カモミールのせい Battle-Valentine 5


   ~ 二月十四日(水) ボタン付け ~


   カモミールの花言葉  逆境に耐える



 女心と秋の空。

 いや、間違いだらけの例えだな。


 今は、春がもうすぐそこまでといった季節ですし。

 そもそも、ほんとは男心が変わりやすいという言葉ですし。


 でも、そんなことを思わず考えてしまう程。

 この三日間。

 彼女の表情はころころと変わって。

 その都度、俺が振り回されたのです。


 そんな、季節外れの秋の空、藍川あいかわ穂咲ほさき

 今日は軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭の上にハート形に結って。

 カモミールの花をふんだんに活けているのです。


 あまりにもばかばかしいフォルムに。

 突っ込む気も、根こそぎ奪われました。



 君が怒りだすルールはさっぱり分かりませんが。

 それに何となく、俺が勘違いしている気にもなってきましたが。

 でも、チョコに関係しているのは間違いなさそうで。


 下手に誰かから受け取ろうものなら。

 このハートの化身に殺されるかもしれません。



 とは言え、そんなに気にする必要もなくて。

 渡さんに事情を話したら、クラスネットワークで広めてくれたから。


 俺にチョコをくれる人なんかもういないわけなので。

 ようやく人心地を取り戻しました。




「すごいの。校門の前に人だかりができてるの」


 いつものように通学路を並んで歩いていたら。

 目のいい穂咲がそんなことを言い出しました。


 なので、目を細めてよくよく見ると。

 確かに、なにやら混雑している様子。


 ちょうどそんなタイミングで。

 俺の携帯が鳴りました。


「六本木君からだ。……はあ? 美女?」

「なあに? 香澄ちゃんの事?」

「いや、校門の前で美女がチョコ持って立ってるんだって」


 放課後なら分るけど。

 朝っぱらから大変だね。


「うらやましい?」

「ぜんぜん? せいぜい、チョコを貰えるお相手のYシャツとズボンを後ろ前にしてやりたいって思う程度だ」

「……すっごく羨ましがってるの」

「ぜんぜん?」


 平静を装っていたら、さらにメッセージが届きます。


「写真か。……おいおい、うちの制服じゃないぞ?」


 穂咲も興味が湧いたようで、画面を覗き込んでくるのですが。


「……これ、美穂さんなの」

「え!? こんな小さな写真で良く分か……、やめろ。ベルトに手をかけないで」


 こんな公共の場でズボンを後ろ前にされてたまるか。


「Yシャツは自分でやるの」

「ご安心下さい、渡す相手が俺と決まったわけではないので」

「だって、こないだ言ってたの。いよっ、色男なの。……どこ行くの?」

「今日は、アウトローな気分なのです」


 前に君が怒ったの、美穂さんが俺にチョコをくれると言った時じゃないですか。

 そんな業火にわざわざ飛び込む勇気はありません。


 俺は穂咲の手を引いて。

 砂利道を通って裏門から学校へ侵入。


 そしてぐるりと校舎を回って下駄箱へ辿り着いたのですが……。


「何やってるの? 靴下に穴でも開いてるの? 早く履き替えるの」


 分かっていますけど。

 俺にこれを開く勇気もありません。


 周りから漂う空気感。

 一生を決める儀式のような心地で下駄箱を開くみんなを見ていたら。

 万が一があまりにも怖くて、俺は逃げることに決めました。


 外履きを下駄箱の上に乗せ。

 いぶかしむ穂咲を連れてすたこら階段を上ります。


「道久君、なんで靴下?」

「お構いなく」


 我ながら自意識過剰。

 生まれてこの方、学校でチョコなんかもらったことないのに。


 昨日、事情を話した二人の情報伝播力は信頼できるものの。

 でもやっぱり怖さが上回り。

 教室になんか行けるはずもなく。


 目指すは屋上なのです。

 今日は一日隠れていよう。


「道久君、なんで三階?」

「お構いなく。君は教室行きなさいよ」

「……変な道久君なの」

「お構いなく」

「俺がお構う」

「げ。…………はようございます、先生」

「ああ、げはよう」


 昨日、俺が六本木君シールドを展開した踊り場に。

