キツネノマゴのせい Battle-Valentine 1


   ~ 二月十二日(月祝) 洗濯 ~


   キツネノマゴの花言葉  女性の美しさ



 霜がびっしりと張り付いた鈍色の空に。

 ほんのり灯るストーブの光は暖かくて。


 藍川家の庭から、空に浮かぶストーブに顔を向けて。

 風にたなびく二枚のシーツ。


 湿った肌に光を浴びた花模様の海原が。

 柔軟剤の柔らかな香りを俺の元に運びます。



 今日、穂咲に与えられた課題はお洗濯。

 皺ひとつないお花畑が舞い踊り。

 俺を幸せな気分にさせてくれるのです。


 ……女性にとって欠かせない洗濯というお仕事に。

 興味のないふりをしているけれど。


 男子だって当然、洗い立てのシーツを仕立ててくれるその行為は嬉しくて。


 ほんとは、シーツと、それを洗ってくれた人に。

 もふっと顔をうずめたいのです。



 でもね。

 俺にはそれが出来なくて。


 こんなに幸せな気持ちでいるのに。

 感謝の気持ちで抱き着くことなど出来なくて。


 ……だって。


「しまった。自分のシーツも一緒に洗えばよかった」


 どうやって自分に抱き着くことができましょうか。



 ――もちろん、こんな完璧な仕事が穂咲に出来るはずもなく。

 と言いますか、あいつが逃げやがったせいで。

 俺が代わりに課題をこなしているのです。


 くすんだ色の空にお日様が浮かぶ休日。

 目には未だ冬の景色。

 なのに、春も間近なあたたかさ。


 藍川家のリビングへ上がるサッシを開きっぱなしにして。

 そこからぶら下がるスレンダーなおみ足が二本。

 その隣に、大根が二本。


 昼下がりというのに缶ビールを傾けるおばさま二人が。

 こんな暢気な休日に。

 不機嫌そうに声を上げました。


「道久君」

「あんた」

「ちょっとそこに立ちなさい」

「ちょっとそこに正座しな」

「まだ、人類はそんなややこしい事ができるほど進化してないよ?」


 NASAでも研究に着手していない段階なんじゃないかな。


「なにさ、仕事は完璧でしょうに。なんの文句があるのでしょう?」


 俺を立たせたがるおばさんに文句をつけてみれば。


「だってこんなに完璧だと、ほっちゃんの立つ瀬が無いじゃない」

「知りません」


 膨れるおばさんから、母ちゃんに視線を移してみれば。


「だってこんなに完璧だと、母ちゃんの立つ瀬が無いじゃない」

「知りません」


 せっかくいい気分だったのに。

 大人二人のせいで台無しです。


 二人の間に置かれた空き缶に揺れるキツネノマゴ。

 その花言葉まで台無しなのです。


「……ちょっと。なんで道久君、洗濯は完璧なのよ」

「そんなもんあれさね。あたしが苦手だからに決まってるじゃないさ」

「ずっとやらされてるからね。そう言えば、いつからやらされてるんだっけ?」

「そんなこたあ忘れたね」


 …………。


 そうね。

 母ちゃん、自分に都合の悪いことから順番に忘れるからね。



 昨日のチョコの余りをつまみに。

 すでに二缶目も空になりそうな勢いで。


 遥か昔に俺をだまくらかして仕事を押し付けたであろう母ちゃんが。

 丸いお腹をゆすってがはがはと笑っています。


「……ちょいちょい手を抜かないと、主婦って仕事はできないとは知ってます」

「だろ?」

「でも、このままじゃ俺が完璧な主夫になっちゃう」


 ジト目でにらみつけると。

 この人はそそくさと三缶目を取りに、キッチンへ逃げるです。


「まあ、料理はほっちゃんの方が上手いでしょ? 最近じゃ、分担するのも当たり前だからいいじゃない」

「なんであいつが出て来るのか分かりかねますが。……でも、昨日のお菓子作りを見る限りじゃ心配なのです」

「……そんなにだった?」

「そんなにでした」


 どれだけ頑張っても。

 あの超合金クッキーに、これ以上の賛辞が送れません。


 俺の言葉に、さすがに頭を抱えて。

