ホトケノザのせい


 ~ 二月八日(木) 藍川家・家事虎の穴 ~


   ホトケノザの花言葉  小さな幸せ



 お隣に暮らす幼馴染。

 彼女の名前は、藍川あいかわ穂咲ほさき


 気付けば、ずうっと隣にいるのが当たり前という関係で。

 だから、ある時期は凄く好きで。

 だから、ある時期は凄く嫌いで。


 ゆらゆらふわふわ。

 まるで春を待つ空を漂う紙飛行機。


 そんな気持ちを十六年も抱えて過ごすと。

 とうとうこうなったのです。



 こいつの事が好きなのか、はたまた嫌いなのか。

 俺は、考えるのをやめました。


 

 でも、そんな幼馴染がキッチンに立つ後ろ姿。

 楽しそうに揺れる髪を眺めていると、どうにも気になってしまう訳で。


 ……どうにも、天秤がことりと片方へ倒れてしまう訳で。


「君のことを、誰にもあげたくないって気になるよ」

「なにそれ。プロポーズ?」

「いいえ。君を押し付けられた人が不憫でいたたまれなくなるという意味です」



 ――まな板はおろか。

 シンクに床に、散々野菜くずをまき散らしながら。


 もう、どれが使う部分でどれが捨てる部分なのか分からない状態で。

 鼻歌を歌いながら土鍋をコンロにかける穂咲さん。


 きみ、普段はそんなにへたっぴじゃないよね?


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をポニーテールにして。

 いつものように、髪の結び目にぷすっと挿したお花が揺れて。


 バカ丸出しで、鼻歌を歌うのです。


 しかも、本日揺れているのはホトケノザ。

 薄紫で妖艶なフォルムのお花が、ちょっと不気味でもあります。



「家事特訓、第一弾は余裕でクリアーできそうなの」

「すごいね。君はとことん自分に甘いよね」


 穂咲のとこのおばさんが。

 厳しい目で愛娘を査定しているだけで。

 なんでこんなことになっているのやら。


「ほっちゃん、ちょっとお料理ストップ。……ここに立ちなさい」

「おばさん、おかしいから。俺を見ながら言うのおかしいから」


 でも、学校では穂咲のせいで毎日のように立たされている俺は。

 条件反射で直立不動。


「これは道久君のしつけがなっていない証拠です」

「うそでしょ? どうして俺のせいになるのさ」


 あまりの不条理に俺がおばさんをにらみつけていると。

 制止も聞かずに料理を続ける穂咲が楽しそうに言いました。


「あたし、お料理してるとちょっぴり幸せなの」

「おままごと感覚じゃダメよ、ほっちゃん。お台所、めちゃくちゃじゃない」


 ……普段は穂咲に甘いおばさんなのに。

 妙に厳しいのです。

 

「どういった心境の変化でしょう」


 俺が問いただすと、おばさんは盛大な溜息と共に。


「ちょっと、貯金がやばくてね」

「は?」

「ほっちゃんの進学。結婚式」

「はあ」

「はあ、じゃないでしょ? どうなってるのよ秋山家の家計!」

「それを俺に叱りますか」


 父ちゃんの稼ぎはいいらしい。

 でも、趣味で結構飛んでるって話だし。


 母ちゃんも、糸目を付けずに食い物買うし。

 ……我が家で最も潤っているのは、俺の貯金箱という話だ。


「だからいろいろ考えて、昔の仕事をしに東京へちょいちょい行こうと思ってるの」

「ああ、それで家事の特訓って訳ね」


 なるほど納得。

 でも、料理中のこいつにそんな真面目な話が届くはずもなく。


「春の七草粥なの」


 のんきな事を言いながら、野菜を土鍋に浮かべていきます。


「季節感のないやつですね」

「そうなの。春は、まだ先なの」

「逆です」


 一月に食うものでしょうに。

 七草、こんな時期に売ってるの?


「春の七草、言える?」

「そりゃもちろん」


 俺がひとつひとつ区切って言うたびに。

 穂咲は指折り数えていくのです。


「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草」

「……八個あるの。間違いなの」

「最後の数えなさんな。……その鍋にはいくつ入ってるの?」

「えっと、まずはセロリと」

「一個目からフルスロットルですね。もう、あとはいいです、聞きたくない」


 たぶん二つ目は茄子でしょうね。


「でも、これじゃまだ六草なの、これをいれて完成なの」


 そんなことを言いながら。

 頭のホトケノザから葉っぱをむしって土鍋に入れようとしていますけど。


「ストップ! ストーーーップ! それはホトケノザですけど、食えないやつ!」

「……意味が分からないの」

「説明が面倒ですが、ホトケノザの葉は食べられません。七草のホトケノザは、ホトケノザではありません」


 シェフ、きょとんとしてますが。

 これだから目が離せません。


 そんな俺たちを見て。

 おばさんが、厳しい声を上げました。


「まったく! ちょっとそこに立ちなさい!」

「だから、なぜ俺?」

「そんなことで、ほっちゃんがお嫁に行けると思う?」

「それを俺に叱りますか。こいつに言ってください」

「道久君のために言ってるの」


 なんて不条理な。

 こいつが嫁にいけないとか、俺に関係ないでしょうが。


「こら。お前が叱られなさいよ」

「……ちょっとお花を摘みにいってくるの」

「逃げないでください。君のために言ってるんです」

「……もっちゃうの」

「だめじゃない道久君。もっちゃったりしたら、お嫁に行けると思う?」

「それを俺に叱りますか。……って、あいつ、逃げやがったし」


 …………ん?


「鍋ほったらかしで行きやがった!」


 ああもう、今日もめちゃくちゃなのです。


 泡を吹く鍋に慌てて駆け寄って。

 火を止めて蓋を開いて泡を落ち着けて。


 ……即、蓋で密封。



 臭い。

 黒い。



「何入れたらこんなことになるの!?」


 青ざめる俺に近寄ったおばさんも。

 蓋を開いて、以下同文。


 そして、ぽつりとつぶやきました。


「……だめじゃない、道久君」

「それを俺に叱りますか」


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