パフィオペディルムのせい
~ 二月九日(金) 編み物 ~
パフィオペディルムの花言葉 官能的
一番得意な料理ですら不合格にされ。
本日は違う課題を与えられたこいつは、
学校でもお隣の席に座る幼馴染は、家事をすればするほど仕事が増えていくという夢のエネルギー発生装置。
世界は、いつ穂咲を第四のエネルギーと認定するのでしょう。
そんな永久機関は、軽い色に染めたゆるふわロング髪をふたつのお団子にして。
そこに一輪ずつ、パフィオペディルムを活けているのですが。
不思議な不思議な、紫の妖艶な花びらは。
女神のスリッパと称されるほど神々しいフォルムなのですが。
じっくり見ていると、何かの顔にも見えてきまして。
なんとなく、今日の穂咲をケルベロスちゃんと呼びたくなるのです。
さて、そんな地獄の門番ちゃん。
今日の課題は、料理の次に得意な編み物のようで。
学校に編み物かごなど持ち込んで。
楽しそうに、せっせとニット帽を編んでいます。
とは言えこれは課題なので。
いつもと違ってデザインを凝っている暇はない様子。
「なんとか明日までには終わらせるの」
そう言いながら、シンプルな作品をこさえていきます。
でも、俺には気になることがありまして。
毛糸の色が、青いのです。
それは俺が好きな色で。
つい、そわそわしてしまうのですが。
朝の教室は、いつもよりも少し静かなのに。
俺の心は、ざわざわと、さざ波が立つのです。
……そういえば。
なぜこれほど静かなのでしょう。
気になって、教室を見渡してみれば。
朝の教室に、編み物女子が五人もいらっしゃる。
「ブーム来た?」
我ながら変な質問を。
穂咲の後ろの席で、やはりせっせと編み物をする神尾さんにしたところ。
「バレンタインデーが近いからじゃないかなあ」
そんな返事をされたもんだから。
そわそわが、ドキドキに変わってしまいました。
穂咲の品は、ただの家事特訓の一環ですが。
こんな時期にプレゼントされたりしたら。
ちょっと、アレです。
アレなのです。
鼓動がばれないように。
穂咲をちらりと横目で見たら。
どうやら、俺たちの会話を聞いていたようで。
がたんと椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がって。
「バレンタインなの! こうしちゃいられないの! 特訓なの!」
大声を上げて、くねくねと身をよじり出しました。
……そんなくねくねは意味不明ですが。
クラスの雰囲気が一瞬で塗り替えられた理由は良く分かります。
穂咲が発した、『バレンタイン』という単語。
これを意識しない高校生などいるはずがないのです。
そわそわ。
そわそわ。
ちらり。
ちらり。
視線からそれと分かるベクトルは隠しようもなく。
そして、いくつか交じり合う視線も見て取れるのですが。
「……君はなに? 春の使者なの?」
今の時点でリア充成立と言っても良いのではないか。
そんな奇跡が、君の頓狂によって生まれてしまいました。
……で。
それはそれとして。
さっきからなにをくねくね踊っているのでしょう。
「道久君、どう? 官能的の練習なの」
「……よく分かりませんけど、気持ち悪いことだけははっきりわかります」
まるでタコのようにぐにゃりとしながらムッとした穂咲。
膨れた頬から、墨を吐き出しそう。
そんな俺の一刀両断を、神尾さんがたしなめます。
「道久君にチョコをあげる練習なんだから、そんなこと言っちゃダメ」
「イヤですよこんなの」
「道久君にあげる練習じゃないの」
タコのポーズのまま、穂咲が否定していますけど。
「じゃあ、何の練習さ」
「このセクシーポーズで、いっぱいチョコ貰うの」
「ずうずうしい!」
「あるいは、貰った時のお礼なの」
君、校内きっての人気ものだから。
たしかにたくさんの友チョコを貰えそうですが。
「そのポーズはお礼というより嫌がらせだからやめなさい」
俺がそう言うと。
タコはさらに膨れました。
そして教室の前側の扉が開き。
先生が教室に入ってきました。
でも。
クラス中のそわそわは収まる気配もなく。
先生をイラっとさせたよう。
しかも、俺の隣にはタコのオブジェ。
まあ、俺をにらむのも分からないではありません。
「…………これは全部、貴様の仕業か?」
「いいえ。きっと、春が近いせいです」
我ながら上手いこと言った。
にもかかわらず。
先生は、広いおでこに青筋など立てるのです。
「じゃあ、廊下も暖かくなってるだろう。立ってろ」
「いやいやいや! 落ち着きないのはみんなが勝手にやってることで、俺は関係ないでしょう!?」
クラス一同に振り返って抗議してみたら。
俺に手を合わせる姿がちらほらと生まれていきます。
「ゴメンね、チョコあげるから。義理で」
「あたしもあげるから。義理で」
「すまんな、俺もやるから。義理で」
…………計、十個ばかりの二十円チョコによる買収行為。
さすがに文句を言わせてください。
「……先生、冬が始まりました」
「うるさい。いいから行け」
十四日には、俺の机に二十円チョコがたくさん並ぶことでしょう。
しかも、それを百円くらいのチョコにしてお返ししないといけないわけで。
不条理なのです。
でも、泣きそうになりながら席を立った俺に。
神尾さんが優しく話しかけてくれました。
「大丈夫。本命だって貰えるから」
そして、先生が来たというのにお構いなしに編み物を続ける穂咲を指差します。
……まあ、本命かどうかはともかく。
ニット帽が貰えるなら、それでいいか。
少しだけ気持ちが落ち着いて。
廊下へと歩き出した俺の背に。
穂咲のつぶやきが届きました。
「ふう。貰ったチョコを入れる袋、こんなんじゃ全然足りないの」
「ずうずうしい!」
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