 真剣な表情を見せたおばさんが母ちゃんから受け取った三缶目。

 それを手で撫でまわしながら、ぽつりとつぶやきました。


「心配。これからちょいちょい東京に行こうって時に」

「……スタイリストのお仕事しに行くんですよね」


 今の家事特訓もそこからの流れなわけですし。


「ブランクあるから、最初は後輩の助手スタートだけど。イベントとか多人数の出演者が集まることがあるから、いればいるだけ便利なのよ、スタイリスト」

「土日とか?」

「ものによるけど、宿泊は多くなるかもね。知り合いの所に泊めさせてもらおう」

「……日帰りってわけにいかないんだ」

「新幹線で行ったら足が出ちゃうもの」


 ……俺。久しぶりに子供みたいなわがままを口にした気がする。

 これは穂咲のためでもあるけれど。

 俺だって、おばさんがいないと寂しいわけで。


「まあ、あんたが出掛けるときゃあたしがこっちに泊りに来てやるから安心しなさいよ。こんな田舎でも、女の子一人でいさせる訳にゃいかないからね」

「頼むわ」

「だから、土産よろしく」

「…………お手柔らかに頼むわ」

「母ちゃん、おばさんが出稼ぎに行く意味分かってないよね?」


 ニコニコとチョコを頬張りながらビール飲んでますけど。

 せっかく稼いできた分、全部その胃に入れたら意味無いんだよ?


「そうか。掃除も洗濯も母ちゃんがやるなら、穂咲が家事出来なくても安心だ」


 俺がほっとしながら口にした言葉に。

 かぶるくらいの勢いで、おばさんが食って掛かって来ました。


「そうはいかないわ! 例えば、おばさんはお裁縫とお菓子作りでおじさんの心を鷲掴みにしたんだから! 女子力付けないと!」

「へえ。どんなことしたの?」

「バレンタインデーに女子力アピールしたの。東京に来てくれたから、手作りチョコを作ってあげたのよ」

「そんなにおいしかったんですか?」

「おいしくはなかったんじゃないかな」

「え?」


 あれ?

 なんだかおかしな話になって来た。


「だって、女子力アピールしたんでしょ?」

「そうね。お菓子も裁縫も得意だし」


 ニコニコと俺を見上げながらビールの缶をぷしっとやっていますけど。

 さっぱり分かりません。


 そして、なにやら急に思い出したように。

 ああそう言えばと枕しながら俺に聞くには。


「ほっちゃんのチョコ、どんなだったの?」

「チョコですらなかった。硬くて食えないクッキーだったんだよ」


 俺が正直に答えると。

 おばさんは左の空を飛ぶトンビを見上げながら。

 なぜか、幸せそうな笑顔を浮かべたのです。


「……あのレシピ、覚えてたのね」

「え? あの堅焼きクッキー、おばさんが教えたの? なんの嫌がらせさ!」


 憤慨する俺をよそに。

 おばさんは、真剣な表情に変わると。


「もしそれがほんとなら、道久君の為に一生懸命作る予定だろうから。優しくしてあげなさい」

「あれを? 迷惑です」

「いいから、ほっちゃんを探してきなさい」


 そう言って、駅の方を指差すので。

 俺は仕方なく、トボトボと歩き出しました。




 ……でも、まさかこれが。

 三日間にわたる大さわぎの幕開けだったとは。

 この時の俺が知るはずもないのでした。




 ~🌹~🌹~🌹~




「ああ、クッキー。パジャマ用のボタンの事かい」

「そう、それ。ほっちゃん、一生懸命作ったのよ?」

「……思い出した。そういやあの子が自分でシーツ洗ったの、その時が初めてだったわね。あたしにばれないようにこそこそと」

「そうなんだ。……優しいわね、道久君」

「まあ、それしか取り柄が無い男だからね」


 かこんと重ねる缶と缶。


 大人二人の宴会は。

 良いつまみを手に入れたようで。


 まだまだ幸せに続くことになりそうでした。



 後半へつづく!

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