 本日は実に頑強そうな壁が張られているのです。


「堂々とさぼる気とは感心だ」


 昨日の今日で許してくれるはずないだろうし。

 このまま教室へ連れていかれたら大変だ。


 よし。

 ここは、先生の天邪鬼を利用しよう。


「……じゃあ、廊下で立ってます」


 そう言いながら踵を返すと。

 案の定、先生はこう言いました。


「屋上に行こうとしていたんだろう? 丁度いい。屋上で立ってろ」


 …………おお。


 完璧すぎて恐ろしい。


 しかしこの人、なんて想定しやすいんだ。

 ちょっと先生が心配です。


 同情しつつ、素直な先生の横を通り過ぎようとしたら。

 首根っこを掴まれて止められました。


「待て秋山。なんでそんな安心した顔になってる」

「え? そんな顔してます?」

「なんて分かりやすい性格をしているんだ。ちょっと心配だぞ」


 うそ?


「さあ、どうして屋上に用があるのか、洗いざらい白状しろ」


 先生のいかつい顔が迫ってくるのは我慢できるのですが。

 さっきからの奇行を心配したのでしょう、踊り場まで上ってきてしまった穂咲の不安げな表情には勝てません。


 俺は観念して、理由を話しました。


「……ええとですね。こいつ、俺が他の人からチョコを貰うと怒り出すので。今日は一日屋上に隠れていようと思いまして」

「何を調子にのっているんだ。貴様が貰えるはずなどないだろう」

「酷い。これでも今日までさんざんやきもち焼かれたんですよ? なあ穂咲」


 先生に首を掴まれてぶら下がったまま、穂咲へ振り向いてみれば。

 なにやら、きょとんとされていらっしゃいますが。


 …………あれ?


「別に、やきもちなんか焼いたこと無いの」

「ええ!? うそでしょ? 散々怒って逃げ出したじゃない!」

「…………それは違うの」

「違わないでしょうが」

「えっと、そうじゃなくて、違うの」

「よく分かりませんが、それなら穂咲から貰うチョコ以外に、他の人からも貰っていいんだな?」

「何を言ってるの?」

「ん? だから、君がくれるチョコの他に……」

「あたし、道久君にチョコなんかあげないの」



 え?



 ええっ?



 えええええええええええ!?



「チョコ、無いの?」

「チョコ、無いの」

「ガーーーーーーーン!!!!!」


 


 そ、それは想定外。

 だって君、みんなとチョコ教室開いて。

 ラッピング買って。



 しかも、昨日カンナさんから聞かされて初めて分かったけど。

 手作りチョコ作る気満々だったじゃない。




 なのに。

 それを俺にくれるわけじゃないということは。




 誰にあげる気なの!?




 ……ぐったり、四肢から力が抜けて行くよう。

 地面に崩れたいのに、先生が首を引っ張り上げるためそれすら叶わず。

 だというのに、どこか遠い所へ連れていかれるような心地よい気分に……。


「秋山! しっかり立て! 俺を首つり殺人犯にさせる気か!?」


 先生も、俺の死因の欄に名前を書かれるわけにいかないとふんだのだろう。

 すっかり生気を失った俺をゆっくり地面に降ろして、こう言いました。


「……まあ、人生そんなこともある。暖かい教室で座ってるか?」

「いえ、俺なんか寒い屋上で立っているのがお似合いです」



 俺はそう言い残して。

 屋上への階段を、裸足のままとぼとぼと登るのでした。




 ~🌹~🌹~🌹~




 昔々の都会の雑踏。

 凛とした冷たい空気が結晶を結ぶような夜。


 暗がりに輝くイルミネーションが。

 二人の会話を赤く照らしていました。



「はい、チョコ。手作りよ?」

「ありがとうございます! うわあ、嬉しいです!」

「……ちょっと」

「はい?」

「チョコを抱きしめないで」

「え? ああ、はい。……ええと、レストラン予約しておいたので。寒いですから、暖かいお鍋の店に……」

「キャンセルして」

「ええっ!? ど、どうしてでしょう?」

「はあ……。それぐらい察しなさいよ」

「えっと、あの……、分からないのです」



 優しそうな、タレ目の男性は。

 大きな背中を丸めながら、途方に暮れたのでした。




 後半へ続く!

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