まるでお花の冠を被っているようで。

 見た目は大変可愛いのですけど。


 中身が悪魔です。


「あ、また間違えたの。歯が痛いのを紛らわせようとして言っただけなの」


 悪化します。


 俺だって、チョコ食べたいのに。

 昨日から何度も何度も言われるので。

 さすがに堪忍袋の緒が切れました。


 歯が痛いから。

 いつものように優しくできないのです。


「授業中です。うるさい」

「じゃあ、静かにしてるの。今日の課題はアイロンがけなの。帰ったらすぐテストだけど、袖のとことか自信なくて。ボタンが邪魔で、そこを逃げてアイロンするとしわが取れなくて、練習しておかないときっと失格に」

「おかしいな。君が静かにしていると、ものすごくイライラするのです」


 口をとがらせてにらみつけると。


「……じゃあ、Yシャツ貸してくれたら静かにするの」


 そう言いながら、手を差し出してくるのです。


 授業中なのに。

 冬なのに。


 でも、これで静かにしてるって言うなら安いものか。


 俺は上着を脱いで、Yシャツのボタンに手をかけて。

 お昼休みでもないのにTシャツ一枚という姿になりましたが。


「こりゃむりだ。寒い」


 さすが一時間目。

 まだこの格好は無理なのです。


「穂咲、できるだけ早く返しなさい。寒いです」


 上着を羽織って、マフラーを巻いてみたものの、まだ寒い。

 こんな薄いYシャツ一枚でもここまで違うものなんだ。


 …………それにしても。


 この授業中、君はどうやってアイロンがけの練習をする気?


 いまさらながらお隣をうかがうと。

 こいつは堂々と教科書ノートを机にしまい。


 Yシャツをぺたんと机に広げると。

 ペットボトルから水をばしゃばしゃとかけるのです。


「っ! …………こっ…………」


 危うく声を上げそうになりましたが、今は授業中。

 どうすることも出来ません。


 それに、下手に騒いだら。

 この奇行の責任が、俺に擦り付けられることになります。


 たった今、使い物にならなくなったYシャツ無しで。

 廊下になんか出たくありません。


「……アイロンが無いの」

「あたりまえです」


 そしてこいつのバカなセリフに。

 頭を抱えることになりました。


 さっきからがさごそと、行動がうるさいので。

 先生がこちらを向くといけません。


 机の上に敷かれたびちゃびちゃYシャツを呆然と見つめるこいつを捨て置いて。

 俺は真面目に先生の方を向いて、板書をノートに写し始めたのですが。



 ボワッ!



 授業中に聞いたことのない音が聞こえたので慌てて振り向くと。

 いつも料理に使っている屋外用のガスコンロをYシャツに向けているのです。


「うおおおい! そんなことしたら!」

「だって、アイロンに一番近いのがこれだったの。相談しようとしたけど、話しかけちゃいけないルールだったから……」

「こっちを向くなバカ! 手元をちゃんと見うわああああ!」



 …………Yシャツ、炎上。



 さすがに大騒ぎとなった教室の中、当の穂咲だけあわてず騒がず。


 ガスコンロの火を止めて。

 俺から上着を引っぺがして。


 それを燃え盛るYシャツにぎゅっと被せて、あっという間に鎮火させると。

 教室中から拍手が湧きました。


 称えられた穂咲は照れくさそうに頭を掻きますが。

 それ、文字通りマッチポンプですからね?


「…………藍川。俺が言いたい事、分かるか?」


 先生の額には青筋が浮き上がっているのですが。


「そんなに褒められると照れちゃうの。もうおよしになってなの」


 くねくねと、本気で照れる穂咲を見ると。

 盛大に溜息を吐きました。

 今日はさすがに、理不尽な誤爆はなさそうです。


 そしてくねくね穂咲が俺に制服を押し付けてきますが。

 内布もボロボロ真っ黒で、着れたものではないのです。


 俺も思わず、盛大にため息です。


「藍川。廊下に立ってろ」

「何でなの? ちょっとアイロンが熱狂的過ぎただけなの。あるいは道久君のYシャツが根性無しなの」

「なんだ、秋山のYシャツをそんなにしたのか貴様は」

「今日は歯が痛くて辛そうだから、お話して気を紛らそうとしたんだけどダメって言われたから、せめてパリッとしたYシャツにしてあげようとしたらこのざまなの」


 平然とそんなことを言う穂咲ですが。

 ああ、そうか。

 君は俺の歯痛を気にしてくれていたんだね。


 歯が痛いから。

 いつものように気付いてあげることが出来ませんでした。


 ちょっと嬉しい。


 でも。

 ちょっとだけ。


 方法が、まるでダメダメです。

 おとなしく廊下に立ってなさい。


 ひとまず君の願いは、ひとつ叶いましたけどね。


「……ありがとう。おかげで歯の痛みが気にならなくなった」

「ほんと? よかったの!」

「それ以上に、頭が痛くなったからね」


 どうすんのさ、Yシャツも上着も。

 俺が口を尖らせると。

 穂咲はしょぼくれて、俯いてしまいました。


「……秋山。方法はどうあれ、貴様の事を想ってやったことだろう。藍川をいじめてどうする」

「これをいじめと解釈しますか」


 まったく、穂咲に甘い先生なのです。

 俺は仕方なしに、Tシャツ一枚で穂咲の手を引いて廊下へ向かいました。



 そして。


 あまりの寒さに、頭痛も歯の痛みも吹っ飛びました。


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